86 カドレア城 7
「サフィア、お前は本当に狡猾で、憎らしいわね! わたくしの紋を利用するなんて!」
東星は一旦私から視線を外すと、憎々し気な表情で兄を振り返った。
「よくも、よくも、お前に移していたわたくしの紋を使って、魔法使いに付けていたわたくしの紋を、感知不能にしてくれたわね☆★★」
それは、背筋も凍るような恐ろしい表情だったのだけれど、兄は気にした様子もなく、とぼけた表情で首を傾けた。
「やあ、カドレア。いかにも真実のように語っているが、君の発言は全て、推測に基づいているのだろう? 証拠もないのだから、推定無罪の原則からいくと、現時点では完全なる濡れ衣だ。それなのに、いかにも真実であるかのように語るなんて」
困ったものだ、といった様子で肩を竦める兄を見て、東星の表情が醜く歪む。
「ふざけないでちょうだい!! わたくしに紋が戻った途端、『世界樹の魔法使い』に付けられた紋を感じ取れるようになるなんて、他にどんな説明があるというの!? そもそも、お前以外の誰が、大胆にもわたくしに盾突こうとするかしら★★★」
「いやーあ、これまた面白い推測だな。私は子羊よりもおとなしい平和主義者だというのに、酷い言われようだ」
東星から糾弾された兄は、まいったなといった様子で片手を顔にあてると天を仰ぐ。
それから、顔を覆った指の間から、ちらりと東星に視線をやった。
「……だが、結局のところ、君は念願だった魔法使いに会えたのだ。全てのことは水に流して、感激に浸ってはどうだ? そうして、偶然にも、魔法使いは私の妹だったのだから、君の焦がれ続けた魔法使いの兄として、今後は私に敬意を払うというのはどうだろう?」
……子羊よりもおとなしい平和主義者だと言った舌の根も乾かぬうちに、東星を煽っている兄は、絶対に平和主義ではないと思う。
そんな私の考えを肯定するかのように、兄に煽られた東星は好戦的な表情をすると、怒りのために全身をぶるぶると震わせていた。
「ふふふふふふふ! 狡猾! お前は本当に狡猾だわ!! 魔法使いがお前の妹だなんてね!! わたくしがどれほど魔法使いを待ち望んでいたか、お前は十分理解していたはずよ! それなのに、よりにもよってわたくしの前から隠蔽するなんて☆☆」
怒り心頭の東星を見て、兄が揶揄するかのような声を出した。
「やあ、カドレア、君はどうしても私が魔法使いを隠蔽していたと言いたいようだな。だが、思い出してみろ。君は今まで一度も、魔法使いの話を私にしていない。それなのに、君が魔法使いを待ち望んでいたことを理解しろというのは不可能な話ではないか?」
それから、兄はわざとらしくため息を吐く。
「君が魔法使いの話をし始めたのは、今回、私をこの城に攫ってきて以降だ。確かに、その話を聞いた際に妹の存在を話しはしなかったが、……君の執着は怖いほどだった。大事な妹の安全のために、私が少々用心深くなったとしても、理解してほしいものだな」
「無理ね! わたくしにはお前を理解できないようよ。決裂! お前とは決裂するわ!!」
そう言うと、東星は両手を頭上に高く伸ばしてから、勢いよく振り下ろした。
「風・裂・風!!」
瞬間、風が大きな刃物のような形を纏い、兄の両側の床を抉る。
その斬撃に気を取られた隙に、東星はふわりと浮き上がると一瞬で私の目の前まで移動してきた。
それから、東星は私に触れるほど顔を近付けると、にいっと口が裂けるほどに大きく微笑む。
「こんにちは魔法使いちゃん。わたくしは東星よ★」
「…………」
気丈さを装って返事をすべきだと思うけれど、恐怖で喉が絞まり、咄嗟に声が出てこない。
東星はそんな私を面白そうに見つめると、長い爪で私の鼻先に触れた。
「魔法使いちゃんには世界樹について、ちょっとしたお願いがあるの。けれど、わたくしのお願いは無理難題の部類に入るから、断られないか心配だわ。うふふ、意外かもしれないけれど、わたくしはナイーブで、断られると傷付いちゃうタイプなのよ。だから、自分を守るために、断られない状況を作らないとね☆」
そう言うと、東星はゆらりと私から顔を離し、片手を兄の方へ向ける。
「と☆いうことで、今からサフィアをちょっとだけ変形してみせるわね。ああ、残念、彼の美しい肢体はわたくしのお気に入りだったのだけれど、背に腹は代えられないわ。ふふふ、サフィアの手と足を2、3本もいだら、あなたはわたくしの言うことを聞くようになるのかしら? ……でも、安心して。わたくしは生と死を司る星だから、わたくしが望まない限りサフィアは死なないわ☆☆」
「お兄様を……」
言いかけた言葉は、無様に途中で途切れた。
問いかけであったとしても、傷付いた兄を連想させるような言葉を紡ぎたくなかったからだ。
けれど、東星が発した言葉から無残な兄の姿が想像され、無意識のうちに足ががくがくと震えてくる。
動揺している姿を見せることは、弱みに繋がると分かっていても、震えを止めることができない。
悔しさで思わず唇を噛み締めた私の姿を可笑しそうに見つめると、東星は晴れ晴れとした表情で口を開いた。
「うふふふふ、心配しなくても大丈夫よ。絶対にサフィアは、あなたに感謝するはずだから。だって、あなたがわたくしの前に姿を現さなければ、サフィアはわたくしに喰べられる予定だったのだから。……実を言うとね、昨日までは、ちゃあんとサフィアとの契約を更新しようと思っていたのよ。けれど、魔法使いが誕生したから……★」
そう言うと、東星は嬉しくてたまらないといった様子で両手を広げ、天を振り仰いだ。
「昨日、風が吹いたわ。……魔法使いの誕生を知らせる、清々しい風が。わたくしの体中の全てが戦慄したの。そうして、歓喜した。わたくしはずっと、ずっと、長い間、魔法使いを待ち望んでいたのだから。だけどね、風が吹いてきた方角は分かったけれど、魔法使い自身を認識することは出来なかったから、捕らえるために、わたくし自身を強化しなければと思ったのよ★★」
そう告げる東星の長く赤い髪を、風がざあっと揺らす。
舞い上がり、彼女自身にまとわりつく髪の間から、くすくすと笑い続ける東星は美しく、そのことが恐ろしくてたまらなかった。
……間違いなく東星は強い。
兄やジョシュア師団長をはじめとした多くの魔術師に取り囲まれている状況で、自分の勝利を疑うことなく、余裕の表情で笑い続けることができるほどに。
「ねえ、魔法使いちゃん、サフィアは凄いのよ。こんなに魔力が強い子、見たことないわ。だから、素敵な栄養になると思ったの。本当は、一時的な栄養にするよりも、契約で魔力をもらい続ける方が有益なんだけれど、今回ばかりは仕方がないと諦めたのよ。だって、サフィアという最上の栄養を取り込んだら、わたくしは一時的だとしても一段上に登って、魔法使いを探せるようになったはずだから☆」
……恐らく、東星が口にしているのは冗談ではないのだろう。
東星は本当に、兄を喰べようと思っていたのだ。
そう悟った瞬間、恐怖で全身が金縛りにあったかのように強張った。
拘束されているわけでもないのに、蛇に睨まれた蛙のように、視線を逸らすこともできなければ、動くこともできなくなる。
私はせめてもの抵抗と、睨みつけてみたのだけれど、東星はただ愉快そうな表情で目を細めただけだった。
「うふふ、可愛らしいこと。あなたはとっても良い子だわ。だって、自らわたくしの前に現れてくれたのだから。そうして、一目あなたを見たら、わたくしはもうあなたに夢中よ。あなた以外の全てが、どうでもいいと思えるくらいに。あんなにお気に入りだったサフィアですら、あなたの枷にするためなら壊してもいいと思うくらいだもの。うふふふふ、サフィアを栄養にするのは止めたけれど、最早動き回る自由はいらないわね。魔力をもらうだけなら、五体満足である必要はないもの……ねぇ?」
そう言うと、東星はにたりと笑った。
いつも読んでいただき、ありがとうございます!
1つご紹介をさせてください。
私は本作品の他に、「転生した大聖女は、聖女であることをひた隠す」という作品を書いているのですが、12/16(水)にノベル4巻が発売予定です。
1~3巻も発売中ですので、興味があられる方はお手に取っていただければ幸いです。
〇「転生した大聖女は、聖女であることをひた隠す」
前世で大聖女だったフィーアが、聖女の力が廃れてしまった300年後、絶大な能力を引き継いだまま転生する話です。命の危険があるので、聖女の力を隠して騎士になろうとするけれど、便利だから少し使っちゃえ! と試してみて、騎士たちから「お前すげえな!」と驚愕されたり、伝説の黒竜を従えたり、騎士団総長と対決したりします。
読むと明るい気持ちになれると思いますので、どうぞよろしくお願いします!