80 カドレア城 1
「カドレアの城への入り口は、サフィアの部屋の中にある」
コンラートはあっさりと重要なことを口にした。
「『四星』の城への入り口が、サフィアの部屋にあるだと!?」
驚いたような声を上げたのは、ジョシュア師団長だ。
振り返ると、苦虫を噛み潰したような表情で、長い髪に指を突っ込んでいる。
「サフィアめ、よくもぬけぬけと3年前に1度のみの交渉だったと言ってくれたな……! あいつ、自分の部屋に入り口を置かれるなんて、どれだけ『東星』に執着されているんだ!!」
ジョシュア師団長は腹立たし気に呟くと、自分を落ち着かせるためか、片手で顔を拭うような仕草をした。
それから、慎重そうな表情で私とコンラートを見つめると、ゆっくりと近付いてきた。
怖がりの小動物を脅かすまいとしている、大型の肉食獣のようだ。
師団長はコンラートの数歩前で立ち止まると、怖がらせないための気遣いか、床に片膝を突いて視線の高さを調整してきた。
「懐かしいな、……と言ってもいいものか」
師団長は躊躇いがちにそう口を開くと、困ったようにコンラートを見つめた。
「少しだけ、話をしてもいいかな?」
ジョシュア師団長の問いかけを聞いたコンラートは、無意識の仕草で私の手をぎゅっと握ると、小さく頷いた。
その様子を見た師団長が、安心したように息を吐き出す。
「……君の話だと、偶然ルチアーナ嬢と出会ったようだが、我がウィステリア公爵家の藤色と同じ色合いのダイアンサス侯爵家で暮らしていることに、意味を見出したい気持ちになるな」
そう言いながら、ジョシュア師団長はコンラートの青紫色の髪の毛を何とも言えない表情で見つめてきた。
「先ほどは、私を兄と呼んでくれたね。君は自分が何者であるのか混乱しているようだけれど、ダリルであることを選び取ってくれたら嬉しい。私は君の兄として何も成せぬまま、君を遠くへ旅立たせてしまった。人生は残酷で、失ったものは二度と戻らないはずなのだけれど、超自然的な力が働いて君を再び形作ってくれた」
それから、師団長は片手を自分の胸に当てると、何事かを誓うかのような厳かさでコンラートを見つめた。
「一度訪れた死を覆すことは世界の理に反することで、大変な対価を必要とするはずだ。だが、もしも君がそれを望むのであれば、私は今度こそ君を守ると約束しよう。どのような対価であれ、私が払ってやる」
「ジョシュア兄上……」
コンラートは思わず、と言った風に師団長の名前を呼んだ。しかも、「兄上」と。
よく見ると、コンラートの目元に涙が盛り上がっていて、一筋、また一筋と頬を流れていく。
コンラートの頬を流れているのは、間違いなく喜びの涙だった。
その喜びが自分のことのように感じられ、嬉しくて胸の中がぽかぽかと温かくなる。
……よかったわね、コンちゃん。
こんなに愛情深く、包み込むようなことを言われたら、物凄く嬉しいわよね。
しかも相手は、コンちゃんの前身であるダリルがずっと焦がれていた兄だ。
母の愛情を独り占めしていたから、嫌われていたのではないかと心配していただろうに、ジョシュア師団長は恨み言など一切言わず、ただ愛情のみを返してくれた。
ああ、ジョシュア師団長が愛情深い人でよかったわ。
そして、その分だけ、「それなのに」と残念に思う。
こんなに素敵なジョシュア師団長がいたのだから、何かを掛け違わなければ、全てが上手くいっていたかもしれないのに。
そうしたら、ダリルは悲しみを抱えてその生を終わらせることはなかったのに。
やりきれない思いで2人を見つめていると、ジョシュア師団長が後ろを振り返った。
師団長は物問いたげにルイスを見つめたけれど、ルイスが硬直したかのように動けないでいることに気付くと、もう一度コンラートに向きなおる。
「ルイスは私よりも何倍も深く、君のことを思っているのだけれど、思いが深すぎて、まだ君とは向き合えないようだ。もちろん君にも心情を整理する時間が必要だろうから、落ち着いた時にルイスに時間をもらえるとありがたいな」
師団長の言葉に、コンラートは黙ったまま頷いた。
それから、私たちはコンラートが落ち着くのを待って、サフィアお兄様の部屋に向かった。
お兄様の部屋は、居間と執務室と寝室の3部屋から成り立っている。
コンラートは迷いもせずに執務室の扉を開けると、すたすたと入り込んだ。
お兄様の執務室!
普段から全く机に向かっている様子が見受けられないので、これほど無駄なものはないと思っていたのだけれど、そんな誰もが興味を持たない場所に大事なものを隠していたなんて。
「盲点だったわ」と、そう思う私の視界の先に、堂々としたお城のミニチュアが見えた。
執務机に繋がるように正方形のローテーブルが置いてあり、その上を全て塞ぐ形でお城のミニチュアが置いてある。
城壁の半分は赤で半分は黒という、斬新な色使いのお城だ。
「……は? 冗談だろう?」
ジョシュア師団長が信じられないといった様子で、城の玩具を見て呟く。
「こんな無造作に、隠しもせずにカドレア城が置いてあるのか?」
コンラートは師団長をちらりと見ると、肯定の印に頷いた。
「そうだね、サフィアはそういう人物だよ。赤が生で黒が死を表すとカドレアは言っていたから、正にカドレアの能力を表すお城だね。……僕は、カドレアとの契約紋があるから、この城から弾かれることはない。僕に掴まってもらうと、僕と一体化して見られるから、問題なく入城出来るはずだけれど」
問いかけるようにコンラートが周りを見回してきたので、私は慌ててコンラートの手を握る。
「お姉様はどこまでもコンちゃんの味方よ! ジョシュア師団長には遠く及ばないけれど、お姉様もコンちゃんのためなら何だって出来るからね!」
コンラートをジョシュア師団長に盗られてしまわないよう、さりげなく役に立つアピールをしておく。
そんな私を気にした風もなく、ジョシュア師団長がコンラートのもう一方の手を握った。
「……小さな手だな。私はこんなに幼き者を守れなかったのか。ああ、ダリル、今度こそ私が君を守ろう」
ルイスは聞こえないほどの小さな声で呟くと、コンちゃんの服の端を握った。
「僕も一緒に行かせてください」
最後にラカーシュが落ち着いた声を出した。
「私もご一緒しよう」
そうして、コンラートは全員が彼に触れていることを確認すると、カドレア城に向かって手を伸ばした。