254 ルチアーナとハープ
「ルチアーナ、ハープの講師が来たぞ」
普段より遅く目覚めたにもかかわらず、週末だからと侯爵邸でゆったり朝食を取っていると、兄がとんでもないことを言ってきた。
そのため、私はびっくりしてパンをのどに詰まらせる。
「げふっ、ごほっ、も、もうハープの講師が来たんですか!?」
「ふむ、そう早い時間でもあるまい」
兄がわざとらしく壁際に置かれた柱時計に視線をやったため、「違います! そうではあるんですが、違うんです!」と自分でもよく分からない言葉を口にする。
案の定、兄が理解できない表情を浮かべたので、私は丁寧に説明した。
「いえ、あの、確かに今日は寝坊したので、お兄様の言う通り、そう早い時間ではないんですが、私が言いたかったことは違うんです。私がハープを習いたいと言ったのは昨日ですよね。それなのに、まだたった一日しか経っていないのに、どうしてハープ講師が私を訪ねて来たんですか」
「何だって試してみるのは早い方がいい。それに、講師を手配することくらい、一日あれば難しい話ではない」
いえ、難しい話ですよ、普通は。
そう思ったものの、何だってできる兄に理解させるのは難しいかもしれない、と説明することを諦める。
それから、私はお皿の上にあった料理を目一杯口の中に詰め込むと朝食を切り上げ、兄とともに音楽室に向かったのだった。
廊下を歩きながら、私は隣を歩く兄に質問した。
「ところで、我が家の音楽室にハープはありましたっけ?」
私ったら、肝心なことを忘れていたわ。
講師も大事だけど、そもそも楽器がなければ何も始まらないわよね。
そのことに思い至り、恐る恐る尋ねると、兄は当然だとばかりに頷いた。
「滅多にないことに、お前が芸術方面でやる気を見せたのだ。講師と同じで、早めに手配して悪いことはない。そのため、音楽室には昨日から、3種類のハープを置いている。お前の好みが分からなかったから、大きさの異なる大型ハープ、中型ハープ、小型ハープの3つを揃えてみた。それぞれ弦の数が違うから、好きな物を試してみるといい」
「ええっ!」
びっくりした私は、思わず廊下の真ん中で立ち止まる。
「3つもですか? え、というか、ハープってそんなにたくさんの種類があるんですか?」
「そうだな、200種類以上はあるはずだ」
「に、200……」
知らなかった。
だとしたら、私ははっきり「このハープがいい」と断定すべきだったのね。
そうしたら、兄はきっと1つしかハープを買わなかったはずだ。
ハープを習いたいとお兄様に言ったのは昨日だから、講師が手配されるまでしばらくかかるだろうと勝手に思い込んでいた。
そして、その間にのんびり目当てのハープを選べばいいと考えていたのだ。
まさか要望した翌日にはハープもハープ講師も揃えてあるなんて、想定外だわ。
ああ、私を基準にして、サフィアお兄様の行動を考えてはいけなかったのよ。
どうかお目当てのハープがありますように、と祈りながら音楽室に入ると、部屋の真ん中に大中小のハープが置かれていた。
一番大きなハープは私より遥かに大きく、中くらいのハープも1メートル以上あり、手に持って運べそうなのは小さいハープだけだった。
なるほど、これはもう小型ハープ一択よね?
私は首を傾げると、必死で考えを巡らす。
つい最近まで、私は短くなった髪を隠すため、侯爵邸に引き籠っていた。
けれど、短い髪を隠すのではなく、堂々と人前に出るべきだと考えを改め、そのための人脈を作ろうと海上魔術師団が主催する船上パーティーに参加した。
ところが、そのパーティーの最中に、『陰の魔の★地帯』と呼ばれる未知の場所に飛ばされてしまったのだ。
飛ばされた先で出会ったのが、四星の中の一星である南星のシストだ。
シストはカドレア同様、世界樹を元気にすることに専心していたけれど、その世界樹についてとんでもない事実を口にした。
『世界樹はこの世の全てに影響を与えている。枯れてしまえば、君たちだって悪影響を被るんだ』
続けて、シストは解決方法を提示した。
『僕たち「四星」は世界樹の守護者だから、最大の目的は世界樹を元気にすることだ。そして、僕はそのヒントが「魔の★地帯」にあると思っている。だから、「魔の★地帯」に侵入したい』
けれど、それは簡単なことではないようで、これまでどんな船も『魔の★地帯』に侵入することはできなかったらしい。
何かいい方法はないかしらと考えたところで、ふとカール・ニンファーならば『魔の★地帯』に侵入できるかもしれないと閃いた。
ただし、カールは攻略するのに最も手がかかる相手だ。
複雑な成育歴と過去を持っているから警戒心が強いし、一旦警戒されると口すらきいてもらえなくなるからだ。
もちろん、実際にカールを攻略するのはゲームの主人公にしかできないことだろうけど、簡易攻略というか、特別なハープさえあれば、お友達にはなれるはずなのだ。
だから、ハープの練習をすれば何とかなるかもしれないと思って、私にできることは協力するとシストに約束した。
『結果はお約束できないけど、できるだけのことは試してみるわ』
ちなみに、その特別なハープを所有しているのがカンナ侯爵家だ。
だから、冬休みを利用してカンナ侯爵領に行き、ハープを入手しようと計画を立てているところなのだけど……実のところ、私が弾けるようになりたいのはその特別なハープなのだ。
ゲームの中にハープが登場するシーンがあったけど、主人公は膝の上に抱えて弾いていた。
まさかハープが200種類もあるとは思わなかったけれど、きっと同じサイズならば同じような造りをしているはずだ。
だから、同じようなサイズのハープを選んでおけば間違いないわよね?
そう結論を出した私は、自信満々に兄を振り返る。
「お兄様、私はこの小さなハープで練習したいです!!」
「ふむ、膝の上に乗せて演奏するのか?」
「ええ、残りの2つもいずれ練習しますわ」
3種類のハープは全て私のために購入したのだろうから、責任を取って全部弾けるようになろうと心に決める。
すると、兄はおかしそうな表情で私の頭に手を乗せた。
「お前が使わないのであれば、残りは楽団に寄付するだけだ。余計な気は回さなくていい」
「い、いえ、でも……」
「恐らく、小型ハープを弾けるようになるだけでも半年はかかるぞ」
「ええっ!」
そ、そんなに?
でも、今後6か月もの間、カールを友達がいないままの状態にしておくのはどうなのかしら。
それに、今から3か月半後には、ゲームのヒロインが学園に入学してくる予定だから、この問題はヒロイン登場前に解決しておくべきよね。
だって、ヒロインと出会った後のカールにとって、私は敵に思えるはずだもの。
そうなったら、カールは私のお願いなんて絶対にきいてくれないわ。
うーんと悩みながら、私は小型ハープを手に取ったのだった。