48 魅了の力 6
兄とルイスと別れた後、私は一人で教室に戻った。
ルイスは自分の兄に相談してくれると言ったけれど、相手は王宮の魔術師団長だ。
ものすごく忙しいため、返事が戻ってくるまで数週間程度かかるのじゃあないだろうか。
いくらサフィアお兄様が、コンラートは危険ではないと言っていたとしても、そんなに何週間も放置できるものなのかしらと心配になる。
……まあ、そうは言っても、私が焦っても出来ることはないわよねと、取り敢えず目の前の授業を真面目に受けることにする。
正直に言って、学園の授業に前世の知識はほぼほぼ役に立たなかった。辛うじて数学くらいだろうか。
なんせ、授業科目が、王国共通語、王国古語、数学、音楽、天文学、魔法理論、魔法実践……なんて感じなのだから。
前世の記憶を取り戻すまでのルチアーナは、勉学をさぼりにさぼっていたので、突然頑張ろうと思っても、基礎知識がなさすぎてちっとも授業内容が分からない。
……ま、まずいわ。
一生懸命聞いているのに、全く理解できないってことがあるのね。
というか、ここまで分からないのは問題じゃあないかしら?
そ、そうだ。この世界って、塾はあるのかしら?
いや、塾ではなくて、家庭教師というやつかしら?
そう言えば、ルチアーナには学園に通うまで家庭教師がいたような……
そこまで考えた私は、家庭教師制度を週末だけでも復活してもらえないかしらと思い付く。
それくらい抜本的に改善しないと、授業は分からないままだと思う。
なぜならもはや、分からないところが分からないレベルで、私一人でどうにかなりそうな感じではないのだから。
他の人の手を借りることは必須だわと考えながら、授業に出てきた分からない単語やフレーズをノートに書き留めていく。
……やばい。分からないシリーズのページだけで2ページ費やしたのだけど。
これ、本当に他の生徒は分かっているのかしら?
だとしたら、ここにいる人たちって、誰もかれもがエリートだわ!
(※注:リリウム魔術学園は王国一のエリート校です)
―――その日の授業が終了した際、私の全身はぐったりとした疲労感に包まれていた。
……ああ、授業を真面目に受けると、こんなに疲れるものなのね。
と、とりあえず、寮に戻ってゆっくりしよう。それから、復習だわ。
帰り支度を始めていると、廊下の辺りが騒がしくなった。
……何ごとかしら?
聞こえてくるのは女生徒の歓声だったため、不思議に思い首を傾げる。
今までの経験に照らし合わせると、こんな風に騒ぎが起こる時はいつだって、その中心にエルネスト王太子がいたものだけど、でも、王太子は教室にいるわよね?
そう訝しく思っている間に、どんどんと騒がしさは近付いてきて、……気付いた時には、教室の入り口にラカーシュが立っていた。
あれ、ラカーシュはしばらく領地に戻るため、何日か学園を休むと思っていたけれど?
他ならぬ本人がそう言っていたわよね、と記憶を辿りながら見つめると、彼が着用している服が制服ではないことに気付く。
ラカーシュが着用していたのは洒落た感じのグレーの私服で、襟や袖口にある銀色の刺繍がきらきらと輝き、彼の見栄えの良さを引き立てていた。
……ラカーシュの私服! なるほど。これが女生徒たちを興奮させ、騒がせていた原因ね。
そう考えながらも一方では、ところでなぜ、ラカーシュは教室に来たのかしらと訝しく思う。
私服を着用しているということは、たった今、領地から戻って来たということだろう。
だとしたら、寮の部屋ででもゆっくりしていればいいのに、何でわざわざ学園に出てきたのかしら?
その時、視界の端で、エルネスト王太子が嬉しそうに小さく微笑んだのが見えた。
……ああ、なるほど。王太子に会いに来たのね。
互いに名前で呼び合うし、クラスが違うのに休み時間はよく一緒にいるし、本当に仲がよろしいことだわ。
そう思いながらも騒がしさの原因が分かったことで安心し、帰り支度の続きに戻る。
だから、―――その時の私は、教室の入り口に背を向けた形になっていたので気付かなかったのだけど、その後の行動から想像するに、どうやらラカーシュはそのまま教室の中に入ってきたようだ。
そして、その日最大となった、ちょっとした騒動が起こった。
なぜなら、いつものように2年Aクラスを訪問したラカーシュが、自分への用事だろうと当然のように待ち構えていた王太子の前を素通りしたのだから。
ラカーシュの想定外の行動に、王太子が驚いて目を見開く。
王太子とラカーシュが寄り添い、会話を交わす様子を目にすることを楽しみにしていた女生徒たちも、驚いたように口元を手で押さえる。
そして、誰もが驚いてラカーシュを眺める中、あろうことか彼は、一人の女生徒の前で立ち止まると、彼女を名前で呼んだのだ。
「ルチアーナ嬢」
―――一瞬の静寂の後。
「「「きゃーーー!!!」」」
教室中に大勢の女生徒の叫び声が響いた。