82 カドレア城 3
「『何をしているのか』と問われれば、『風呂に入っている』と答えざるをえなくて、『なぜ風呂に入っているのか』と問われれば、『そう命じられたからだ』としか答えられないのだが……」
5対の目に見つめられる中、兄は優雅な仕草で小首を傾げた。
冷静に状況を考察してみると、着衣のまま入浴する姿なんて滑稽でしかないはずなのに、どういうわけか兄の姿はただただ麗しかった。
そのうえ、突然部屋に押し入られたにもかかわらず、落ち着き払っていて、硬直した私たちを不思議そうに見つめてくる。
しばらく沈黙が続くと、誰一人兄の言葉に返そうとしないことを見て取ったようで、兄は大仰なため息をついた。
「誰一人返事もくれないとは、つれないものだな。そのうえ、私はただ質問をされた通りに答えただけだというのに、君たちは口を開いた途端、『そんなことを聞いているのではない!』と返すのだろうな」
実に理不尽だ、と兄はつぶやいた。
兄の芝居めいた仕草を目にしたジョシュア師団長は、ふるふると震えながら、何かの衝動を我慢するかのように拳を握りしめる。
そんな師団長を横目に見ると、兄はわざとらしくも困ったような表情でため息をつき、湯を含み重さを増したシャツの襟元を窮屈そうにひっぱった。
それから、私に視線を向けると、諦めたように肩を竦める。
「やー、ルチアーナ、お前は知らないだろうが、私は着衣のまま風呂に入る習慣はないのだ。それもこれも、お前たちが私を訪問する時間が不明だったため、紳士として身を慎んだだけなのだが。……それとも、要らぬ気遣いだったか?」
「はい?」
突然、名指しされたため、条件反射で返事をする。
兄の言っていることはさっぱり理解出来ないが、着衣のまま入浴するという非常識さを私のせいにされているような話の流れが気に入らない。
私はぱちぱちと瞬きをすると、兄の言葉を全力で理解しようとしたけれど、兄は気鬱そうにふやけた自分の指先を見つめるだけだった。
「カドレアはああ見えて綺麗好きなのだ。彼女の城に入城するとまず、入浴することが義務付けられているくらいには。普段であれば何の問題もないのだが、今回はカドレアの城に招待されたところをルチアーナ、お前に見られたからな。兄好きのお前ならば間違いなく、すぐに私の元に駆けつけてくるだろうと、いつ何時この部屋に踏み込まれてもいいよう服を着用したままでいたのだ」
「……なるほど」
実際は全く納得していないのだけれど、それ以外の返事が見つからない。
「そ、……れは細やかなお気遣いですが、お兄様の服はびしょびしょですよ? その服はどうするつもりですか?」
全てが理解出来ないことだらけなので、とりあえずは理解出来る末端の出来事から話題にしていこうと、濡れた服について尋ねてみる。
すると、兄はふっとおかしそうに微笑んだ。
「もちろん今度こそ、この邪魔な服を脱いで風呂に入るに決まっている。お前たちが突然、私の部屋に闖入してくる可能性がなくなったからな。ルチアーナ、いい子だから大人しく隣の部屋で待っていなさい。間違っても、風呂を覗こうなどと、子どもじみた悪戯を起こすんじゃあないぞ?」
「し、し、しませんよ!! なんの利益があるのですか!!」
「やー、それはほら、利益はお前の考え方次第だ。つまり……」
言いながら、兄はシャツのボタンをいくつも外していく。
「ななななな、何で脱ぐんですか! は、話の途中ですよ!!」
「おや? お前は利益を享受し始めているかと思ったのだが……」
兄はわざとらしく胸元をはだけさせると、上目遣いで私を見つめてきた。
「ぴぎゃ! し、していませんよ! そして、もちろん何一つ見てもいませんよ! 失礼しました!!」
兄が面白がっているのは分かったけれど、私はもうそれ以上兄の相手をすることなく、一番初めに目に入った扉の取っ手を回すと、開いた先の部屋に飛び込んだ。
むり、むり、むりだわ。
元喪女には、あんな場面の対応は無理だわ!
あああああ、お兄様が特別破廉恥なのかしら、それとも、あの程度の冗談は常識の範囲内なのかしら。
喪女的には一発退場の完全アウトな行動だけれど、一般のご令嬢たちにとっては冗談の範囲で、笑って流す場面なのかどうかが分からない。
いえ、どちらにしても私には対応不可能だから、逃げ出すまでだわ!
ああ、でも、待って! 悪役令嬢・ルチアーナならば嫣然と微笑んで、上からお兄様を切り捨てる場面なのかしら?
うわー、そう考えると、悪役令嬢ってのは物凄く大変な役どころだわね!
そんな風に全くくだらないことを考えながら、どきどきと高鳴り出した胸を押さえ、私は必死に壁に張り付いていたのだった。