75 コンラート 9
王都の居住地域は、身分によって明確に区分されている。
貴族が居を構える一角は王都で最も治安が良い地区にあり、王城に近い「1番街」から順に有力貴族が館を構えていた。
公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵と貴族は大きく5つに分類できるけれど、最上位に位置する公爵家は極端に数が少なく、国内に4つしか存在しない。
つまり、その4つしかない公爵家の1つであるウィステリア公爵家は、当然のこととして1番街に居を構えていた。
そして、第2位の爵位である我がダイアンサス侯爵家は、隣の地区である「2番街」に館を構えているため、ほんのわずかな時間を馬車に揺られただけで館に到着した。
深夜の帰宅ということで執事は驚いただろうに、昼間と同じように隙のない格好で出迎えてくれ、その姿を見た私は、「優秀だわ!」と心の中で呟く。
けれど、私にとっては残念なことに、執事が優秀なのは身だしなみに関することだけではなかったようで、コンラートの元に向かおうとすると、きっぱりとした声で制止された。
「コンラート様の部屋にはどなたもお近づきになりませんようにと、サフィア様から申し付かっております」
「それは、そうなのだけれど……」
困ったわ。次期当主であるサフィアお兄様の言葉は、お父様の次に絶対だ。
私ではお兄様の言葉を覆すことが出来ないのだけれど、どうしたものかしら。
そうだわ! とりあえず一旦自分の部屋に戻って、皆が寝静まった後、こっそりとコンちゃんの部屋に侵入してみようかしら。
そんな風に令嬢らしからぬ素晴らしいアイディアが浮かんだところで、後ろから声が掛けられた。
「深夜に失礼する。私はジョシュア・ウィステリアという者だ。王国陸上魔術師団長を拝命しているので、見覚えがあるとありがたいのだが。今夜は陸上魔術師団の特命にて侯爵邸をご訪問しているので、役目として、コンラート殿をご訪問させていただきたい」
「陸上魔術師団長……!」
いつだって落ち着いている執事が、驚愕したような声を上げた。
……まあ、そうだろうなと思う。
深夜に帰宅したご令嬢というだけでも不審に思うところだろうに、同行者が魔術師団のトップである師団長で、しかも完全に出まかせだけれど『特命』なんて言われてしまっては、何が起こっているのだろうと心配になるはずだ。
けれど、執事がどんな状態であろうとも、『魔術師団長の特命』という言葉は絶大だったようで、つい先ほどまでは絶対に私を通させまいとしていた執事が簡単に道を空けてくれる。
私は拍子抜けしながらも有難い気持ちで、ジョシュア師団長、ルイス、ラカーシュとともにコンラートの部屋に向かった。
すると、横を通り抜けていった際に、私の同行者を確認した執事が、掠れたような声を上げていた。
「フリティラリア公爵家のラカーシュ様に、ウィステリア公爵家のルイス様までご一緒だなんて! 一体何が……」
はて? ラカーシュにしろルイスにしろ、我が家を訪れたことは1度もないはずなのに、どうして執事はこの2人が誰だか分かったのかしら?
まあ、公爵家なんて王国広しと言えどもたったの4家しかないのだから、「貴族リスト」には間違いなく掲載されているのだろうけれど、あれは似顔絵まで載っていたのかしら?
そんなことを考えている間に、コンラートの部屋の前に到着した。
私は躊躇うことなく、がちゃりとコンちゃんの部屋の扉を開けると、真っ暗な部屋を覗き込む。
廊下からの明かりに照らし出されたコンちゃんは、ベッドの上で大きなぬいぐるみを抱えて眠っていた。
その穏やかな寝顔を見て、私の顔が自然とほころぶ。
まあまあ、相変わらず可愛らしいわね。
どうして布団を跳ねのけて、大きなベッドの淵ギリギリの、今にも落ちそうな場所で眠っているのかは不明だけれど。
そして、どうして土下座みたいな恰好で熟睡できているのかは不明だけれど、コンちゃんが可愛らしいことは確かだわ。
私はコンラートに近付こうと、部屋に一歩踏み込んだけれど、右手をラカーシュに、左手をジョシュア師団長に掴まれてしまう。
「え? あの……」
突然何かしらと思って、右と左を交互に見つめてみるけれど、2人は私には視線もくれず、すやすやと眠っているコンラートを睨みつけていた。
「サフィア殿の言う通りだ。この禍々しくも強大な魔力は、とても人のものではない。私には子どもの姿に見えているソレは、確かに人間ではないのだろう」
冷静にそう口を開いたラカーシュに対して、ジョシュア師団長は震える声で呟いた。
「………ダリル?」
え? ウィステリア公爵家の4男で、6歳で亡くなったというダリルがここにいる?
驚いてジョシュア師団長の視線の先を見つめると、眠っているコンラートがいた。
「ジョシュア師団長? あの子はダリルではなく、コンラートですよ?」
「だが、……あれは我がウィステリア公爵家の藤色の髪をしているじゃあないか」
「違いますよ。ダイアンサス侯爵家の撫子色です」
「いや、間違いなく藤色だ」
頑固に言い張るジョシュア師団長に困ってしまい、助けを求めるようにラカーシュを見つめると、彼は曖昧に微笑んだ。
「あの子は薄い青紫色の髪色をしているね。ジョシュア師団長は『藤色』だと表現し、ルチアーナ嬢は『撫子色』だと表現したけれど、私にはどちらも正解に思えるな」
むむう……
日和見的なラカーシュの回答に不満を覚えていると、もぞもぞとベッドの上で動く気配がし、小さな影が起き上がった。
「……んー、お姉さま? どうしたの? 夜なのに、コンちゃんに会いたくなったの?」
振り返ると、可愛らしい声と同じように可愛らしいコンちゃんが、目をこすりながらこちらを見ていた。
わああ、1日と数時間ぶりだけれど、相変わらずコンちゃんは可愛いわね。
そう思っている間にコンラートはベッドからぴょいっと飛び降りると、とととと近寄ってきて、私の足にぎゅっと抱き着いた。
「お姉さま、帰ってくるのは週末だって言っていたのに、もう来たの? コンちゃん、喜んじゃうよ」
「ひゃああああ、お姉さまもコンちゃんに抱き着かれて、大喜びですよ!」
私はコンちゃんと同じ高さになるようにしゃがみ込むと、ぎゅうぎゅうと弟を抱きしめる。
すると、後ろから手が伸びてきて私の腕を掴み、ぐいっと私を立ち上がらせた。
「えっ?」
私は腕の中にコンラートを抱えた形で直立することになり、驚いて私を掴んだ腕の持ち主を視線で辿ると、ラカーシュの警告するような表情とぶつかった。
「ルチアーナ嬢、コレは君の弟ではない。むやみに近付くのは危険だ」
「ラカーシュ様……」
けれど、私が言葉を続けるよりも早く、コンラートがおかしそうな笑い声を上げた。
「ぷくくっ、コンちゃんの側は危険だから、自分の側にいるようにってー? 強引な論理だなー。あーあ、お姉さまったら、このきれーなお兄さんをもう誑し込んじゃったの? 公爵家なんて最上位の貴族、克己心がものすご―――く高いはずだから、ちょっとやそっとじゃ、誘惑なんてできないはずなんだけどなぁ?」
コンラートは私に抱かれたままの格好で私を見上げると、面白そうに眼を細めた。