8 ラカーシュを避けるべきか? 避けざるべきか? それが問題だ 3
翌日からは週末だったので、寮で生活している他の生徒たちと同様、私も王都にある侯爵邸に戻った。
馬車に揺られながら、先ほどの出来事を思い返してみる。
ゲームでは一人っ子設定だったラカーシュに妹がいた!
驚くべき事実だったけれど、受け入れてみると色々なものが腑に落ちる。
そうか、先ほど美少女セリアと見つめあった時、彼女の黒い瞳に既視感を覚えたけれど、あれはラカーシュの瞳と同じだったからだ。
セリアが私を牽制していたのは、お兄様大好きっ娘としての行動だったのね。
王太子がセリアに心を許していた様子だったのも、従兄妹の関係だったのならば納得だ。
そんな風に考えながら、私は神妙な顔で窓から外を眺めた。
なぜなら、この世界がゲームの設定と一部異なることが分かったからだ。
ということは、悪役令嬢である私の結末が、ゲームの結末と異なることは大いにある話だ。
私は追放されないのかもしれないな。平和主義に転向して大人しくしていれば、その可能性はもっと上がりそうな気がするな。
そして、ラカーシュが今週末、魔物に襲われない可能性もあるかもしれないな。
―――ゲームの中では魔物に襲われていたラカーシュ。
片足を引きちぎられはしたけれど、回復魔術により歩行可能なまでに回復していたし、命がなくなるわけではなかった。
それでも気にはなって、なんとか領地に戻らないよう引き留められないかと、明日のデートに誘ってみたけれど、あっさり断られた。
だから、もうこれ以上出来ることはないなと思いながらも、悲劇を知っているのに何もできない自分にもやもやしていたのだけれど、もしかしたらこの世界はゲームの内容とは少し異なるのかもしれない。
だとしたら、ラカーシュが魔物に襲われることもないかもしれないな。
そう思った私はやっと、少しだけ心が穏やかになった。
ただ、ほっとしながらも、何かを見逃しているようなちりりとした感じが消えないことを不思議に思っていた。
侯爵邸に戻り、家族で夕食を食べ、ほかほかのお風呂に入り、これまたほかほかのベッドに入って目を瞑ったところで……
「あ―――――っ!!!」
大声で叫んだ。
「何事ですか!?」
慌てた様に侍女や護衛が飛び込んできたけれど、髪を振り乱した私がベッドに半身を起こして呆然としている様子を見て、「悪い夢を見られたんですね」と言いながら、安心したように部屋から出て行った。
けれど、私の心の中は安心とは程遠かった。
心臓はばくばくと音を刻み、ぼとぼとと汗が吹き出てくる。
……いた。かもしれない。
私は目を見開いて、一生懸命記憶を辿る。
そんな私の脳裏にちらりと、黒髪黒瞳の女の子の姿が浮かんだ。
……ラカーシュに妹がいた、かもしれない……
私は両手で左右のこめかみをぎゅっと押さえると、ずきずきと痛みだした頭に構うことなく、唇をぐっと噛みしめた。
ゲームの中のラカーシュは、1度も妹の話をしたことがなかった。そして、他の誰だって、ラカーシュに妹がいるなんて話をしたことはなかった。
けれど、「ラカーシュは一人っ子だものね」と誰かが話しかけた時、ラカーシュは鉄面皮と言われていた表情を歪め、不自然な間を取った後に「そうだな」と答えていた。
……もしかしたら、隠しストーリーがあったのかもしれない。
この世界の舞台となった『魔術王国のシンデレラ』は、基本無料のネットゲームだったけれど、お金を払うことで素敵なドレスやアイテムが買えたり、隠しストーリーを楽しめたりしていた。
前世の私はほとんど課金をしなかったので、ラカーシュの隠しストーリーはクリアしていないのだけれど、その中でラカーシュの過去の話として、妹が登場していたのかもしれない。
思い出したけれど、ラカーシュルートで彼の私室に入った時、窓際の一番いい場所にラカーシュと黒髪黒瞳の少女との2ショット写真が飾られていて、不思議に思ったものだ。
親戚の女の子なのだろうけど、いや、こんなところに飾るかな? と、違和感を覚えたのだ。
結局、あの女の子が誰なのか、本編で語られることはなかったので、いつの間にか忘れ去っていたのだけれど、写真の女の子がラカーシュの妹で、隠しストーリーを仄めかしていたのならば納得だ。
だとしたら、この世界はやはりゲーム通りで、……ゲームがスタートする半年後には、ラカーシュは一人っ子になっているということだ。
私はぞくりと背筋が凍るような感覚を味い、思わず両腕で自分を抱きしめた。
ここは、現実の世界だ。
ゲームの世界と非常に酷似しているけれど、あくまで現実世界だ。
だから、やり直しはきかないし、怖いと思う感情も、痛いと思う感覚も、実際に体験するものだ。
……ラカーシュが傷を負うというのは、まだ看過できる出来事かと思っていたけれど、一人の少女が亡くなるという出来事は、果たして見逃せるものなのだろうか?
何も知らない、記号として存在する少女ではない。
セリアという名前がついていて、王太子やラカーシュから愛されている兄が大好きな少女だ。声も聞いた。
そんな少女に起こる悲劇を知っていながら見逃したとしたら、明日の私は同じように笑えるのだろうか?
……でも、魔力が弱い私に、魔物に襲われるであろう2人に対して、一体何ができるのだろう?
でも、だからといって、いや……ぐるぐると思考は空回りする。
考えて、考えて、考えて。
―――結局、その夜は一睡もできないままに、翌朝を迎えた。