62 ウィステリア公爵家の晩餐会 2
「う―――ん、ここは王都よね?」
ウィステリア公爵家の大邸宅を見上げながら、私は心の声が駄々洩れているのを感じていた。
当然のことだけれど、ウィステリア公爵家は王都の外に広大な領地を持っていて、自前の城を構えている。
だから、王都にあるのは別宅というか、扱い的にはセカンドハウスにあたる建物だ。
けれど、どう見ても目の前にあるのは、そこらの貴族の本邸よりも立派な建物だった。
「人が中に住む箱という意味では、我がダイアンサス侯爵邸と違いはないさ」
「…………大胆な考え方ですね」
兄の言葉に返事をしながらも、視線はどうしてもウィステリア公爵邸に引き付けられる。
……お、大きいわ。
単純に考えて、邸の大きさは我が侯爵邸の倍近くあるわよね。
そして、建物に使われている材質も、そこここに見られる建物の形状や模様、色彩といった意匠も間違いなく一級品だよね。
はあとため息をつきながら、私は公爵という存在の権力の大きさを改めて実感する。
……そうよね。公爵家といったら王族に次ぐ上級貴族で、国内にも4つの家柄しかないんだもの。
絶大な権力を持っているはずよね。
や、ほんと、私は権力に疎いので、普段は気付かないのだけど、公爵家が持つ特権には物凄いものがあるはずなのだ。
だからこそ今後、ゲームの主人公にヒーローとして選ばれる者がラカーシュであるにしろ、ジョシュア師団長やルイスであるにしろ、私を「主人公に敵対する者」と認定した際には、侯爵家であるにもかかわらず、ダイアンサス一族を丸ごと放逐するのだ―――公爵家の絶大な権力でもって。
我が家だって侯爵家だから、かなりの上級貴族のはずなのだけれど、公爵邸を目の当たりにすると格が違うなと素直に思う。
この権力の凄さを忘れないようにしないと。
そして、魅了の一件が片付いた暁には、情がないようだけど、ウィステリア一族には近付かないようにしないと。
そう考えながら、案内されるままに晩餐室の扉をくぐる。
すると、ジョシュア師団長が自ら出迎えてくれていた。
師団長の右側にはルイスが立ち、左側には―――サラサラとした肩までの髪に眼鏡をかけた、見るからに知的なタイプの男性が立っていた。
「やあ、サフィア、ルチアーナ嬢、わざわざご足労いただき痛み入る。それから、ルチアーナ嬢は初めてなので紹介しよう。私の1つ下の弟であるオーバンだ」
「初めまして、ルチアーナ嬢。ウィステリア家の第二子で、国立図書館副館長を務めておりますオーバンと申します。以後、お見知りおきを」
言いながら、オーバン副館長は差し出された手に重ねた私の手を、自分の口元に持っていった。
間近で見ると、ジョシュア師団長の弟であり、ルイスの兄であるだけあって、オーバン副館長はやっぱり美形だった。
飾り気のない眼鏡をかけていて、いかにも知的労働者といった雰囲気を醸し出している。
ウィステリア3兄弟の中で、このオーバン副館長だけが攻略対象者ではないのだけれど、残る2人に引けを取らない美形だなんてすごいと思う。
何と言うのか、右を見ても左を見ても美形しかいないと言うのは恐ろしい空間なのだけれど、それでも、美形のありがたみは損なわれないものらしい。
思わず息を詰めて見ていると、そのことに気付いたのか、オーバン副館長は手袋をした私の手に口付けを落とす真似をしただけで、実際には触れてこなかった。
それだけで、オーバン副館長が紳士のような気持になったので、私は淑女としてかなりちょろいのかもしれない。
ラカーシュは既に到着しており、私の姿を見ると嬉しそうに寄ってきた。
不躾にはならないような絶妙な具合で、それでも私の頭から足先までゆっくりと視線を走らせると、感嘆したようなため息を漏らす。
「……まるで君から光が溢れ出でているかのような美しさだね。秋枯の野に咲く、凛とした1輪の花のようだ」
言いながら、ラカーシュは胸に挿していた黒百合の花を手に取ると、私に向かって差し出してきた。
「撫子の君に。撫子の花もいいけれど、黒百合の魅力も知ってほしいから」
ラカーシュは押しつけがましくなく、いたって自然に差し出してきたのだけれど、私は咄嗟のことに体が固まってしまい、無言で黒百合の花を見つめることしかできなかった。
……え、ええと。
先ほどまでは、ラカーシュは魅了をかけられていて、そのせいで私が素敵に見えるものだと思っていたけれど、お兄様の言葉によると、実際は重篤な病におかされていて、奇行に走っているのよね。
でも、そうだとしても、今のこの行動は恋愛的にアプローチをされているようにしか思えなくて、それに対する返しを、私は一切持っていないのだけれど。
いや、もう、本当に。男性からこんな瞳で見つめられることは初めてだし、詰め寄って来られるのも初めてだし、何らかのスイートちっくな返事を求められるのも初めてだ。
そして、元喪女で、今世でも、実は男性と恋愛的なかかわりが全くなかった私に何ができるというのか。
ありがとうと受け取るべきなのか、結構ですと受け取らないべきなのか、それすらも分からない。
受け取ったとして、ずっと片手に持っておくのだろうか。
あれ、でも、今から食事なのに、ずっと持っているなんて邪魔じゃないかしら?
でも、でも、邪魔だからと、ナイフやフォークに並べて黒百合をテーブルに置いておくのも、スマートな方法には思えない。
ぐるぐると思考が回り、無言で黒百合を見つめている私の隣で、賞賛するような声が上がった。
「やー、これはまた、とびきり美しい黒百合の花だな。このような美しい花を見つめ続けていては、妹はすぐにでも魅了されてしまいそうだ。今日のところは妹の視界から遠ざけ、妹を飾る役目を担ってもらおうか」
兄はそう言うと、ラカーシュの手から黒百合を受け取り、私の髪に挿した。
先ほど撫子を抜き取り、少し寂しくなっていた花飾りがない部分に。
そうして、私の髪を見つめると、満足そうに頷いた。
「黒百合と呼ばれてはいるが、実際は黒色ではなく濃い黒紫色をしているから、撫子と並べても色合いがいいな」
イエスともノーとも言わずに、けれど、きちんとラカーシュを受け入れる兄の態度を見て、すごいわね、お兄様こそが恋愛の上級者だわと、棒立ちになったまま思う。
私ではラカーシュを満足させる対応が、咄嗟に浮かばなかったもの。
そして確かに、ラカーシュは兄の対応に満足したようで、私の髪に飾られた黒百合の花を嬉しそうに見つめていた。