83 カドレア城 4
しばらくすると、早鐘のように打っていた心臓が落ち着いてきたので、私はきょろきょろと部屋の中を見回した。
自分が今いる場所を把握しようと思ったのだけれど、本棚や執務机が置かれていることから、執務室のように思われる。
まああ、お兄様にとって不要なはずの執務室が、他人様のお城にもあるなんて!
というか、四星の城で続き部屋まで与えられているなんて、どれほど重宝されているのかしら、と兄の立ち位置が心配になる。
思っていた以上に、東星はお兄様に執着しているのかもしれない。
だとしたら、お兄様を連れて帰ることは、簡単ではないはずだ。
そう考え、私はきゅっと唇を噛み締めた。
……お兄様が攫われたのは、私のせいだと思う。
東星は『魔法使い』を探していて、その手掛かりにするつもりで、お兄様を攫ったはずだ。
一方、お兄様は、私に東星の印が付けられた原因は自分かもしれないと考え、自ら囚われたはずだ。
だから、私が東星の前に現れ、お探しの魔法使いは私ではありませんよ、と証明できれば、全ては丸く収まると思うのだけれど。
けれど、『そうでないこと』を証明するには、一体どうすればいいのかしら?
不存在の証明なんて、前世でも「悪魔の証明」と呼ばれ、ほぼ不可能だと言われていたというのに。
さらなる問題は、お兄様を始め、ラカーシュやジョシュア師団長が、実際に私を魔法使いではないかと考えていることだ。
私は自分が魔法使いだなんてとても思えないけれど、皆が信じているのならば、そのことは態度に出るわよね。
私が否定しても、信じている人には誤魔化しているように見えるかもしれないし、東星がその光景を目にしたら、ますます私が本物に見えるかもしれない。
困ったわ。だとしたら、私は偽物なのに、本物だと認定されるかもしれないわよ。
その後での、「魔法使いと謀ったな!」との断罪。
あるいは、嘘をつかれたと激怒した東星からの攻撃。
あああ、私には『先見』の能力はないというのに、破滅的な未来が視えるようだわ、どうしたものかしら、と考えを巡らせていると、先ほど入ってきた扉が開かれ、ジョシュア師団長、ルイス、ラカーシュ、コンラートの4人が入ってきた。
ジョシュア師団長は激高していた態度から一転、冷静さを取り戻しているように見えた。
どうして落ち着いたのかしらと訝しく思っていると、視線を感じたのか、師団長が私を見つめてきた。
「ルチアーナ嬢、なぜ壁に張り付いているのだ? ソファに掛けていればよかったのに」
言われて気付いたけれど、私は体の全てをぴたりと壁にくっつけていた。
「え? あ、ああ、そうですね、それでお兄様は……」
壁から離れ、兄についての質問をしようとした私の言葉を遮るように、師団長が言葉を重ねる。
「サフィアは東星に呼ばれた」
「え?」
驚いて師団長を振り仰ぐと、感情が読めない表情で言葉を続けられた。
「サフィアが風呂から上がり、服を着用した途端、目の前から消えるような形でサフィアは召喚された。この城には幾つもの場所と場所が繋げてあるようだな。さて、サフィアの無事も確認できたし、私たちは帰るか」
「は? か、帰る? 帰る??」
ジョシュア師団長の言葉を理解出来ず、同じ言葉を繰り返す。
「お、お兄様が東星に呼ばれたのに、帰るなんてあり得ませんよ!! お兄様を助けにいかないと!」
慌ててジョシュア師団長の元に走り寄り、その服を掴むようにして詰め寄ると、肯定するかのように頷かれた。
「……そうだろうな、そうだと思うぞ、だから、そう言ったのに!」
「え、あの?」
大きな声で同じ言葉を繰り返す師団長を見て、思わず瞬きをする。
ジョシュア師団長はそんな私を見て、唇を歪めた。
「サフィアはルチアーナ嬢のことになると、全く計算ができなくなるようだ。私の知っているサフィアなら、どんなに追い詰められようと、必ずリスクと結果のバランスを勘案して最適な方法を選択するのだが、あなたがかかわった途端に考えることを放棄して、ルチアーナ嬢へのリスクゼロの道を選び取った」
「ど、どういうことですか?」
「つまり、サフィアは決断したのだ。あいつ一人がこの城に残留し、私たちはあなたとともにこの城を脱出することを」
「そんな馬鹿な! お兄様一人をこんな危険な城に残していけませんよ!」
思わず淑女らしからぬ、乱暴な言葉が漏れる。
ジョシュア師団長は私をちらりと見ると、考えるかのように口を開いた。
「サフィアは危険だ、というルチアーナ嬢の考えに私も同意する。……あいつは独特のアイディアを持っているし、全てのカードをつまびらかにするタイプではないし、ポーカーフェイスが堂に入っているので、危険度合いがよく分からないが、……それにしても、相手が悪すぎる」
「つまり、お兄様は危険だということですよね? 私は行きます! フリティラリア公爵家でも、物の数くらいには入ったんです。役割分担で、私に出来ることがあるかもしれません」
勢い込んで話をする私を見て、ジョシュア師団長は可笑しそうに微笑んだ。
「そうだろうとも。短い付き合いの私でも、ルチアーナ嬢はそう言うだろうと思っていた。それが分からないサフィアでもないだろうに、どこまで過保護なのだ、あいつは! ……よし、ルチアーナ嬢、私は公爵家の子息として、女性の希望を否定するような教育は受けていない。よって、あなたの希望通り東星の元へ向かうとしよう」
そう言って晴れやかに笑ったジョシュア師団長を見て、―――遥かに上位の存在である東星と対峙する道を、一切の躊躇いなく選んでくれた師団長を、凄いなと素直に思った。
師団長が攻略対象者として人気が高かった理由が、分かった気がした。