25 フリティラリア公爵の誕生祭 16
セリアはごしごしと乱暴に目元をこすると、あふれ続けている涙を止めようと苦戦していた。
成功しているとは言い難かったけれど、きゅっと口角を上げると無理やり笑顔らしきものをつくる。
……あら、可愛らしい。
素直にそう思った。
目も鼻も真っ赤で泣き濡れているのに、何とか笑顔をつくろうとしている健気さにきゅんときたのだ。
思わずセリアのサラサラの髪を撫でる。
すると、セリアはびくりと体を強張らせ、その目から再び涙を零し始めた。
……あ、あれ? 私が髪を撫でたせいで、セリアが再び泣き出してしまった?
あああ、せっかくセリアが泣き止もうとしていたのに、余計なことをしてしまったわ。
私は思わず自分の右手を見つめて行動を反省したけれど、セリアはそんな私を涙がいっぱいたまった瞳で見つめると、にこりと微笑んだ。
ぐはっ。美少女、可愛い……
「ルチアーナ様、ああ、ルチアーナ様! 何度でも、何度でも、お礼を言わせてください! 本当に、本当にありがとうございました!」
「えーと……」
セリアの勢いに圧倒されてしまい、何と答えたものかと言葉に詰まる。
どういたしましてと返事をすれば収まりがつくような気もするけれど、そもそもお礼を言われる意味が分からない。
先ほどの魔物を倒したことのお礼かなとも思うけれど、主力として戦っていたのは兄とラカーシュで、私は最後にちょっと手助けをしただけだ。
しかも、私が風魔術を発動させた際には、セリアはこの場から走り去っていたので見てはいないはずだ。
だから、セリアがお礼を言っているのは、あのシンプルな魔術陣を展開させたことについてなのかしら? と思うけれど、それにしては大袈裟すぎる気がする。
セリアが目にした範囲では、どうしたって兄とラカーシュの方が活躍しているだろうに、どうして私にだけお礼を言ってくるのかしらと小首を傾げたところで、セリアがはっとしたように目を丸くした。
「あっ、すみません。ルチアーナ様にとって、理解できないことを申し上げていますよね。あの……少し長くなりますけど、私の話を聞いていただけますか?」
「ええ、もちろんです」
私はこくりと頷いた。
先ほどから、私の頭の中では?マークが飛び交っているのだ。
説明してもらえるのならば、どれだけでも聞く用意はできている。
ただ、長話になるというのならば、場所を移すのはどうだろう。
ラカーシュの足はどう見たって不自然に曲がっているし、立ったまま聞くのは負担じゃあないのだろうか。
そう思って、ちらちらとラカーシュの足を見ると、彼は何でもないことのように片手を上げた。
「ダイアンサス侯爵令嬢、私の状態をお気遣いいただいて感謝する。が、この程度の傷ならば、治癒魔法で完治するし、緊急性を要するものではない」
確かにラカーシュの顔色は普段通りだし、声にも痛みを堪えているような様子は見られなかったけれど、「その程度」の傷と片付けていいものかしら?
でも、本人の言葉だし……
などと考えていると、兄が横から口を出してきた。
「ルチアーナ、男性は女性の前で見栄を張りたい時がある。見て見ぬふりをすることも、淑女のマナーだと思うが?」
思ってもみない内容を指摘されて、私ははっとして兄を振り返った。
なるほど! 女性に対して見栄を張る!
前の人生において、1度も男性から見栄を張られた経験がなかったので、男女間でそのような状況が存在するということに、初めて気付かされる。
……さすがです、お兄様! 恋愛特化型の脳を持っているだけのことはありますね。
教えていただいて、ありがとうございます。
心の中で兄にお礼を言った私だったけれど、どちらにしてもラカーシュの発言は、私に対して見栄を張るということではないだろうと考える。
ただ、ラカーシュが礼儀正しいのは間違いないので、(怪我の治癒を含めた)個人的な用事を、私たち(客人)の扱いよりも優先させることは、礼儀的に問題だと考えての発言かもしれないと、思い至る。
それに、よくよく考えると、このまま城に戻ったならば、ラカーシュは怪我の治療に回され、セリアは泣き濡れた顔を人様に晒すことはならないと化粧係に回され、兄と私はユーリア様とともに帰宅用の馬車に乗せられるのではないだろうか。
セリアが話をしたい、私たちが聞きたいというのならば、この場で済ますことが一番適切なのかもしれない。
そう思ってセリアに向き直ると、彼女は申し訳なさそうに口を開いた。
「あの、私の話の中には、皆さんがご存じの話も含まれているかもしれませんが、お許しくださいね」
「勿論ですわ、セリア様。私が理解できるようにと、丁寧にご説明されようというのでしょう? お心遣いに感謝いたしますわ」
そう答えると、セリアは少し頬を赤らめながら、ゆっくりと口を開いた。
「ルチアーナ様もご存じの通り、魔力の系統は血によって継承されます。稀なる特質も同様です。そして、……我がフリティラリア公爵家は、代々『先見』の能力を継承してきました。とはいっても、非常に稀な能力で、100年に1人くらいの頻度でしか顕現しないものですが。私は……その先見の能力を一族から引き継ぎました」
先ほど私が盗み聞いていた内容と同じものを、セリアは口にした。
……ええと、盗み聞いていた私が言うのも何ですけれど、セリアが先見の能力者というのは、フリティラリア公爵家にとって結構な秘匿情報だと思うのですが。
それを、兄や私といった部外者に、正面から口外してもいいものでしょうか?
そう思う私を知らぬ気に、セリアは話を続ける。
「私は家族中から祝福されました。誰もが、100年ぶりに顕在した稀なる能力を称賛し、その使い手である私を認めてくれたのです。先見は、起きている時、眠っている時に関係なく現れます。突然、ふっと頭の中に未来の映像が浮かび、……それは、絶対に当たるのです」
稀有な能力に恵まれた話をしているはずなのに、セリアの表情はいつの間にか、悲しげなものに変わっていた。
「……初めのうちは、何て素敵な能力を手に入れたのだろうと、素直に喜んでいました。未来のことが分かるならば、未来をより良いものに変えることができるのだと、そう信じていたのです。けれど、……2つの事実が、私を打ちのめしました」
言いながら、セリアは震える手で髪をかき上げた。
美しい黒髪がサラサラとセリアの頬に零れ落ち、その表情を覆い隠す。
「1つは、未来は決して変えられないということです。私が視た未来には、悲しい出来事や、恐ろしい出来事もありました。ですから、なんとか回避すべく、兄にも協力してもらって色々と手を尽くしたのですが、……その場では避けられたように見える出来事も、結局、1つだって結末を変えることはできませんでした。私が視た全ての出来事は、決して避けることができず、そのまま起こってしまうのです」
そこで、セリアは髪の間からチラリとラカーシュを見た。
ラカーシュは無表情のまま妹を見つめていたけれど、話の内容のせいか、彼の無表情の中に苦し気な色が見えた気持ちになる。
……ダメだわ、元日本人の気質として、私は雰囲気に流されやすすぎるわね。
そう思いながら、思わず口を挟む。
「ええと、本当にそうなのですか? 先見の内容は絶対に絶対なんですか?」
未来が変えられないとするならば、先見の能力は何のためにあるのだろう?
未来を視ること自体に、価値を見出すべきということなのかしら?
そう思い首を傾げる私に対して、セリアは丁寧に説明をしてくれた。