44 魅了の力 2
結局、涙するルイスに気の利いたことを言うことができず、私はそのまま彼と別れた。
さくさくと落ち葉を踏みしめながら、元来た道を戻っていく。
……昨日、ラカーシュと会話をした時にも思ったのだけれど。
私は悪役令嬢として、咄嗟の場合の決め台詞が弱いわよね。というか、決め台詞自体が出ないわよね。
ゲームの中のルチアーナは、もっと印象深い言葉を繰り出して、(悪い)印象を残すタイプだったはずだけれど、ちっとも役割を全うできていない。
……いや、でも、そもそも私は悪役令嬢を目指していないし、正しい悪役令嬢道を追求する必要はないわよね。
というか、断罪されないためにも、悪役令嬢らしからぬ振る舞いをするべきよね。
あれ、ということは、この悪役令嬢としては不甲斐ない今の態度が、私の目指すべき姿としてはパーフェクトってことかしら?
うーん、悪役令嬢としての価値はなくなるけど、身を守るためには仕方がないわよねー、などとぶつぶつ呟きながら自分の部屋に戻ると、侍女たちはまだ眠っているようで、物音一つしなかった。
ああ、早起きしすぎたなと思いながらソファに座り、学園から持ち帰った教科書を広げる。
……ふふふ、新生ルチアーナは日々進化しています。
今は毎日、教科書を寮まで持ち帰るようになったのです。
断罪され、放逐された後でも一人で生きていけるように、もっと言うなら、家族くらいは養っていけるように、お金を稼げるスキルを身に付けるために頑張るのですよ!
そうして、手に取った教科書―――一番薄かった、「王国古語」を読み始めたのだけれど、ふと疑問が湧いて顔を上げる。
……そういえば、セリアを襲おうとした魔物を撃退した際、「王国古語」の教科書に記載してあった一節が助けになったのよね。
どうしてあのタイミングで「王国古語」のことを、しかも、あの一節を思い出したのかしら?
私よりも何倍も勘のいい兄やラカーシュは、気が付きもしなかったというのに。
そして、なぜセリアは襲われなければならなかったのかしら?
……う――ん、分からないわね。
サフィアお兄様に尋ねたら、一定の答えは返ってくるのでしょうけど、……聞くべきか、聞かざるべきかの判断が難しいところよね。
そう思い、しばらく考え込んでいたけれど……結論が出る。
……やめた。
答えを聞くことで私の好奇心は満足されるけれど、それ以上に大事な何かを失う気がする。
お兄様は最終的には正義の味方なんだけれど、いたずら心がありすぎるのよね。
結論が出たため、私は残りの時間を、教科書を読むことに費やした。
その後、しばらく経って入室してきた侍女に、「お、お嬢様がお勉強!?」と驚かれたけれど、ふふふ、この光景は日常になりますよ。
そして、その日、―――学園は普段通りに始まった。
取り巻きの貴族たちには憧憬の眼差しで見つめられ、エルネスト王太子には無視される、いつも通りの始まりだ。
王太子と一緒に話し込んでいるラカーシュを見かけなかったので、彼はまだ領地にいるのだろうと考える。
そういえば、ラカーシュとセリアは数日間学園を休むと言っていたわよねと、盗み聞いていた内容を思い出し、彼らの不在を納得する。
ラカーシュと言えば、セリアが魔物に襲われたり、その魔物を撃退したりと色々あったから、昨日の後半は混乱状態だったわよね。
孤高の「歩く彫像」が、どういうわけか私と親しくなりたがっているように見えるなんて、状態異常としか思えない。
最後の方なんて、私素敵フィルターがかかりっぱなしの状態だったし。
でも、ラカーシュは冷静で沈着な人物だし、次に学園に顔を出す時には、混乱状態は収まっているはずよね。
一抹の不安はあったものの、自分を安心させるため、私はそう結論付けた。
さて、その日はいつも通りの一日だったはずだけれど、昼休みになると、初めての光景に出くわした。
つまり、3学年の生徒であるサフィアお兄様が私のクラスに顔を出したのだ。
「きゃああああ! サ、サフィア様よ!」
「まあ、相変わらず、うっとりするほど麗しいわね! 髪をかき上げる仕草を見るだけで、背筋がぞくぞくするわ!」
「見目麗しいだけではなくて、ものすごく女性にお優しいらしいわよ! 紳士の鑑だわ!」
兄を目にした途端、きゃあきゃあと騒ぎ出した女生徒たちを見て、私は呆気にとられる。
……え? お兄様って、学園で人気があったの?
確かに外見は、美形揃いと有名なリリウム魔術学園でも5本の指に入るほど整ってはいるけれど、性格が個性的すぎるため、女性たちから敬遠されているものだとばかり思っていた。
ああ、でも、騒いでいる女生徒たちは兄と学年が異なるから、兄の性格は知らずに、外見だけを見て騒いでいるのかもしれないわね。
そんな風に考える私の目の前で、兄はきゃあきゃあと嬌声を上げている女生徒の一人に声を掛けていた。
「やあ、ルチアーナを呼んでもらえないだろうか?」
……こういうところは、心得ているなと思う。
私は兄から見える位置に立っているのだから、直接私に声を掛ければいいだろうに、わざわざ頬を赤らめている女生徒の一人に声を掛けている。
声を掛けられた女性はそれだけで嬉しいし、お兄様も損をしない。
恐ろしい人心掌握術だわ。
そう考えながら、私は兄に続いて教室を出た。
「昼休みの時間は大抵、ルイス殿は『春の庭』にいるようだ」
兄が提供してくれた情報に、心の中で頷く。
……知っています。今朝、正にその場所で会いましたから。
そして、ゲームの主人公と初めて顔を合わせた場所も、そこですから。
ルイスは「春の庭」が好きなんだろうな。
そう思いながら「春の庭」に足を踏み入れたところ、……ルイスと見知らぬ女生徒が言い合いをしている場面に出くわした。