【SIDE】ウィステリア公爵家ダリル 4
ルイスは驚くほど短い時間で、僕が伏せている部屋に駆け付けた。
はあはあと息を切らしているところを見ると、知らせを受けてすぐに走ってきたのだろう。
久しぶりに目にしたルイスは、少しだけ背が伸びているように見えた。
髪も伸びており、ルイスが確かに生きていることを僕に実感させてくれる。
……ああ、ルイス。
お前はこの後も成長して、色々なものを見て、色々と感じるのだろう。
僕たちは同じものだから、お前が体感する全ては僕のものでもある。
ありがとう、ルイス。僕らが双子であった意味は、ここにあったのだ。
勝手な話ではあるけれど、僕がお前の中でこの後もずっと、一緒に生き続けることに。
そう嬉しく思い、ルイスにこれまでのことと、これからのことについて感謝を述べようとした正にその時、母がルイスを抱きしめた。
―――ルイスにとっては、初めての体験だった。
生まれ出でた時ですら、ルイスは母に抱かれもしなかったのだから。
突然の出来事に目を見開き、呼吸さえ止めてしまったように見えたルイスに向かって、母は殊更優しい声を出した。
「ルイス、可愛い私の子ども。大好きよ」
その言葉を聞いたルイスは、びくりと全身を硬直させたけれど、次の瞬間にはボロボロと大粒の涙を流し出した。
僕はルイスの嬉しさを、自分のことのように感じることが出来た。
知らず、僕の頬にも嬉しさの涙が流れる。
……ああ、やっぱり母はルイスも愛していた。
先ほどは混乱して、おかしなことを口走っていた母だったけれど、ルイスを見た途端に正気に戻り、愛しさが込み上げてきたのだろう。
あるいは、もしかしたら僕が間もなく死ぬという恐怖が、母にルイスへの愛情を取り戻してくれたのかもしれない。
だとしたら、僕の死にも意味があるようで嬉しい。
そう考えていた正にその時、母は満面の笑みのままルイスに毒を吐いた。
「だからね、ルイス。あなたの命をダリルにちょうだい」
先ほど、母から事前に恐ろしい話を聞いていたにもかかわらず、僕はその瞬間、母の言葉の意味を理解することが出来なかった。
―――理解したくなかったのか、そのようなことを本気で願うはずがないとの思い込みで理解できなかったのか。
同じように母の言葉を理解出来ていないルイスが、嬉し涙を流したまま、笑顔のまま、母を見上げる。
そんなルイスを、母は変わらぬ慈愛に満ちた笑顔で見下ろした。
「ルイス、あなたをこの世に生み出したのはお母様よ。お母様がいなければ、あなたに命が与えられることはなかったのだから。だから、その命をお母様の言う通りに使ってちょうだい」
「お、母様……?」
初めて、―――生まれて初めて、ルイスが母親に向かって呼び掛けた。
無視されることが怖くて、ルイスはこれまで母親に呼び掛けることすらできなかったのだけれど、その時のルイスはとても自然に、母親に向かって呼び掛けることが出来ていた。
そして、母もそんなルイスを無視することはなかったけれど、……むしろ、慈愛に満ちた微笑みでもって言葉を返したけれど―――その言葉はナイフのように尖っていて、ルイスを刺した。
「ルイス、あなたの体の中身とダリルの体の中身を取り換えるのよ。そうしたら、あなたはダリルの一部になれるわ。ダリルの中に入ったあなたの体を、お母様がいっぱい抱きしめてあげるから。だから、あなたは寂しくないわ」
ルイスの心が絶望に染まるのが分かった。
ルイスの頬には、先ほどと同じように大粒の涙がぼろぼろと流れ続けていたけれど、明らかに先ほどの喜びの涙とは意味が異なるものだった。
けれど、―――ルイスはそれでも、大好きな母親の願いを断るという選択肢を持っていなかった。
「……はい、お母様。僕がダリルの一部になったら、いっぱい抱きしめてくださいね」
「ええ、約束するわ。……ありがとう、ルイス。大好きよ」
言いながら母はもう一度ルイスを抱きしめると、いとも簡単に愛の言葉をささやいた。
―――いとも簡単に。
「僕も……大好きです。お母様」
ルイスがささやいた言葉と母がささやいた言葉は同じものだったけれど、その重みは天と地ほども異なっていた。
そして、そのことをルイスは誰よりも理解していたはずだ。
だから、もはや僕には、ルイスが浮かべている微笑みの意味が分からなかった。
その微笑みの理由は、母に切り捨てられた悲しみなのか、今後は愛すると約束された喜びなのか。
……ああ、ルイス、僕とお前は別のモノだ。
だから、こんな肝心な時に、お前の気持ちを理解することができない。
ルイス、僕が笑っているだけでは、お前は幸せになれない。
お前が幸せになるためには、お前自身が笑う必要があるのだ。
だから、―――お前は僕の一部になど、なってはならない。
―――僕には絶対に、僕の命の代わりにルイスを差し出すことなんて出来やしない。
だから、………その晩、僕は逃げ出した。
ベッドから起き上がるだけでも息切れをしていた僕だ。
ベッドから起き上がるだけでなく、館を抜け出し、夜道を歩くという、ただそれだけの行動が最後の力を使わせていることは分かっていたけれど。
それでも僕は、一歩一歩と踏み出し、出来るだけ館から遠ざかろうとした。
僕の大好きな、大好きなルイス。僕の半身とも思える双子の兄。
だけど、ルイス、お前は決して半身ではなくて、1人の人間だから。
だから、決して僕の身代わりにさせてはいけない。
―――つい先ほど、ルイスの命を引き継がせようとした僕に対して、母は初めて『魅了』の能力について説明してくれた。
僕がいかに大事な存在で、だからこそルイスの命を引き継がなければならないのだと。
だけど、ねえ、お母様。
ルイスも同じくらい大事な存在なのですよ。
そう考えながらも力尽きて、道の端に倒れ込んでしまった僕を、真上から見下ろす存在があった。
深紅の髪を持つ、闇夜にも輝く存在―――
「『魅了』だなんて、レアものね。もーらった★」
―――それが、『東星』との出会いだった。