87 カドレア城 8
東星の残虐さに背筋が凍るような思いを味わい、動けないでいる私とは異なり、兄は恐れた様子もなく口を開いた。
「なるほど、私を動けない形にして手元に置き、愛でたいという気持ちは分からないではないが、……そうして、女性に望まれておきながらノーと言うことは私のスタイルに反するが、『家族を守る』という、より堅守すべきスタイルに反する場合は仕方がない」
そう言うと、兄はジョシュア師団長に向き直った。
「ということだ、ハイランダー王国陸上魔術師団長殿」
「……何がだ?」
当然のことながら、無邪気そうな表情の兄とは異なり、正式な役職名を呼ばれたジョシュア師団長は、用心深そうな表情で問い返した。
そんな師団長に対し、兄は珍しく丁寧な説明を返す。
「陸・海・空の3師団間に序列はないことになっているが、最も魔術師の数が多く、最も出動回数が多いのが陸上魔術師団であることは周知の事実だ。つまり、陸上魔術師団が最強で、その頂点であるジョシュア師団長殿が王国一の魔術師だということだ」
「……………」
「もちろん、一の当事者である私が対応すべき事案だとは思うが、魔力が返却されたばかりのため、体に馴染ませるにはもう少し時間が必要なようだ。今の私に出来ることは、せいぜい魔術を覚えたての幼児並みの働きでしかない。ということで、師団長閣下、カドレアの相手をよろしくお願いする」
そう言うと、師団長が返事をするよりも早く、兄は私の手を掴むと、乱立する柱の陰に引っ張って行った。
そうして、兄自身が私の盾になるかのように、私の正面に直立する。
「くっ、四星という超越した存在が相手であれば、どれほどの魔術師を連れてきたとしても、全員まとめて『弱者』扱いで、それほど差異はないだろうに!」
ジョシュア師団長の腹立たし気な声が、柱の後ろにいる私のところにまで聞こえてきたけれど、さすがは王国の師団長だけあって、すぐに気を取り直したようで、一瞬後にはよそ行きの声に切り替えていた。
「初めてお目にかかる、東星殿。ジョシュア・ウィステリアだ。念のために、1つ確認をしたいのだが、サフィアをばらばらにし、恐怖心によって魔法使いをコントロールしようというあなたの方針に変更の余地はないのか? そのような血なまぐさい手法を取らなくても、私が上手く取りなすことは可能だと思われるのだが」
返事の代わりに、地面が割れる音がした。
その耳障りな音と振動に身を竦めていると、兄が小さくため息を吐いた。
「……やあ、カドレアは短気なところが問題だな」
そう独り言のように呟くと、私と視線を合わせてきて、ふわりと綺麗に微笑む。
「ルチアーナ、助けに来てくれてありがとう。……ダメだな、私は。窮地に陥るほどに、一人で解決しようとする悪癖が出る。お前たちが私のためにこの城に来てくれたことを理解していたのに、その気持ちを投げ返そうとするとは。だが、お前の存在が契機となり、状況が好転したことは間違いない。お前が正しく、私が間違っていた」
「……お兄様、どうして今、そんなことを言うんですか?」
嫌な状況だ。
戦闘が終わった後ならば、どれだけでも世間話をする時間があるだろうに、どうして今を選んで、兄は感謝と反省を表すのだ。
まるで兄には、今しか私にお礼を言うタイミングがないみたいではないか。
「……うん? 理由などない。ただ、今この瞬間に、お前に言いたくなっただけだ」
そう答える兄の声が、いつも以上に優しく聞こえる気がして、嫌な予感が膨れ上がる。
……いやだ、いやだ、いやだ。
今だけは、お兄様に優しくされたくないというのに。
けれど、私が感じている恐怖を言葉にする前に、兄はラカーシュに視線を向けた。
「ラカーシュ殿、悪いがこの柱を一部撤去して、出口を作ってもらえないか。私は現状、体の中で魔力を慣らしているところなので、出来るだけ魔術を使用したくないのだ」
兄の言葉を聞いたラカーシュは、一切躊躇うことなく、柱に向かって両手を構えた。
いつの間にか、常に身に着けている手袋が外されている。
「火魔術 <修の1> 炎焦砲!」
ラカーシュの発声とともに、少し離れた場所にあった柱が2、3本、勢いよく吹き飛んだ。
色々と言いたいことはあったけれど、ラカーシュの魔術で人が通れるほどのスペースが空いたことを確認すると、私は心を決め、未だぱらぱらと柱の欠片が落ちている中を一気に駆け抜けた。
……冗談を言ったり、演技をしたりするので、分かりにくくはあるけれど、今回の件ではっきりしたことがある。お兄様は家族思いだ。
その証拠に、自分の身の安全は二の次にして、妹である私を守ろうとした。
だから、私がお兄様の弱みになってはいけない。
偶然であったとしても、役割分担で何かしら役に立てないかと考えていた私にとって、兄の魔力を取り戻す契機になれたのだとしたら、想定以上の出来事だ。
そして、私に出来ることはここまでだろう。
思い返してみても、フリティラリア公爵家で双頭の魔物を倒した際の兄の魔力は強力だった。
けれど、その時既に、兄は魔力のほとんどを東星に渡していたという。
だとしたら、魔力が戻ったお兄様はどれほど強いのだろう?
そう考えると、私がいても足手まといになるだけだ、という結論に達する。
つまり、今の私にできる最上のことは、できるだけ早く遠くに逃げて、兄の邪魔にならないようにすることだ。
そう思って、必死に走ったのだけれど、……どういうわけか、走っている私の目の前に東星が現れ、……立ち止まり、はっと息をのむ私に向かって、にいっと口が裂けるほどに微笑んだ。