261 兄との事前調整 1
3年生の教室を覗いてみると、兄は5、6人の生徒に囲まれて話をしていた。
お取り込み中みたいね、と出直そうとしたけれど、兄は私に気付くと椅子から立ち上がり、私のもとまで歩いてくる。
「やあ、ルチアーナ、お前がわざわざ来てくれるとは、深窓の姫君にでもなった気分だな」
「でしたら、私は姫君の騎士でしょうか?」
明らかな冗談を言われたので冗談で返すと、楽しそうな笑い声を上げられる。
「ははは、その場合、お前が無茶をしないよう、私は一人でどんな相手でも撃退できる最強の姫になるだろうな」
「うふふふ」
兄の冗談はどこまでが冗談か分からないのが、恐ろしいところだ。
こういう場合は、意味のある返事をしないに限るわね。
「一緒に四季の庭を歩きませんか、と誘いに来たのですが、お忙しそうなのでまたにしますね」
「たった一人の妹の誘いを断るほど、忙しくはない」
兄はその場で振り返ると、兄の席の周りに集まっている生徒たちに向かって、ひらひらと手を振った。
すると、生徒たちは了承したように頷き、ばらばらと散っていく。
その様子を見て申し訳ない気持ちになったけれど、兄はあっさり話を切り替えてきた。
「最近のお前は、夏の庭がお気に入りのようだ。睡蓮でも見に行くのはどうだ?」
「えっ、どうして知っているんですか?」
私が連日、『睡蓮の池』に通っていることは兄に話していないわよね、とびっくりして見つめると、兄は邪気のない顔で微笑んだ。
「おや、当たったか。たまには当てずっぽうを言ってみるものだな」
いやいや、絶対にお兄様は憶測でしゃべっているのではなく、何らかの根拠を持って話をしていますよね。
そう思ったけれど、いちいち追及して脇道に逸れていたら、肝心の話が始められないわ、と聞き流すことにする。
「ええと、それでは、睡蓮を見に行きましょうか。綺麗な花が咲いているんですよ」
私は兄に話を合わせると、兄の腕に手をかけて歩き出した。
兄はそんな私を見下ろすと、おかしそうに顔をほころばせる。
「そうだな、間違いなく見事な花を咲かせているだろうな。何といっても隣国から取り寄せた特別な一輪だからな」
「ぶふっ!」
あっ、しまった。令嬢らしくないことに、思わず吹き出してしまったわ。
だけど、兄が仄めかしたのは間違いなくカールのことよね。
やっぱり私が頻繁に『睡蓮の池』に行っていて、カールに会っていることを知っていたんじゃないの!
むっとしながら睨みつけたけれど、兄は涼しい顔で尋ねてきた。
「もうすぐ冬休みだな。アレクシスから彼の領地を訪問する日程を尋ねられたから、休みに入ったらすぐに行くと伝えておいた。問題なかったか?」
「え? ええ、問題ありませんわ」
どうして突然、そんなことを尋ねてきたのかしらと不思議に思ったけれど、答えはすぐに分かった。
続けて、兄が核心的な質問をしてきたからだ。
「カンナ侯爵領には睡蓮の花も連れていくのか?」
「ぐっ、お、お兄様! どうしてそんなことまで知っているんですか!!」
思わず私は全力で叫んでしまった。
確かに私は『一緒にカンナ侯爵領に行きませんか?』とカールを誘ったけれど、兄はそのことを知らないはずだ。
私は全てを秘密裏に進めていたのに、どうして兄は何もかも知っているのかしら。
もしかして兄は私の心を読むことができるか、私の行動を全て覗き見できる怪しい黒魔術でも開発したのかしら。
疑うように兄を見つめたけれど、兄はおかしそうに微笑んだだけだった。
「お前が何を考えているか分かるような気がするが、そんな大層なことができるはずもない。ただの当てずっぽうだったが、当たったのか?」
「お兄様、それはもういいです!」
そんなわけないでしょうと睨みつけると、兄は肩を竦めた。
「やれやれ、少し冗談を言っただけじゃないか」
返事をせずに睨んだままでいると、兄は悪戯っぽい表情で見つめてきた。
「お前は『陰の魔の★地帯』で南星に『魔の★地帯』に到達できるかもしれない人物を知っていると言っただろう?」
「言いましたね」
それがどうしたのかしら、と思いながら頷くと、兄が言葉を続ける。
「それから、その人物は親しい相手ではないから、これから仲良くならなければならないと言っていた。さらに、お前はその話の直後、カンナ侯爵家が所有するハープについて言及した」
「そうでしたっけ?」
私は眉根を寄せながら、『陰の魔の★地帯』で交わした会話を思い出そうとする。
うーん、名前を伏せてカールの話をしたのは覚えているけど、ハープについて話をしたのは覚えていないわね。
記憶に残っていないということは、私がしたハープの話というのは、独り言のようなものだったはずだ。
それなのに、よく兄はそんな細かいことまで覚えているわね。
感心して見つめると、兄はにこりと無邪気に微笑んだ。
「加えて、基本的に全ての男性に消極的なお前が、突然、『幻想王子』と積極的にかかわり出したからな。何かあると考えるのは自然なことだ」
「そ、そうですか」
お兄様はさらりと言ったけど、私がカールと積極的にかかわり出したことをどうやって突き止めたのかしら。
恐ろしい記憶力を持っていることといい、きっと兄のスパイ能力はものすごく高いのだわ。
「それらの全てを勘案すると、お前が『魔の★地帯』に到達できるかもしれないと考えている人物が『幻想王子』で、彼を連れてカンナ侯爵家を訪問しようと考えていることは簡単に推測できる」
「そ、そうなんですね!」
私はびっくりして目を見開いた。
まあ、何てことかしら。
兄のことだから、もしかしたら少しばかり悪いことをして、カールの情報を突き止めたかと思ったけど、ただ周りに散らばっていた情報から上手に推測しただけだったわ。
「お兄様のスパイ技術と推測能力はすごいですね! きっとお兄様は素晴らしい侯爵家の当主になれますわ」
よく分からないけど、兄の持っている技術と能力は、高位貴族の当主として役に立つような気がする。
そう思って褒めたというのに、兄はにやりとした笑みを浮かべた。
「そうか? 私が持っている技術と能力は、お前の兄として必要なものだと思うぞ。お前に苦労させられた年月があったからこそ、ここまで磨き上げられたのだからな」
「はい?」
どういう意味かしらと考えていると、兄は笑みを浮かべたまま尋ねてきた。
「それで? カール殿下は私たちとともに、カンナ侯爵領を訪問するのか?」