272 ときめきの聖夜祭 6
ビオラ辺境伯家の長男であるグレッグと次男であるジーンは、2人ともに王宮で近衛騎士をしている。
それが意味するところは、剣技が優秀というだけでなく、身のこなしや所作、頭脳も飛びぬけているということだ。
ビオラ辺境伯邸で顔を合わせた時は、自由過ぎる言動に驚いたものだけれど、きっと自宅だからくつろいでいたのだろう。
そのことを証するように、王宮舞踏会で会った時の2人は、煌びやかですごくしっかりしていた。
ユーリア様のお兄様だから、やろうと思えば何だってできるのでしょうねと考えていると、遠目に噴水が見えてきた。
学園内にはたくさんの噴水があるので、そのこと自体は不思議に思わなかったものの、噴水の端に昨日まではなかった彫像が設置されているように見えたため疑問に思う。
どういうことかしら、と足早に噴水に近付いていったところ、その噴水を大勢の女子生徒が取り囲んでいたため、大体のことを察してしまう。
ちらりと隣を見ると、ユーリア様が冷えた表情を浮かべていたので、私は取りなすような声を出した。
「そ、そういえば、セリア様のお兄様のラカーシュ様は、『歩く彫像』と呼ばれていましたよね! この学園で『彫像』というのは褒め言葉ですね!!」
少し遅れて何が起こっているのかを察したセリアも、私に合わせるような言葉を続ける。
「え、ええ、『彫像』というのは、間違いなく褒め言葉ですわ! あの、聞いた話ですが、出身学園によって、尊重されるものが異なるらしいんです。私たちの魔術学園では、強力な魔術を使える者が尊重されますけど、ロサ剣術学園の出身者は逞しい肉体が尊重されるのですって」
私とセリアが必死になって言葉を重ねたものの、ユーリア様はにべもなく切り捨てた。
「だから、これみよがしに筋肉を見せつけているというわけですね? 愚の骨頂ですわ!」
彼女の冷えた眼差しの先には、立派な噴水が設置されていた。
そして、なぜかその噴水の真ん中で、噂のカール王子が下半身を水に浸していた。
膝を立てて座り込むカールの姿は、それはもう麗しいの一言で、頭のてっぺんから足の先まで王子様にしか見えなかった。
役割に従って王子の格好をしてきたようで、我が国とは異なる衣装が、異国情緒溢れる外国の王子様然としていて、うっとりと見惚れてしまう。
そして、西の星からの贈り物であろう王子冠が、彼の頭上できらきらと輝いていた。
思わずほうっとため息をついたけれど、噴水を取り囲んでいる大勢の女子生徒の歓声でかき消される。
恐らく、大勢の女子生徒の存在が、カールが噴水に浸っている理由だろう。
というのも、学園でのカールはこれまでそう目立つ存在ではなかった。
そして、人と関わることなく生きてきたカールにとって、多くの女子生徒に囲まれ、興味を持って見つめられることは恐怖に違いない。
そんなカールが情緒不安定になった時の落ち着く方法が、水に浸かることだ。
だから、生まれて初めて大勢の女性に囲まれて恐怖したカールは、心を落ち着かせるため、手近にあった噴水に浸かったのだろう。
おかしな話ではあるものの、ここまではまだ、カールであれば仕方がないと納得することができる。
問題なのは、噴水の両脇に、まるで彫像のように一切動かないグレッグとジーンが立っていることだ―――なぜか上半身裸で。
「あの、はしたないことを言うようですが、そして、私は男性の逞しさについてあまり詳しくはないのですが、そんな私でもグレッグ様とジーン様の筋肉が卓越していることは分かります。ですから、筋肉を惜しげもなく晒すというのは、サービス精神ではないでしょうか」
何とか好意的に解釈し、ユーリア様の精神を落ち着かせようとしたけれど、麗しの菫の妖精は不服があるとばかりに片方の眉を上げた。
「ルチアーナ様、お優しい慰めの言葉をありがとうございます。ですが、何度も魔道具を使用した鑑賞会をしたので、既にご存じのはずです。私の兄たちは隙あらば、服を脱ごうとするのです! それは、全く必要のない場面でも、全く相応しくない場面でもです!! 兄たちが脱いでいるのは、自分のためですわ!!」
ユーリア様の発言した内容は、その通りに思われたので、これは返事をしてはいけないやつだわと即座に悟り、話を変えることにする。
「ええと、ほら、女子生徒の皆様は、お2人方の肉体に興味津々ですわね!」
私の言葉通り、噴水の周りに集まった女子生徒たちは、頬を染めてちらちらとグレッグとジーンを見ていた。
彼女たちは楽しそうだから、これはこれで正解じゃないかしら。
そう考える私に向かって、ユーリア様はふうと大きなため息をついた。
「兄たちを見てきたからでしょうか。私は騎士になりたいと思うものの、騎士と結婚したいとは思いませんわ」
何とも返事をすることができず、無言で視線を彷徨わせていると、どういうわけかカールと目が合った。
その途端、カールは反射的に水の中から立ち上がる。
同時に、それまで全く微動だにしなかったグレッグとジーンが、警戒するように私の方を見てきた。
けれど、カールの視線の先にいるのが私であることに気付くと、ふっと体から力を抜く。
さすが立派な騎士ね。カールを完璧に警護しているじゃないと感心していると、セリアが楽しそうにカールを見つめた。
「まあ、カール様がプロデューサーを見つけましたわ」
セリアの言葉を聞いた私は、とんでもないわと、ぶんぶん首を横に振る。
当然のことだけれど、先日の生徒会のお茶会はカールのデビューの場ではなかったし、私もプロデューサーではなかったからだ。
「いえ、私はカール様を一切プロデュースしていませんわ」
何度も繰り返したことで分かってもらえたのか、ユーリア様が私の言葉に同意した。
「ルチアーナ様の言う通りですね。カール様の眼差しは、プロデューサーを見つめるというより、雛鳥が親を見るようなものですわ。お2人の間に存在するのはある種の師弟関係かと思いましたが、親子関係なのかしら」
ああー、ユーリア様の発言は的確かもしれないわ。
もちろん私はカールの親ではないし、親がするような世話は何もしていないのだけれど、彼は信じられないほど孤独な人生を過ごしてきたのだ。
だから、初めて少しだけかかわった私に、一番分かりやすい肉親の情のようなものを感じているのかもしれない。
私は決して人付き合いが得意ではないけれど、それでもカールよりは100万倍得意な気がするのよね。
そして、多分カールは多くの女子生徒に囲まれて困っているのだわ。
ここは仮親として一肌脱ぐところじゃないかしらと思った私は、カールに近付いていくと、噴水の前で足を止めた。
それから、彼に向かって手を差し出す。
「北チームのプリンセスが、西チームのプリンスを迎えに来ましたわ」
すると、カールは信じられないとばかりに目を見開いた。
それから、頬を染めると嬉しそうに微笑んだ。
「ああ、ずっと……君を待っていた」