日中花火
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
……っしゃああ! あぶねー! 回復間に合った!
いや〜、ゲームやっていて、ピンチからのリカバリーはテンション上がりますね〜先輩!
ゲージとかウインドウが、てっこんてっかん、真っ赤っか〜な状態から、ぶわーと一気に落ち着きを取り戻す。
九死に一生。安堵のため息。乱数や処理能力の神様に、その場限りの感謝をささげるくらいですよ。間違いなく、僕はトップクラスの信心深さですよ。瞬間最大風速的な意味で。
こんな体験、リアルじゃなかなかできないでしょう。たいていは九死のうちのどれかをひいて、はいおしまい。それっきり。
死人に口なしですからね。僕たちが耳にするのは、一生を拾った話ばっか。おかげでややもすれば、「いざというとき、自分も同じように助かるんじゃ」なんて、根拠のない思い込みを植えつけられてしまいます。
僕たちの生、その一瞬一瞬が奇跡のたまものだなんて、考えたくないってのもありますよね。身体の治癒能力だって、ちょっとでも狂ったら調子を崩しかねない、危うい線の上に立っている。腸が少し機嫌を損ねただけで、たちまちトイレがお友達です。
そんな身体の調子に関して、僕もむかし、おかしなことを体験した記憶がありまして。そのときの話、聞いてみませんか?
僕が小学生のときです。
僕の学校の保健室の先生、若くてきれいな人だったんですね。でも、それ以上に評判だったのが、この先生にさすってもらったところは、たちまち痛みが引くって話。
どんな痛がり、泣き虫な子でも、先生に患部を治療してもらうと、おとなしくなってしまうんです。実際に診てもらった子も、その気持ちよさを絶賛していましてね。機会があったら、またぜひやってもらいたいなんていうくらいです。
ただ、難点といいますか、先生のその治療にも限界があるんです。それは負った傷の深さによって、心地よさが決まるというもの。
仮病とか、自分でわざとつけた傷とかでは、全然効果がありません。本気でケガをしたときほど、心地よさが増すんです。まるっきり空腹とごちそうの関係ですね。
で、僕自身も先生の奇妙な治療を体験しました。
図工の時間でちょっと彫刻刀を滑らせちゃいましてね。こう、名刀ざっくり丸、みたいな? 右手の人差し指から、どくどく血が出て大変でしたよ。
心臓より高い位置で指をおさえろっていうから、なかば天に拝むような格好で、保健室に直行しちゃいました。そのかっこうを見て、先生も驚いたんでしょうね。実際、おさえたティッシュからも血がにじんでいましたし、すぐさま治療とあいなりました。
そうして僕は先生の治療を受けましたが、これが聞きしにまさるすさまじさなんです。
まず傷口の消毒。これが全くしみないんです。消毒液たっぷりの脱脂綿を押し付けられたら、たいていは顔をゆがませたくなるものでしょ? それがありません。
むしろ、湧いてくるのはこそばゆさ。床屋とかで頭をいじられると、眠くなったりしませんか? あの感覚の指版なんですよ。
それから軟膏ぬって、ガーゼで止めて、という一連の流れでも痛みを感じることは、これっぽっちもありません。
先の食事のたとえなら、開いた傷口はそのまま上の口だとしたら、先生の処置はいずれも僕の大好物ばかり。別腹でいくらでも積み込めそうな心地よさ。それでいて満腹を知るところなし。食べた先から、血肉になっていくかのよう。
「あー、こりゃやばいわ」なんて感じたの、人生ではじめてでしたよ。
そんな風に、僕がなかばうっとりしていた時です。
ドーン、ドーンと、保健室の窓の向こうで音がしたんですよ。何度か聞いたことがあるからすぐわかりました。花火の音です。
まだ季節は4月。それも昼の時間帯ですよ? いくらなんでも、気が早いと思いました。
「変な奴がいるなあ」と思っていると、先生が急に治療の手を止めます。
「ちょっと待ってて」とイスから立ち上がった先生は、窓に引いてある厚いカーテンをちらりと開いたんです。
花火の音はまだしばらく続いていました。その間、先生はずっと僕をほったらかしにし、一心に窓へ食いついていたんです。僕の位置からだと先生の見ているものは見えませんでしたが、ときどき小さくうなずいているのが分かりましたよ。
花火が止むと、先生は僕に教室へ戻るように促してきました。実際、傷口はガーゼで覆われて痛みは引いています。それからの授業も問題なくこなせましたが、その日のお風呂にはいるときに、改めて驚きました。
ガーゼもろもろを外した指先はすでに、傷がつく前と変わらない状態になっていたんですから。
それからしばしば、僕たちの周りであの花火の音が聞こえるようになったんです。相変わらず、真っ昼間にですよ。
やたらイベントがあるんだなと、当初はみんなでウワサしていましたよ。でもそのうち、実際に色のついた花火を見たって子が現れ出したんです。
僕も見ましたよ。その花火は色と形は、夜に見るそれとそっくりでした。でも、昼に見るにしてはあまりに鮮やかすぎる。そして、落ちていくのも早すぎる。
花火はパラパラとゆっくり余韻を残しながら、地上へ降っていくものですよね? でも僕が見たそれは、まるで風船が破裂して、そのゴムが地上へ落ちていくかのようでした。
そして、もうひとつ気がついたことがあります。あの保健の先生です。
彼女が花火を見ているんです。少なくとも、僕が目撃したときには必ず姿がありました。たいていは校舎の外に出て、真っすぐ花火を見つめていましたね。しきりにうなずくのも、変わりません。
「満足、満足」。そんな声が聞こえてきそうでしたよ。
そして、僕が見た花火の中でも、最も大きい花火があがった日の放課後。通学路の途中で警察官による交通整理が行われていました。
ただの事故とは思えません。血痕があまりに飛び散りすぎていたからです。アスファルトや軒先ばかりじゃなく、建物の屋根の上にまでありましたから。
その血も赤や黒ばかりじゃありません。黄色とか緑とかが混じっていました。油とかが混じればこうなるかもしれませんが、僕は違うと思いましたよ。
先ほどあがった花火の色。それとそっくりな色合いをしていましたから。
次の日。僕たちのクラスで欠席者が出ました。
最初に僕に、保健の先生の気持ちよさを話をしてくれた子です。十数日後に登校してきたその子は、右足を膝からつま先にかけてをギプスで固め、松葉杖をついていました。
すぐ、あの事故が関わっているんじゃないかと思った僕は、事情を聞きましたよ。彼は僕の質問に青ざめた顔をします。そのあと、震える唇でひとことだけ答えてくれましたよ。
足が弾けた、と。
それから卒業までの数年間、彼がギプスを外すことはありませんでした。
僕は今でも不安に思う時があります。
あの花火を見るときの、先生の満足げな姿。あれは自分が手をかけたものの、成果が見られるのが嬉しかったんじゃないかと。
もし、僕たちにも同じような処置が施されていたなら、いったいいつ、弾けるときが来るのだろうと。