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今この話をするのは僕の黒歴史を明かすようで嫌なのだが、僕の中学校生活の締めくくりに、これをどうしても残しておきたかったのだ。まあ、固くならず一人の少年の滑稽な昔話だと思って聞いてほしい。
今の僕から言わせてもらえばそれは僕の人生における汚点としか言いようがないが、僕は中学一年生の二学期から中学二年生の二学期までの約一年間『生徒会』というものに所属していた。
思い出すのも嫌な程に厳しい先生に押しつけられる大変な仕事の数々。それを想起させる生徒会室を僕はまだ直視することができない。
数少ない救いは先輩が優しかったことと、たった一人の同級生が僕をフォローしてくれたことだ。その他は地獄としか形容できないものだった。
選挙の時を僕は昨日のことのように思い出せる。まあ、思い出したくもないけどな。あんな地獄に飛び込むためにした努力なんて。
僕が生徒会を志したのはあるドラマが切っ掛けだった。生徒会を目指す彼らは輝いていて、今では所詮はフィクションだと叫びたい衝動に駆られるが、当時の僕はその所為で生徒会に憧れてしまった。
小さい頃からぼっちだった僕は、中学生になって変わりたいと思っていた。
小学校のテストでは100点ばかり取り、自分は天才だと酔いしれていた。頭が良ければ僕に勉強を教わろうとする人達に群がられるとか馬鹿みたいなことを考えていた僕だけど、まあ中学の難しい勉強に心を折られ、それは諦めた。そんな時に僕の前に現れたのが生徒会だ。馬鹿な僕が食いつかないわけがなかった。
当時の僕には、生徒会長という役職が、学校のトップという立場が、まるで沢山の家来を連れて国を統治する王様のように思えて、生徒会長になれば、僕は学校の王様になれて、沢山の人が僕を慕ってくれる。そして、僕はその人達を統…んっんー。その人達と友達になれると思っていた。そして、僕は愚かにも生徒会に入ることを決めた。それが破滅の序章だとも気付かずに。
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僕は心底焦っていた。生徒会本部役員に入ると意気込んでその集会に行ったものの、渡されたのは一枚の紙。それは生徒会本部役員への立候補届。そこには三つ、名前を書く欄があった。一つはもう埋まっている。僕の名前だ。『白沢健吾』いつでも出せるよに書いておいた。そんな一分一秒も無駄にできないくらいに焦っていたのだ。
そして一番下は担任の名前。これはまあ頼めばくれるだろう。あと一つ、真ん中が問題だった。
『推薦責任者氏名』
推薦責任者。それは、僕のことを支援し、僕のために僕のことを推薦してくれる役だ。
まあ分かっていた。自分で言うのも何だが、僕は真面目な方だったから生徒会本部役員に向いていると思っていた。
でも、生徒会本部役員選挙は所詮人気投票。真面目で向いているとはいえ、ぼっちには当選するのが難しいって。その最初の難関がこれだ。『推薦責任者』即ち、『お前を応援してくれる友達いるの?いるならここ書いて』だ。自分で言うのも癪だけど、いるわけがなかった。
向こうが友達と思っているかは知らないが、それなりに仲がいいやつには片っ端から声をかけた。
まあ、僕の現状を見れば分かる通り、全滅だった。
そもそも話を聞くのが遅すぎたのだ。昨日の昼休みの集まりでこの推薦責任者の話を聞き、そして今日。明日には締め切りだ。もう無理だと諦める野良簡単だ。やっぱり辞めますと言えばいい。今なら僕がやりたいと知っている人も少ないし、傷跡も少なく済むのではないかと。
しかし、僕の頭に浮かぶのは、前に見たドラマと、生徒会本部役員として働く輝かしい未来。
もう少し頑張ろうと思うのには十分だった。
四時間目と五時間目の授業は全く頭に入らなかった。今はただ、生徒会本部役員になることだけを考えている。でも、考えるだけじゃ足りないと分かっている。必要なのは友情だ。そんなことを考えていたからだろう。掃除終わりの短い休み時間。僕は机に突っ伏して愚痴を言った。
まあ、『その最初の難関がこれだ』から『傷跡も少なく済むのではないかと』の内容とほぼ変わらないので割愛させてもらう。
しかし、それを聞いている人がいた。
隣の席の林さんである。
「ん?何が?なんか困ってるの?」
「あ、いやなんでもないよ。ただちょっと生徒会本部役員のことで問題があっただけ。締め切りは明日だし僕がなんとかするから」
「…何それ?」
「えっと、まあ、生徒会本部役員選挙に立候補するのに、『推薦責任者』ってのが必要らしくてさ。その人が見つからなくて困ってるんだ」
白沢健吾。ぼっち。口下手である。が、なんとか話を伝える事に成功した。ちなみに、生徒会本部役員になれれば、この人見知りも無くなるだろう。というのも、生徒会本部役員を志した理由の一つだ。
「ふーん。じゃあ、わたしがそれやってあげるよ」
僕には林さんが神か仏か天使かヒーローか、その類のものにしか見えなかった。
普段の僕なら、いや迷惑だしいいよ。とでも言うだろう。でも、
「え、いいの?」
と言うほどに焦っていた。
「うん」
こうして、僕は『推薦責任者』という天王山を乗り越えたのだ。
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しかし、この時の僕は分かっていなかった。この『推薦責任者』は『天王山』などではなく、さらに高い山々がこの先に待ち受けている事に。
しかし、今のところは結果オーライである。ドラマを見た時から練っていた計画に少し支障が生じただけで、それも林さんによってカバーされた。生徒会を辞めた後でも林さんのことはとても感謝している。
たとえ彼女が生徒会という悪しき集団に入る手助けをしたとしても、当時の僕にとっては救世主だったのだ。何のメリットもなく僕に協力してくれた彼女に僕は敬意を評したい。
でも、それは別の話。
僕が嫌いなのは生徒会であり、これは生徒会の話である。
そのまま翌日の提出期限を守った僕は新たな問題にぶつかる事になるのだが、次はその話をしようか。
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即日の会議は放課後にあった。僕は部活を休んで参加した。美術部に入っている林さんも部活を休んで参加してくれた。悪いことをしたと思ったが、それでやっぱり推薦責任者を辞めると言い出さないところを見ても、林さんが優しいことが伺えるだろう。
そして、会議では新たに三つの物を受け取った。
一つは自分が生徒会本部役員になれたら何をしたいか、つまり公約を書く紙。僕と林さんの下書きと清書。合わせて三枚。
二つ目はタスキを作るための模造紙。一人分。ここに自分の名前と目指す役職を書いて選挙期間はつけるのだ。
三つ目はポスターを作るためのA4紙。一つの学年につき一枚。つまり計三枚。
三つの課題の提出締め切りは一週間後。前回より長いが、ポスターを描いてくれる人を探していたら間に合わない。描く時間も必要だろうし、なるべく早く渡した方がいいだろう。
タスキは自分で作るし、選挙公約も自分の仕事だ。でも、ポスターだけはうまくいかない。学校のほとんどの人は生徒会本部役員選挙というどうでもいい行事のポスターなんてあまりまじまじと見ないだろう。パッと見て分かる絵が全ての作品だ。絵心ゼロの僕がやっても無理だろう。
そして、誰にしようと戸惑っている僕に声がかけられた。
「それ、貸して。わたしが描くから」
その声の主は林さん。美術部の林さんだ。当然絵は上手い。推薦責任者を任せるのだからこれ以上負担をかけまいと遠慮していて最初から考えに入れていなかったのだが、本人から言い出してくれた。これ以上迷っている余裕もなかったのでポスター用紙三枚を彼女に託した。
その後公約の清書と自作のタスキをなんとか仕上げた僕は、林さんからもらった完璧なポスターと共に一週間後を迎えたのだった。
そして、僕をはじめとする七人の名前が各昇降口に張り出された。
選挙期間の始まりである。