【SIDE】ウィステリア公爵家ダリル 2
僕が母から愛されていたことは、疑いようもない。
僕と母の関係には、常にプラスの作用が働いていた。
母は僕に関することを全て自分でやりたがり、実際にそうした。
母がつきっきりで面倒を見るものだから、僕はその分だけ母に懐き、母が視界からいなくなっただけで泣き始めてしまう子どもになった。
そんな僕を見て、ああ、この子は自分のことが大好きなのだと、自分がいなければ生きていくことも出来ないのだと感じて、母はより一層僕の世話を焼くようになった。その繰り返しだった。
そもそも僕は、『魅了』の魔術を全開にして、「お母さま」「お母さま」と母の愛を乞うていたのだから、母に抵抗できるはずもない。
母は僕をべったりと抱き込んで、文字通り片時も離さず、2人きりの幸福な時間を過ごしていた。
疑問を覚えたのは、5歳になった頃だ。
テラスでお茶を飲んでいると、建物の陰から顔を半分だけ覗かせた、同い年くらいの少年が僕を見つめていることに気が付いた。
あの子は誰だろう?
その少年は居心地が悪くなるくらいじっと僕を見つめていたけれど、僕と目が合うと、ぱっと身をひるがえして走り去っていった。
気になった僕は、その日からさり気なく、自分の周りを観察するようになった。
すると、毎日のように、あの少年が物陰から僕を覗き見ていることに気が付いた。
少年はいつだって、興味深げに遠くから僕を見つめているけれど、僕が顔を上げて彼を見つめ返すと、身をひるがえして走り去ってしまう。
あの少年は誰だろう? どうして、いつも僕を見つめているのだろう?
そんな疑問を抱き続けていたある日、今まで半分しか見えていなかったその少年の顔が全て視界に入ってきたことで、僕の日常はひっくり返った。
彼は僕にそっくりだったのだ。
―――僕は、心の底から驚いた。
母に読み聞かせてもらった童話の中に、主人公そっくりに化ける魔物がいて、幸福な主人公の人生と不幸な魔物の人生を取り換えようとする話があったけれど、咄嗟にその話を思い出す。
驚きのままに母に話をすると、その通りだと肯定された。
「あなたの言う通りよ、ダリル。あなたがとっても幸せだから、あなたと入れ替わろうとしている悪いモノが覗いているのよ。だから、もしも近付いてきても、口をきいてはダメよ」
少し考えれば、厳重に警備されている公爵家の庭に、魔物が入り込む隙などないことは分かっただろうけれど、その頃の僕は幼く、母が嘘をつくなんて微塵も思っていなかったので、言われたことを全て信じてしまった。
お母様は優しい。そんなお母様といつも一緒にいられる僕はとっても幸せだ。
だから、魔物が僕の幸せな人生を横取りしようと、同じ顔をして入れ替わりを狙っているのだ。
そう考え、とても怖くなった僕は、絶対に入れ替わりなんてさせないと、僕そっくりの容姿の魔物に、並々ならぬ警戒心を抱いていた。
けれど、その魔物はいつだって物陰から様子をうかがっているだけで、近付いてくることはなかった。
そのことに安堵しながらも、本当にあの魔物には入れ替わろうという気持ちがないのだろうか? と、恐れながら観察を続けているうちに、いつしか僕は気が付いた。
魔物が見つめているのは僕ではなくて、母だと言うことに。
そのことに気付いた途端、僕は戦慄した。
母はとっても優しくて美しかったから、魔物に狙われているのだと僕は思ったのだ。
そして、僕が母を守らなければならないと考えた。
僕はすぐに、純粋な正義感でもって魔物と対決した。
多分僕は、彼に「魔物」と呼び掛けたと思う。
彼は、……僕に「魔物」と呼びかけられた、僕と同じ顔をした幼い子どもは、その瞬間ぼろぼろと大粒の涙を零して泣き出した。
「え? え? えええ??」
僕が驚いたのも無理はないと思う。
なぜなら、僕は彼のことを完全に魔物だと思い込んでいたし、魔物が悲しみなんかで涙を流さないことは常識だったから。
驚いて立ち尽くす僕に向かって、彼はしゃくりあげながら言葉を発した。
「魔物じゃ……ないよ。僕は、ルイス。君の、兄……だよ……」
「え?」
「同じ……顔を……しているだろう? それは、僕らが双子だからだ」
「ええ?」
僕にとっては、全てが寝耳に水だった。
僕が双子だなんて、初耳だったのだ。
そんな重要なことを誰一人僕に教えもしないなんて、そんな荒唐無稽な話があるものかと思いながらも、じゃあ、どうして彼は僕にそっくりなのだろうと疑問が生じる。
僕がびっくりして何も言えないでいると、ルイスを探していたジョシュア兄上がやってきた。
「ルイス、こんなところにいたのか」
ジョシュア兄上は、まるで彼自身が父親でもあるかのように優しく呼びかけながら、心配そうにルイスに向かって手を伸ばした。
泣きじゃくっていたルイスはジョシュア兄上に抱き着いていき、そのまま泣き続けている。
ジョシュア兄上はそんなルイスの頭を愛しそうに撫でながら、僕に視線を向けた。
「ダリル。お前の双子の兄のルイスだ。とは言っても、ルイスはお前より3か月早く生まれたから、誕生日も異なっているが。……それでも、間違いなくお前とは双子だよ」
―――僕の双子の兄!!
ジョシュア兄上の言葉に驚愕して、泣きじゃくっているルイスを呆然として見つめていると、夫である公爵に呼ばれていた母が戻って来た。
母はルイスを見ると表情を険しくして、聞いたこともないような鋭い声を出した。
「どうしてお前がダリルの前に姿を現すの! ジョシュア、この見苦しい子を見えないところまで連れて行きなさい!」
「母上……」
ジョシュア兄上は母上の言葉に従うべきかどうか躊躇っていたけれど、何かを決断したかのような表情をすると視線を合わせ、意を決したように口を開いた。
「……ダリルが我がウィステリア公爵家にとって、非常に尊ぶべき存在なのは間違いありませんが、ルイスも、そして私もあなたの息子ですよ。時々でよいので、母上のお側でお話などをさせていただくわけにはいきませんか?」
「もちろん、駄目に決まっているわ! 私はダリルと過ごすことで忙しいの。なぜ、ダリルとの時間を、お前たちのために割かなければならないの? 何のために? ダリルは『魅了』の継承者で、私をこの公爵家で価値のある人間にしてくれた唯一人の子どもなのだから、私の全ての時間をダリルのために使うのが道理でしょう。お前たちを産んだからと言って、公爵は見向きもしてくれなかったわ」
……止めて、お母様。
僕は突然目の前で繰り広げられ始めた、兄たちと母の言い合いを目にして、気分が悪くなる。
けれど、その時の僕は気持ちの悪さを我慢することに精一杯で、制止の声を上げることまで気が回らなかった。
そのため、目の前の会話はどんどんと進行していく。
ジョシュア兄上は懇願するような表情で、母にたたみかけていた。
「母上の子どもというだけでは、私たちに価値を感じていただけませんか?」
対する母は、侮蔑の表情を浮かべて息子2人を見下ろしていた。
「それはお前たちの父親に言うべき言葉でしょう。公爵がお前たちに価値を感じていないのであり、私は彼の方針に同意しているというだけの話なのだから。不満があるのならば、この公爵家の在り方を直すべきだわ。……あら、失礼。お前たちは家督を継ぐことなんてできないのだから、この家の在り方を直すなんて、出来るはずもないことだったわね」
そう言った母の顔が、とても醜悪に見える。
けれど、それだけでは終わらずに、母はルイスに向かって不快そうに口を開いた。
「この泥棒が! お前は私のお腹の中から、ダリルのものだった栄養分を盗んだことで、生きながらえているだけだというのに! その盗んだ体で、図々しくもダリルの側に近寄らないでちょうだい!」
……美しく、優しい母が。
とても醜悪な表情で。
僕と同じ顔の子どもを罵っている。
―――僕は、それまで僕が暮らしていた穏やかで美しい世界が、ぱりんと音を立てて壊れるのを見た。