ある意味とばっちりではあるけれど。
彼とリーシャの訪問は二週間後、週一回のランスの休日だった。
彼とリーシャ宛に手紙を送った後彼から返信が来て、そこには訪れた日にリーシャに話したいと書かれていた。きちんと話せる自信がない、事情を知る私達に同席して欲しいという話だった。
「はぁ、話しておいてくれればいいのに」
「俺はそうは思わないね。こっちで話をする方がいい」
滅多に見ない無表情で手紙を見つめるランスは確実に何か企んでいる。大体予想はつくが、それを止める気は私にはさらさらなかった。
⁑*⁑*⁑
場所はランスの家。
どんよりした雰囲気の彼と、話って何だろう、何でアルはどんよりしているんだろうという疑問をたっぷり浮かべたリーシャ。二人は気心知れた友人とのお茶会ということで、心境を隠すことはしていなかった。
私が少しぎこちない笑みで出迎えたのに対し、ランスは満面の笑み、輝く笑みで出迎えた。正直引く。
「じゃあ今日は話したいことがあるから来て貰ったんだけど」
着席早々挨拶もそこらに話し始めたランスにぎょっとする。
けれど彼は自分の世界に入ってしまっているし、リーシャは話の内容が気になるし、で全く気にしていなかった。
「アルベール、自分で言うか?」
尋ねつつ「自分で言うよな?」という圧が凄い。気圧されたように彼はこくこくと頷いた。
「……ああ。リーシャ、僕が階段から落ちたことがあっただろう?……学院では外傷のみということになっているけど、……本当は違うんだ」
「え……?なら学院は隠してたってこと?というか本当は違うってどういう?」
「記憶障害だ。僕は一つ記憶を失った。ただ他家に知られるべきじゃない内容だったから僕は学院にも言っていないし、学院は隠してたんじゃなくてそもそも知らないんだ」
話し始めて勢いがついたのか、彼は徐々にすらすらと話せるようになっていく。
他家に知られるべきじゃない内容、というところでリーシャが眉を顰めた。
「だから私にも言ってなかったのね。それでどうして言う気になったの?私はともかくリーナやシュリーレン様は?」
「バレるより先に言うべきだと思ったんだ。それから、リーナは当事者。ランスは学院の時点でもう気付いてた」
「え、リーナが当事者?どういうこと?ていうかリーナって?」
上手く繋がった。
覚悟を決めたように大きく息を吐いて、彼は口を開いた。
「僕とリーナは元々恋人だった。幼馴染でね。婚約もしていたんだ」
リーシャの頭上に大量のハテナが浮かぶ。混乱してしまったのか、リーシャは何も言わない。
「リーシャ、僕が何故階段から落ちたか分かる?」
「それは私達を助けて……あっ」
「そういうこと。僕が助けたのはリーナだ」
「っ……いえ、それは今はいいわ。それより、記憶障害って」
リーシャも見当はついたようだ。ここまで言われて見当がつかない訳がない。
「リーナのことを全て忘れたんだ。クラスメイトとしての記憶だけを残して、それ以外を全て」
リーシャがぎゅっと自らの体を抱く。そして恐る恐る私を見た。
私はリーシャを一瞥し、フィナンシェを口に入れた。
「後は、分かるよね。僕は君を好きになって婚約を申し込んだ」
「待って。リーナとの婚約は?」
「あってないようなものだったんだよ。書類にも残していない口だけの婚約者。学院で気が変わるかもしれないってお互いの両親が言って書類を作らなかったんだ」
ぱんっといい音が響いた。
リーシャが彼をビンタした音だ。今のは全力だ。痛そう。
リーシャはがたりと立ち上がり、絶対零度の視線で彼を見下ろした。
私はランスの口角が僅かに上がったのを見逃さなかった。
「最低。あり得ない」
リーシャの唇がわなわなと震える。
「……ああ、今思えば本当に最低だよ」
婚約の解消を申し出たのは私だと彼は言わなかった。私も言う気はない。言えば強力な弁護になるが、弁護をする気はなかった。
いい気味だと思う自分がいる。自分の心境の変化が怖かった。
ちらりとランスを見ると、普通に笑顔だった。怖い。幸い彼とリーシャは二人の世界にいたので気付いていないが、あからさますぎやしないか。
「……はぁ。それで?今言う気になったのはどうして?」
リーシャが座って紅茶を啜った。眉間に皺が寄ったままだ、と私はぼんやりリーシャを眺める。
彼にとっては最も辛いところだろう。
「……ああ。全部思い出したんだ」
「そう」
リーシャは冷たく相槌を打つ。彼はぐっと唇を噛んだ。
気持ちまで思い出したのか、とはリーシャは訊かなかった。まだそこまでは思い至っていないようだ。
沈黙が落ちる。
「リーナ、ごめんなさい」
弱弱しい声でリーシャがぽつりと謝る。自分の所業をしっかりと理解しているらしい。
別にリーシャと関係を悪化させたい訳ではない。学院でできた親友だから、余計に。
「いい――」
「ほんとにな」
遮ったのはランスだ。すっごくいい顔。
「俺との初デートのときもきつそうにしてたし」
私は伏せていた目をぱっと開いた。普通に隠せていると思っていたのに。
バレているのか、それともただのハッタリか。私と彼が恋人関係にあったことも看破するような人だから、バレていても全く不思議ではないが。
「まあ俺がちゃんと弱みに付け込んで口説いたけど。そこを考えたらむしろ有難いかもしれないな」
ああ、いい顔。
ぱっとランスがこちらを振り向いたとき、その顔に浮かぶ笑顔は全く別のもの。二人きりのときに見せてくれる蕩けた笑顔を、まるで彼とリーシャに見せつけるかのように惜しげもなくさらしている。
顔の良さは貴族令息の中でも飛び抜けているランスの甘い顔に、リーシャもついランスに見惚れてしまっている。
「私以外にそんな顔見せないで」
くいっと彼の服を引っ張って言うとランスはでれっと破顔した。
「可愛い……リーナがヤキモチ焼いてくれてる……嬉しいよ、愛してる」
そして唇を合わせてくる。ランスとのキスにはすっかり慣れたが、流石に人前でするのは恥ずかしい。
「もうっ!そういうのは二人きりのときにして!」
「ふふ、可愛い」
「もういいだろ」
口を挟んだ彼は、ランスを睨みつけている。
「ああ、悪いね。あまりにリーナが可愛いから」
ちゅっと私の髪に口づけて彼を見たランスの爽やかな笑顔には、明らかに嘲りが混じっていた。
しかしリーシャも流石にここまでされたら気付いたようだ。瞳の水分が増し、ゆらりと揺れた。
「アル……リーナが好きなの?」
「……」
リーシャが怯えたように尋ねる。だが彼が返したのは沈黙だった。リーシャを見すらせずに俯いている。
嘘でもいいから違うと言えばいいのに。彼は正直で、誠実で、残酷な人だ。
ぽろぽろとリーシャの瞳から涙が溢れる。堪えきれない嗚咽が漏れた。
「も……最悪……」
「君のことは大切にする」
彼が低い声で言う。だがその言葉はミスチョイスだ。
もう婚約の解消はできない。彼の有責で破棄するほどの出来事でもない。政略結婚の多い貴族なら、他に好きな人がいるなんてままあることだから。
けれど、彼とリーシャは恋愛から婚約した。政略ならばリーシャも耐えられただろうが、恋人である婚約者が自分から興味を失えば。
「ごめんなさい、今日はお先に失礼させていただきます。アル、少し時間を頂戴」
ハンカチで涙を拭ってリーシャが席を立つ。
「今日は来てくれてありがとう。また今度二人で会いましょう」
「ええ」
馬車に乗るリーシャを見送り、彼も帰っていった。
二杯目の紅茶はもうすっかり冷たくなっている。
「満足?」
ランスを見ずに私は尋ねる。
「そこそこかな」
最後まで私とランスはフォローをしなかった。
だって今リーシャが抱いた感情は私が抱いた感情と同じだ。今リーシャが流した涙は私が流した涙と同じだ。
恋人期間が長かった分、私の方が重い。
罪悪感もあったが、すっと胸が空いた。そんな自分が何故か嫌じゃなかった。




