85 カドレア城 6
兄の言葉を聞いた東星は、不審そうな表情で指の一本を赤い唇にあてた。
「サフィア、物の道理が分かっているお前にしては、おかしな交渉ね。お前と契約を交わしたのは、2年と364日と21時間前だわ。つまり、あとたったの3時間で、お前の魔力はお前の元に戻るというのに、わたくしが喉から手が出るほど欲しがっている『魔法使い』の情報と等価に扱おうですって? 一体、何を狙っているのかしら☆」
対する兄は、何でもないことのように肩を竦める。
「ただのゲームだよ、カドレア。……だが、そうだな。初めてこの城に、私を迎えに来る者が現れたため、浮かれているのかもしれないな。ゲームが終了次第、彼らとともにこの城を去るが、魔力が戻っていた方が、私も格好がつくだろう?」
「……ふうん★★★」
そう言った東星の目が、細く細くなる。
「全くお前の考えが読めないけれど。あれほど追及しても、魔法使いなんて知らぬ存ぜぬで通していたお前が、突然、魔法使いに言及するなんて、何を企んでいるのかしらね?」
東星は疑いの視線で真正面から兄を見つめていたけれど、兄は見つめ返すだけで返事をしなかった。
そんな兄を前に、東星は暫く考えていた様子だったけれど、ふっと手元のカードに視線を落とすと、長く伸びた爪でカードの一枚を弾いた。
「……いいわ、その賭けに乗りましょう。わたくしの手札はこのままで結構よ。では、……ショーダウン★☆★」
そう言いながら、東星は勝ち誇ったような表情で、テーブルの上にカードを広げた。
「ストレートフラッシュ★」
公開された東星の手札は、ハートの7、ハートの8、ハートの9、ハートの10、ハートのジャックだった。
全てのカードが同じマークで構成され、連番の場合のみ成り立つこの手は、ストレートフラッシュと呼ばれる最強の役だ。
揃えようと思っても、なかなか揃えられるものではなく、この役を超えるには、同じくストレートフラッシュで、より数字の大きな連番を揃えるしかない。
つまり、5枚の手札全てを入れ替えてしまった兄に、ほとんど勝ち目はないということだ。
「お、お兄様」
思わず動揺したような声を上げてしまったけれど、兄は表情を崩さないまま、自分のカードに視線を落とした。
恐らく、手持ちのカードを入れ替えてから、初めて自分の手札を確認したはずなのだけれど、―――そして、自分の窮地を誰よりも分かっているはずなのだけれど、兄は何の感情も滲まない表情で「ああ」と呟くと、そのまま手札を公開した。
「同じくストレートフラッシュ」
兄の手札は、スペードの10、スペードのジャック、スペードのクイーン、スペードのキング、スペードのエースだった。
10以上の同種のカードで構成された連番は、ロイヤルストレートフラッシュと呼ばれる、ストレートフラッシュの中でも特別な役だ。
数十万回に1回出るかどうかの組み合わせで、それだけでも驚愕すべきことだというのに、さらに―――スペード、ハート、ダイヤ、クローバーの4種類のマークの中で、最も強いスペードで揃えられていた。
つまり、兄の手札はゲームの中で最強の手であり、完膚なきまでに東星を叩きのめしたということだった。
そのことを十分分かったうえで、兄はとぼけたような声を上げる。
「ああ、失礼。正確には、ロイヤルストレートフラッシュと言うべきだったな」
そうして、邪気がなさそうな表情でにこりと微笑む。
けれど、東星は兄の表情に着目することなく、兄のカードを確認した瞬間、乱暴な仕草で椅子から立ち上がると、ぎりりと唇を噛み締めた。
「サフィア、お前は何をしたの!?」
「うむ、質問の意味が分かりかねるが」
兄はわざとらしくも首を傾げると、質問の意図が分からないといった様子で返事をした。
……けれど、どんなに兄の芸が細かろうとも、誰もが演技であると分かっていた。
私たちも、そして、東星も。
その証拠に、東星は大きく表情を歪めると、糾弾するような声を上げた。
「とぼけないでちょうだい! スペードのロイヤルストレートフラッシュですって!? 全ての役の中でも最強の手札よ! 5枚ともに手札を変えておいて、そんな役を作るなんて、絶対に不可能だわ!! お前が今日中に死ぬ確率の方が、何倍も高いわよ★★★」
「やあ、ということは、この手札を揃えられた私は、今日を生き延び、明日まで生き残れる可能性が高くなったということだな」
兄は涼し気な表情でそう言うと、座っていた椅子から立ち上がった。
それから、美しい所作で洒落た形の手袋を外すと、テーブルの上に置いた。
「悪いな、カドレア。お前は私の魔力を戻すつもりなどなく、その前に私を喰らうつもりだったのだろうが、……約束という名の契約だ。魔力を返してもらおう」
そう兄が言葉を発した瞬間、―――契約の履行が開始され始める。
兄の言葉に呼応するかのように、兄の手の甲、そして、東星の手の甲が光り出した。
「くっ、サフィア……!!」
東星が噛み締めた唇の間から、悔し気な声を漏らす。
けれど、兄は東星に一切構うことなく、光り始めた自分の左腕を前に突き出した。
兄の手の甲に描かれていた東星の紋がより一層強く輝くと、紋のみが勢いよく浮き上がり、兄の手と分離した。
そして、兄の手から分離した東星の紋は、勢いよく東星の手の甲に戻る。
同時に、東星の手の甲に描かれていた兄の紋が、兄の左手に移った。
―――瞬間、空間を震わすような力の振動で、城全体が揺れる。
私を含めた誰もが、恐ろし気な表情で城の壁を見つめたけれど、兄だけは目を瞑り、左手の甲を反対側の手でぱしりと押さえた。
それから、目を瞑ったまま、何かを感じ取るかのように左手の甲を撫で続ける。
しんとした沈黙が続いた後、兄が恍惚とした声を上げた。
「……やあ、魔力が体中を巡っている。久しぶりの感覚だな」
それから、兄は少しだけ目を開き、口の端を引き上げた。
「カドレア、君に魔力を戻してもらったおかげで、私は非常に良い気分だ。この高揚した気分のまま、仲間たちとともにこの城を去ろうと思うのだが、遊戯終了ということでよいかな?」
「いいわけ、ないでしょう★★★」
憎々し気な表情とともに東星が叫んだ。
東星の声が響くと同時に、天井から床まで、あるいは、床から天井までを貫く形で、轟音とともに太い柱が何本も現れる。
ドン、ドン、ドン!! との音とともに現れた数百本の柱は、私たちを東星とともに閉じ込める形で、四方全てをぐるりと囲った。
「サフィア、よくもこのわたくしを謀ったわね! まさか、まさか、この場に魔法使いがいるなんて!!」
東星はそう叫ぶと、ぎらりとした視線で私を睨みつけてきた。