41 コンラート 7
「お兄様、コンラートは……、コンラートは……」
兄の言葉に嘘はないと思うものの、話が突然すぎて受け入れることができない。
ずきずきと耐えられないほど痛み出した頭を押さえて俯いていると、兄から両肩を掴まれた。
そして、顔を上げさせられ、間近から覗き込まれる。
「目を覚ませ、ルチアーナ。……お前は、『コンラート』に魅入られている。お前が弟だと思っているあの子どもは、お前の弟ではない。本物のコンラートは亡くなった。お前を魅了している『コンラート』は別の何かだ」
「コンラートは、亡くなった……」
自分で口にしたというのに、その言葉に胸が痛む。
「そうだ。コンラートは亡くなった。そのことを思い出し、受け入れろ」
「…………」
私はぎゅっと目を瞑ると、頭の中からコンラートの姿を追い出そうとした。
可愛らしく、いつだって甘えてくるコンラートの姿を。
「お姉さま」と呼んでくる、子どもらしい柔らかい声を。
そんな私の隣から、兄の声が降ってくる。
「幸いなことに、あの『コンラート』に悪意はない。今すぐ、誰かを傷付けるということはないだろう。ただし、『コンラート』のエネルギーが大きすぎることと、お前が魅了されていることは問題だ。……だからこそ、取り急ぎ、問題の1つを解決するため、学園へ戻っているところだ。魅了に詳しい者に心当たりがあるからな」
「魅了に詳しい人物……」
その者が私を救ってくれるのだろうかと、希望を持って兄を見つめる。
……ここまで聞いても、まだ私の頭はコンラートを弟だとしか認識しなかった。
兄が嘘をついているとは決して思わないけれど、コンラートが弟でないとも思えないのだ。
けれど、この状態が、私が魔術にかけられている結果だとしたら、それを受け入れてはならないと思う。
……たとえ、弟を失う結果になったとしても。
私はぎゅっと両手を握りしめると、唇を噛みしめた。
心の機微に敏感な兄は、私の気持ちを理解してくれたのだろう。
表情を緩めると、私の髪をくしゃりと撫でまわして、優しい声を出した。
「ウィステリア公爵家は、『魅了』の特質を継承している一族だ。間違いなく、『魅了』については王国内で一番詳しい。あの家の三男が学園の1年にいる。まずは、そこに尋ねてみよう。解決できないようであれば、王国の魔導師団長に助力を頼む。師団長も、ウィステリア公爵家の人間だからな」
「ウィステリア公爵家……」
私は聞き覚えのある家名を聞いて、思わず繰り返した。
……ウィステリア公爵家の三男と言えば、ゲームの攻略対象者だ。
ルイス・ウィステリア。
代々強大な魔力を持つ公爵家の一員。
通常であれば、攻略対象者なんてとんでもない、と言うところだけれど。
でも、切羽詰まっている現状では、近寄りたくないなどと言える余裕は全くなかった。
私はぐっと拳を握りしめると、兄に向き直った。
「お兄様、ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。自分では『魅了』にかかっているのかどうか全く分かりませんが、これだけお兄様の話を聞いても、コンラートは弟だとしか思えないのです。言われてみると、……確かに、私がまだ子供の頃に弟が生まれたような記憶があります。けれど、3歳のコンラートを見ても、違和感なく弟だと思うのです。これが『魅了』のせいであるというのならば、私の心は操られているので、解いてほしいと思います」
「よく言った、ルチアーナ。大丈夫だ、お前の状態異常を解除する方法は、私が必ず見つけよう」
そう言うと、兄は安心させるように笑った。
……不思議だ。
何の根拠もないのに、兄が約束してくれると、何とかなるような気持になってしまう。
私がふ――っと長いため息をついていると、同じタイミングで馬車がゆっくりと停車した。
どうやら、学園に着いたようだ。
「今日はもう遅い。ウィステリア公爵家のルイス殿を訪ねるのは、明日にしよう」
「……分かりました」
兄が明日でいいと言うのならば、そう急ぐ必要もないのだろう。
そう考えながら、いつの間にか兄に絶大の信頼を置いていることに気付く。
荷物がなかったので、そのまま手ぶらで寮へと向かっていると、背中から兄の声がかけられた。
「要らぬことを考えずに、今夜は十分眠るんだぞ。お前が寝不足になると、整っているのに不細工という不思議な現象が起こるからな。そんな恐ろしい顔でルイス殿に頼みごとをしても、多分、聞き入れてはもらえないだろう」
思わず振り返ると、兄の表情はいつも通りのからかうようなものに戻っていた。
私はなぜかその兄の表情に安心して、色々あったにもかかわらず、その日はぐっすりと眠れたのだった。