72 ウィステリア公爵家の晩餐会 12
「サフィア、お前の話は荒唐無稽に聞こえるが、話の筋に齟齬はない。……は! まさか『東星』が死者までをも担ぎ出すなど、考えもしなかったがな! だが、静謐な眠りの中にある私の弟を、その意に反して使役しようとするのならば、相手が『四星』と言えども見過ごせない蛮行だ」
ジョシュア師団長はぎりりと奥歯を噛みしめると、悔し気に顔を歪めた。
それから、はっと何かに気付いたかのように私に向き直ると、真摯な表情で見つめてきた。
師団長は片手を差し出して私の片手を取りかけたけれど、再びラカーシュと無用な争いになることを恐れたのか、途中で思い直したかのように手を下げると、結局は私の手を取ることなく口を開いた。
「ルチアーナ嬢、あなたの瞳に入っている印が我がウィステリア公爵家のものであるのは間違いない。そして、サフィアの推測から、実際に我が一族の者がかかわっている可能性が高いことが分かった。……心は自由であるべきだ。それなのに、あなたの意思に反して心を操っているとしたら、あり得べからざる出来事だ。我が一族は出来る限りの手段でもって、あなたの魅了の解除に尽力することを約束する」
「ありがとうございます」
私はぺこりと頭を下げると、お礼を言った。
本家の長男というのは大変だなと、少しだけジョシュア師団長に同情する。
直接本人が犯したことでもないのに、一族の者が犯した罪は、全て彼が被らなければならないなんて。
それから、魔術師団という組織の一員であることは、苦労が多いんだろうなと同情する。
ラカーシュは正しいと思ったことを心のままに行動するけれど、ジョシュア師団長は意見が対立した場合、正しいか正しくないかという基準だけでは判断せず、妥協して相手に譲ることを知っているのだ。
ラカーシュもジョシュア師団長も同じように貴族の頂点に位置する公爵家だというのに、ジョシュア師団長の方が苦労性だわ。
まあ、だからこそサフィアお兄様の面倒も見てくれるのだろうけれど。
そう考えながら、一連の事情説明が終わったことでほっとし、私は再びソファに腰を下ろした。
不明な点も多いけれど、分かっていることを説明されただけでも、何も知らなかった頃の気持ち悪さが解消されたからだ。
くたりとソファにもたれかかっている私を見て、兄が片方の眉を上げた。
「疲れたか、ルチアーナ? もう夜も更けた。この時間から学園の寮に戻るのも一仕事だろうし、今夜はウィステリア家に泊まっていくことにするか?」
「へ? いえいえ、そんなご迷惑を掛けるわけにはいきませんよ」
慌てて立ち上がろうとすると、ジョシュア師団長から片手を上げて制止された。
「もちろん、全く迷惑ではない。このようなこともあろうかと、既に客用寝室をいくつか準備させている。……誘惑するわけではないが、我が家の朝食に出るシュガートーストは絶品だ」
「えっ!? シュガートーストですか? まあ、それは、美味しいシュガートーストというのは、本当に美味しいですよね!!」
「ルチアーナ嬢……」
勢い込んでシュガートーストに釣られていると、こんな簡単なことで私が落ちるのかとでも言いた気に、残念そうな表情でラカーシュから見つめられた。
……ごめんなさいね、ラカーシュ。私は案外簡単なのよ。そして、甘い物に弱いのです。
「ルチアーナ、お前の一言で、フリティラリア筆頭公爵家の朝食の定番が変わるぞ」
兄からは面白そうにぼそりと呟かれたけれど、何を言っているんですか、そんなに簡単にそれぞれの家が守っている定番メニューは変わりませんよ。
―――それからすぐに晩餐会はお開きとなり、その場の誰もが、その夜はウィステリア公爵家に宿泊することになった。
何と言うか、突然のお客様を何人も泊めることができる館って凄いわよね。
館が広いことはもちろんだけれど、常に多くの部屋が手入れされているということだから。
そう思いながら、私は侍女たちの手によってドレスを脱がされると、用意してもらった新品の夜着とガウンに袖を通した。
それから、窓に近寄って外を眺めると、真っ暗な夜空にしんしんと輝く月が見えた。
ふと、この月をコンラートも見ているのかしらと思う。
可愛い可愛い私のコンちゃんは弟にしか思えないけれど、弟ではなく、そもそも人間ではないかもしれないという。
それどころか、私が誤認しているのは、亡くなったウィステリア公爵家の4男であるダリルによって魅了の術を掛けられた結果であり、その背後には世界樹の守護者である『四星』の中の一星がいるのだという。
……この世界は本当に乙女ゲームの世界なのかしら?
登場人物は乙女ゲームの中の人物と一致してはいるけれど、『四星』だとか『世界樹の魔法使い』だなんて難しい設定は一切出てこなかった。
私の理解を超えているわと思った私は、これ以上考えても無駄だと、すぐにベッドに入ったのだった。