52 魅了の力 10
「いや、それは……!」
私は慌てて反論しようとしたけれど、ラカーシュに軽くいなされる。
「うん、でも君は、セリアが『危ないことはしない』という約束を守ったから、君も約束を守って私に近寄らないと言ったのだろう?」
「うぐっ……」
……ええ、覚えていますよ。
元々はセリアの身の安全を確保するためにした約束だったにも関わらず、ラカーシュに近付かないという目的を達成するため、約束を逆手にとっておかしな要求を呑ませたということは。
……ええ、同じことをやり返されたということですね。
自業自得という言葉が頭の中に浮かんでくる。
「ルチアーナ嬢、言葉遊びのようなやり方で、強引に私の主張を通すことについては、申し訳なく思う。けれど、そうまでしても君に私を避けてほしくないという気持ちを分かってほしい」
ラカーシュは私の片手を握ったまま、真剣な表情で訴えてきた。
「分かります、分かりますよ」
なぜならラカーシュ、あなたは強力な魅了にかかっているのですからね。
私の側にいたいという強い思いが湧き上がってくるのは、理解しています。
私の言葉を聞いたラカーシュはほっとしたように小さく微笑むと、「ありがとう」と呟いた。
「繰り返しで悪いのだけど、私は存外役に立つよ。それを君に証明したいと思う」
「もちろん! ラカーシュ様が有能で優秀なことは理解していますわ」
そう答えると、ラカーシュはやっと握っていた私の片手を解放してくれた。
ほっとして視線を逸らせると、恐ろしい形相で私を睨んでいる王太子と目が合った。
ぎゃあ! 恋敵を見るような目で睨まれていますよ!!
確かに、これまでの王太子とラカーシュは、まるで恋人同士でもあるかのように四六時中一緒にいましたけれど、あなた方は恋人ではありませんから! そうして、私が2人の仲を引き裂いたわけではありませんから!!
そう言われれば、確かに悪役令嬢の役割は、主人公とヒーローの恋仲を邪魔することですけど、……百歩譲って王太子がヒーローだったとしても、ヒロイン役はラカーシュではありませんからね!!
そう思い、これ以上巻き込まれてなるものかと、今度こそ帰ろうとバッグを手に取ったところで、私の足ははたと止まった。
教室の入り口に、どう見てもただ者じゃない人物が立っていたからだ。
その男性は私と目が合うと、確認するように尋ねてきた。
「紫髪に琥珀色の瞳だから、あなたがルチアーナ嬢だね? 取込み中だったようだけど、終わったのかな?」
そう言って目を細める男性は、決して押しつけがましいわけでも、強引なわけでもないのに、威圧するような雰囲気に溢れていた。
一瞬にしてその場の全ての視線を集め、それを当然とする雰囲気が、その男性にはあったのだ。
―――その男性は見上げる程に立派な長身をしており、鮮やかな藤色の髪を背中まで伸ばしていた。
眼は切れ長で、長いまつ毛に縁どられた瞳の色はトパーズのごとくきらきらと輝いている。
年齢は20代後半に思われ、服装から一目で王宮の陸上魔術師団員だと判別できた。
……いや、服装なんて見なくても、彼が誰だか判別できますけれどね。
私はその男性と視線を合わせたまま、心の中でそう返事をした。
いつの間にか、私は睨むような表情でその男性と目を合わせていた。
目を逸らしたら負けるような気分になっていたからだ。
男性はあくまでも穏やかな表情で私と視線を合わせているのだけれど、その表情の下に激しい何かが見え隠れしているように思われ、目を逸らしたら一気に喰いつかれるような気持ちになっていたのだ。
沈黙したまま見つめ合うその男性と私の時間を破ったのは、エルネスト王太子の一言だった。
「ジョシュア師団長」
そう名前を呼ばれたことで、男性がやっと、私から視線を逸らす。
ジョシュア陸上魔術師団長は王太子に向き直ると、臣下の礼を取った。
「ご壮健なようで何よりでございます、王国の若き白百合、王太子殿下」
跪き、首を垂れるその仕草は流れるように美しく、大人の色香を伴っていた。
隣に立っていたセリアが、思わずと言ったようにほうっとため息を漏らす。
―――ええ、美しいですね。美しいはずです。
なぜなら、この世界の元になった乙女ゲームの舞台は学園であったにも関わらず、結構な数のゲームプレイヤーが、学園の生徒でもない彼を相手役に選んだくらいなのですから。
ジョシュア・ウィステリア。
ウィステリア公爵家の嫡男にして、王国陸上魔術師団長。
そして、まごうことなきゲームの中の攻略対象者だった。