73 ウィステリア公爵家の晩餐会 13
すみません、だいぶ時間が空きました。
「ルイス、魔術の練習をしないの?」
背中を向け、自室の隅にしゃがみ込んでいる5、6歳の男の子に向かって、私は戸口から声を掛けた。
声を掛けながら、あ、これは夢だわと気付く。
不思議なことに、夢を見ている最中は決してそれが夢だと気付かないものなのだけれど、私ははっきりとこれが夢だと気付くことが出来た。
それも、夢の中の私は私ではない人物だった。
「……ダリル」
振り返った幼いルイスが、私をそう呼んだ。
ダリルというのは、6歳で亡くなったウィステリア公爵家の4男の名前だ。
どうやら私は夢の中でダリルになっているらしい。
まあ、不思議な体験だわと思いながら、私はルイスの前にしゃがみ込む。
「どうしたの? 魔術の練習はつまらない? だったら、僕が……」
ルイスの顔を覗き込みながら口を開いたけれど、最後まで言い終わる前に、ルイスが強い口調で言葉を被せてきた。
「放っておいてよ! どうせ皆、僕には興味がないんだから! そして、絶対にダリルと同じようには出来ないんだから!!」
ルイスの言葉を聞いた瞬間、胸がつきりと痛む。
……ああ、ごめんね、ルイス。
僕が遅く生まれたばっかりに。
魔力は重い。下に下に沈んでいく。
だから、魔力のほとんどは、遅く生まれた僕に沈殿してしまった……2人で平等に分けるべきだったのに。
「ルイス、じゃあ、今日は僕も魔術の授業をお休みするよ。だから、一緒に遊ぼう?」
「えっ……」
僕の言葉を聞いたルイスの顔がくしゃりと歪む。
(……ああ、笑っていてほしかったのに。僕の顔が歪んでしまった)
歪んでいるのはルイスの顔だというのに、なぜだか自分の顔が歪んだような気持になって、ふと後ろを振り返る。
振り返った先の壁の一部には大きな鏡が貼ってあり、ルイスと僕を映しこんでいたのだけれど、……不思議なことに、その鏡に映っていた僕は、ルイスとほとんど同じ大きさで、同じ顔をしていた。
「同じ……?」
不思議に思ってぽつりと呟くと、ルイスが怪訝そうに僕の顔を覗き込んできた。
「同じに決まっているだろう。僕たちは双子なんだから」
―――瞬間、全てのことが腑に落ちた。
……ああ、そうだ。僕らは双子だった。
同じ時期に、同じ胎に入っていた双子。
だからこそ、誰よりも愛しくて、誰よりも仲が良い2人であるはずなのに……
―――なのに、そのことは叶わなかった。
生まれた瞬間から、僕らは分けられ、全く異なる生活を強いられたのだから。
……ねえ、ルイス。僕が満足していたなんて決して思わないで。
僕はお前に笑っていてほしかった。
いつだって、幸せでいてほしかった。
―――そうでなければ、僕らが分かたれた意味がない、と思っていたのだから。
ルイス、お前と僕は別のモノだ。
だから、僕が笑っているだけでは、お前は幸せになれない。
お前が幸せになるためには、お前自身が笑う必要があるのだ。
「そう……あの日、僕は気付いてしまったから。僕らは別のモノだって。だから僕は……」
―――私はそう声に出し、そんな自分の声で目が覚めた。
「あ、あれ? 夢……?」
言いながらぺたぺたと自分の顔や体を触ってみると、指先が触れたのは確かに私、ルチアーナの体だった。
そして、段々と目が覚めてくる。
「ええと、ルイスの弟のダリルになった夢を見た? ……というか、ルイスとダリルは双子だったのね。誰もが『ダリルは4男』だとか、『ダリルはルイスの弟』だとしか言わないから、双子だとは思わなかったわ」
私は思いつくままに、口を開いた。
夢の中でダリルであったことは不思議な体験だったけれど、今見たものがただの夢だとは思えなかった。
―――多分、実際に、ルイスとダリルは双子なのだろう。
ルイスとダリルが生まれた家に宿泊したことが何らかの作用を及ぼし、不思議な夢を見せたのかもしれない。
「双子……」
私はもう一度、ぼんやりと呟いた。
双子については詳しくないけれど、一卵性双生児だとしたら、元々1つのものが2つに分かれた形になるはずだ。
この世界には魔術や魔物があるように、前世の世界とは少しだけ造りが異なっている。
そのことは、双子という存在にどう影響しているのかしら……、あるいは全く影響していないのかしら。
そう考えながら、上半身をベッドから起こす。
カーテン越しにうっすらと光が差し込んでいるのを見て、明け方の時間かと思ったからだ。
そうして、ぼんやりと考えごとをしながらカーテンを開けると………窓の外に見えたのは、昇り始めの太陽ではなく、燃えるような緋色の髪をした女性だった。
くるりくるりと色んな方向にカールをした鮮やかな緋色の髪を長く伸ばした女性が、地面から2メートルほどの高さの空間に浮いていた。
どういった状態なのか、その緋色の髪が月光に照らされることによって、周りの空間を明るく輝かせており、その明るさをカーテン越しに見た私は日の出と勘違いしたようだった。
けれど―――その時の私にとって、そんなことはどうでもよかった。
なぜなら、緋色の髪の女性はぐったりとした状態の男性を腕の中に抱えており、そのことに気付いた途端、私にはその男性のこと以外はどうでもよくなってしまったのだから。
意識がない状態で抱えられていた男性の顔立ちは見えなかったけれど、長めの青紫の髪と投げ出されたすらりとした手足の具合から、それが誰なのかを教えられるまでもなく理解する。
「お兄……様……」
私の掠れた声が聞こえたわけでもあるまいに、その女性はついとこちらを見つめ、一瞬目が合った。
瞬間、私の喉からひゅっとした音が漏れる。
―――その女性の肌はどこまでも白く、整った貌は陶器人形のような人間ならざる静謐な美しさを持っていた。
彼女の肌の白さは、人の血が通っているものと思えるはずもなく……、だから、彼女は間違いなく………
けれど、私が何事かを結論付けるよりも早く、その女性は何の興味もなさげに私から目を逸らすと虚空を見つめ、―――次の瞬間、ふっと目の前から消えた。
まるで、初めから何もなかったかのように。一切の痕跡を残さずに。
腕の中のサフィアお兄様ごと。
それはまるで、夜中に見た悪い夢のようではあったけれど、決して夢ではあり得なかった。
その証拠に、がくがくとした震えと気分の悪さがおさまらない。
私は這うようにして、与えられた寝室から廊下に出て、お兄様の部屋へ向かったけれど、……悪い予想通り、目に入ってきたのは開け放たれた窓と空っぽのベッドだけだった。
―――その日、お兄様は完全に私の前からいなくなってしまった。