66 ウィステリア公爵家の晩餐会 6
「は?」
私はもちろん驚いたけれど、ジョシュア師団長はそれ以上に驚いた表情をしていた。
「オーバン、お前は何を言っている!?」
そう言うと、ジョシュア師団長は強引にオーバン副館長を押しのける形で、私の前に片膝を付いた。
「私は一度ルチアーナ嬢の瞳を確認している。我が公爵家の紋があれば、気付かないはずがないだろう!」
感情を露にしたような声で弟を怒鳴り付けると、ジョシュア師団長は私の頬に片手をかけ、「よろしいか、ご令嬢?」と至近距離で尋ねてきた。
動詞が、動詞がありませんよ!!
いえ、もちろん、『瞳を覗き込んでよろしいか?』ということでしょうけど。
けれど、美形から至近距離で覗き込まれ、「よろしいか、ご令嬢?」と尋ねられるシチュエーション! これ、普通の女子なら動詞に色々な単語を当てはめて、想像して楽しみますからね。
そして、元喪女の悪役令嬢とは言え、私は普通の女子でもありますので、そこのところはご了承いただきますよう……
そんな風にもごもごと心の中で言い募る私を丸っと無視した形で、私の瞳を覗き込んできたジョシュア師団長だったけれど、はっとしたように息を飲んだ後は黙り込んでしまった。
それから、何度も何度も私の瞳を確認した後、黙って立ち上がると、カツカツと足音を立てて部屋の端から端までを往復し始めた。
「やー、師団長、檻に入れられた猛獣でもあるまいに、大柄な体躯で無駄に歩き回るのは止めていただきたいものだな。そして、受け入れがたい事実と対峙した時、無意味に歩き回る癖はまだ健在だったのか。……つまり、オーバン殿の発言を受け入れたということで、よろしいか?」
兄はのんびりした口調で師団長に声を掛けたけれど、師団長はがばりと兄を振り返った。
「だが! 私が確認した時には、ルチアーナ嬢の瞳には『四星』の印しかなかった!」
「うむ、残り2つは時間差で浮かび上がってくるタイプの印だったのだろうな。やー、いかにも人を翻弄するのが好きな『東星』のやりそうなことではないか」
「サフィア……。お前はなぜ、驚かない? お前が確認した時点でも、我が公爵家の印は確認できなかったはずだぞ?」
驚き焦っている師団長に対し、普段通りの飄々とした兄を見て、師団長は訝しく感じたようだった。
対する兄は、手がかかる弟を見るような目つきで師団長を見ていた。
「師団長殿、私は3年前、手に入る情報を全て集めた上で、そこから類推されるあらゆる可能性を想定するようにと助言したはずだが? 私の近しい者に『四星』の印が入ったならば、1番に疑われるのは『東星』だろう。同様に、『魅了』の術が発動している時点で、考えられる最も高い可能性は、『ウィステリア公爵家』だろう。私がなぜ、ルイス殿と師団長殿に声を掛けたと思っている?」
「おま、お前は、……私に声をかけた時点で既に全て分かっていたのか?」
「もちろん分かっていない。私はあくまで類推していただけで、可能性が高い類推というのは、高い可能性で事実になり得るというだけだ。……今回のように」
落ち着き払った兄の態度を見たジョシュア師団長は、ごくりと唾を飲み込んだ。
「サフィア、お、お前、……卒業したら絶対に陸上魔術師団に入れ! お前が立てた3年前の武勲を加算して、将校扱いを約束するから!!」
「やー、お断りだ。3年前だって、立てた武勲のほとんどを師団長に奪われたというのに、これ以上踏み台にされるばかりの人生なんて」
「くっ……! それは全く私が悪かった!! 言い訳はしない! が、今は私もそれなりのポストに就いている。以前とは違い、私の発言には力があるはずだから、今度こそお前を正しく評価するよう、掛け合うから!」
「なぜ師団長は、私が高位のポストを欲しがっているような雰囲気を出しているんだ? 3年前の評価についても、私は最高の形だったと満足しているのだが……。全く、師団長殿は肝心なところで真面目だから、冗談が冗談にならないな」
兄はつまらなそうにそう言うと、私に向き直った。
「聞いた通りだ、ルチアーナ。お前の瞳には、3種類の印が入っている。全て術者の存在を特定するための印で、『四星』と『東』と『ウィステリア公爵家』だ」
「はい……」
唐突に話しかけられた私は、どきどきと高鳴る胸を押さえながら兄を見上げた。
流れていく会話を一生懸命聞いていたけれど、話の内容が手に負えないところまできている気がして、困ったような表情になる。
そんな私に対して、兄は淡々と言葉を紡いだ。
「悪いな、ルチアーナ。お前が刻まれた紋のうち、少なくとも2つは私が原因だ」
「え?」
「『四星』と『東』が揃ったということは、十中八九、私が原因なのだ」
「サフィア!」
瞬間、ジョシュア師団長が警告するような声を上げた。
それから、周りに座るラカーシュやオーバン副館長、ルイスがいることを思い出させるかのように、師団長は3人を示しながら片手を水平に移動させた。
そんな師団長を見て、兄は軽く手を振る。
「家族の食事会だ、師団長。私がちょっとばかり秘密を漏らしたからといって、何ということもあるまい」
さらりと発言した兄を、師団長はぎりりと睨みつけた。
「勿論、何ということもあるだろう! 落ち着け、サフィア! お前の話は第一級の秘匿情報だ。他ならぬお前自身を危険にさらすことになるのだぞ!!」
「……本当に、ジョシュア師団長は私のことがお好きだな。同じ思いを返せないことが、心苦しくなるほどだ」
「サフィア!」
茶化したような兄の発言に、警告するような声を発したジョシュア師団長だったけれど、兄は全く気にする風もなく淡々と言葉を続ける。
「だがね、師団長。私の秘密など、あくまで前座なのだ。私のちょっとした話の後に、本題が続くのだよ」
「何を……」
何事かを言いかけた師団長は、ごくりと唾を飲み込むと、気持ちを切り替えるかのように残り3人の男性陣に視線を移し、真剣な表情で口を開いた。
「これは警告だ! サフィアが今から口にすることは、親交を目的とした食事会で明かされるような可愛らしい秘密ではない。聞いた瞬間から、君たちは巻き込まれる。そして、サフィアは分かっていて、そのことを実行するぞ! さあ、食事会は終了した。帰るなら今だ!」
ジョシュア師団長の表情はどこまでも真剣で、語られている話が冗談ではないことは十分伝わっていたけれど……
師団長の言葉に席を立つ者は、誰一人としていなかった。