60 魅了の力 18
「『四百四病の外』か……。サフィア、相変わらずお前は的確だな」
ジョシュア師団長が熱のない声で兄を褒めた。
対する兄も、何の感慨もなさそうに答える。
「どうも。けれど、この問題は外す方が難しいかと」
「ああ……、まあ、そうだな」
2人だけで話を進めていく兄と師団長を見て、私はぱちぱちと瞬きを繰り返した。
あらあら、男性が2人で結託して、何やら嫌な感じですよ。
間違いなく優秀な2人ですからね。この2人が組むと、太刀打ちできない気しかしません。
そう思い、正々堂々と正面から尋ねることにする。
「ええと、知識がなくて申し訳ないのですが、四百四病の外って初めて聞いたのですが、どういう意味ですの?」
質問の答えを待ちながらも、頭の中は疑問符でいっぱいだった。
ええと? ラカーシュは間違いなく魅了にかかっているはずだけれど、どうしてこの2人は魅了ではなく、病だと言い切れるのかしら?
お兄様にしろ、師団長にしろ、ラカーシュの奇行の一部を目撃しているはずなのに。
魅了でもなければ、冷静沈着で『歩く彫像』と呼ばれるラカーシュが、あんな風に私に夢中になるはずがないじゃない。
小首を傾げる私に対して、兄はちらり視線を送った後、冷めた感じで答えた。
「医師だとて万能ではない。治療できるのは404の病に限られる。ラカーシュ殿は405番目の病で、医師の力の外だということだ」
「えっ! そ、それは、大変なことではないですか!!」
兄の言葉を聞いた途端、その重大性に驚いて声を上げる。
医師が手も足も出ない病なんて、初めて聞いたわよ!
なるほど。ラカーシュがかかっているのは魅了ではないけれど、同じくらい大変な病だということね。
そして、聞いたことがないほど珍しくて重大な病だから、ラカーシュがあたかも奇行に走ったかのように思われる症状が表れるということね。
さすがはお兄様と師団長だわ! 私が知りもしない405番目の病について詳しく知っているばかりか、一目でラカーシュが罹患していることに気付くだなんて。
そう考え、尊敬の眼差しで兄を見つめていると、「相変わらず、恐ろしくズレている」というようなことを口の中でぼそぼそと呟かれた。
「……え? お兄様、何か言いました?」
聞き間違いよねと思って改めて尋ねると、何でもないと言った風に肩をすくめられる。
「……ああ、お前の言う通り、ラカーシュ殿は大変だなと言ったのだ。だが、医師の力は及ばないものの、恐ろしいまでに高等教育が足りていない、鈍感な令嬢であれば治癒できるらしいぞ。……何と言っても、四百四病の外(恋の病)だからな」
兄の言葉は、いつもの謎かけのようなもので終わってしまった。
おかげで、意味が分からなかった。
結局、ラカーシュは魅了にかかっているわけではなくて、難しい病におかされていて。
医師には治せないけれど、どこぞのご令嬢には治せるかもしれなくて。
兄の落ち着きぶりからみると、病にかかりっぱなしでも大きな問題はない。
……と、そういうことでいいのかしら?
そこまで考えたところで、あれ、今晩のウィステリア公爵家の晩餐会にラカーシュも招待されているじゃないと思い当たる。
用意周到なお兄様のことだ。
ラカーシュを間近で直接観察し、病の具合を確かめることを目的として、ジョシュア師団長にラカーシュを招待させたのじゃないかしら。
さすがお兄様、面倒見がいいわね、と思ったところで、あれれ、けれど、病にかかっているラカーシュに不用意に近付いて大丈夫かしらと、今度はそのことが心配になる。
ラカーシュがお兄様たちの考える通り大変な病だったとしたら、他人にうつる可能性があるんじゃないかしら?
私にもそうだけど、その405番目の病がサフィアお兄様やジョシュア師団長、ルイスにうつったら大変よ?
そう3人に忠告すると、微妙な表情で返事をされた。
「……ああ、せいぜい気を付けよう」
とため息交じりに呟いたのはジョシュア師団長。
「うん、ラカーシュ殿と同じ相手で後発なんて、分が悪すぎる。絶対にごめんだよ」
そう困ったように答えたのはルイス。
「やー、お前の鈍感っぷりは超越しすぎていて面白さがないな。冗談を言っても冗談と理解しないので、笑いどころが全くない」
最後にそう、つまらなそうに文句を言ってきたのはお兄様だった。
……え、あの、私は皆さんが病にかからないようにと心配しているだけなのに、た、態度が悪くないですかね?