248 世界樹信仰 1
「エルネスト様、ラカーシュ様、話を途中で切り上げていただきありがとうございます」
昼餐室を出たところでお礼を言うと、2人は何とも言えない表情を浮かべた。
それから、王太子は疲れた様子で首の後ろを撫でる。
「いや、明らかに今日の父上はしゃべり過ぎていた。ダイアンサス侯爵が非常に優秀だという話や、国を救うほどの偉業を行ったという話は、ラカーシュにとって初耳だったようだが、私も同様だ。恐らく、これらの話は王とダイアンサス侯爵の2人だけの秘密だったはずだ。これまで私が知らなかった事実からも、父上は誰にも漏らさず、最重要の秘密として守ってきたのだろう」
そう言えば、王がダイアンサス侯爵に陞爵の話を持ちかけたことがある、との話をした際、王妃も驚いた様子だった。
王妃の反応から推測するに、王太子の言うように、王とお父様の間だけの内緒話だったのかもしれない。
ラカーシュも王太子と同意見のようで、諦めたように額を押さえた。
「聖獣と契約することは、国王にとって長年の悲願だったからな。私はあれほど浮かれた王を見たことがない。先ほど、段取り通りの場所に王は現れなかったが、そんな失態も初めて見た。恐らく、今日の王はこれまでやったことがないようなことを、いくつも仕出かすのだろう。そして、その半分くらいを、後から後悔するのだろうな」
ラカーシュから冷静に説明されると、その通りだわという気持ちになる。
でも、王が浮かれていたのは、それだけ嬉しいことが起こったということだから、いいことなんじゃないかしら。
それよりも、目下の問題は『世界樹の羅針石』よね。
「あの、エルネスト様、ラカーシュ様、『世界樹の羅針石』についてですが……」
おずおずと口を開いたところで、右手を王太子に、左手をラカーシュに握られた。
「えっ?」
「ルチアーナ嬢、君が言いたくないことであれば、無理をして言う必要はない」
王太子が安心させるように微笑むと、ラカーシュも頷きながら言葉を重ねる。
「エルネストの言う通りだ。君に与えられたのは非常に稀有な能力だ。そのおかげでセリアが救われたのだから、私がすべきことは君の能力に感謝することのみだ。君を困らせたり、困惑させたりすることは本意ではない」
何ということかしら。二人とも完璧なるきらきら王子様じゃないの。
どちらも高位者だから立場があるし、『世界樹の羅針石』は重要案件だから、私から色々と聞き出したいだろうに、私のことを慮って無罪放免にしてくれようとしているわ。
2人の優しさが心に染みて、じんとくる。
実際のところ、私にも分からないことだらけだから、聞かれても答えようがなくて困っていたのだ。
「優しいお言葉をありがとうございます。そんなお2人には全てを正直に話したいんですが、このことについて私が知っていることはあまりないんです。王国古語の教科書を読めた理由は、私自身にもさっぱり分からないのですから」
正直に答えると、王太子は戸惑った様子で呟いた。
「そうなのか?」
「ええ、王国古語の教科書は普段読んでいる文字と変わりなく、すらすら読むことができました。そのせいで、まさか誰も読めない文字で書かれているとは思いもしませんでした」
私の言葉を聞いたラカーシュは、考える様子で尋ねてくる。
「……ルチアーナ嬢はあれらの文字を、普段読んでいる文字と変わりなく読むことができたのか?」
「ええ」
大きく頷くと、ラカーシュは困ったなとばかりに天を仰いだ。
「特殊能力というのは、こういうものなのだろうな。当たり前のものとして与えられるから、その特異性に本人は気付きもしないのだ」
「ええと」
困惑していると、王太子が安心させるかのように微笑む。
「ルチアーナ嬢、安心してくれ。私の父母がこのことについて他言することは決してない。あの二人もそれくらいは弁えているはずだ。そして、私とラカーシュも同様だ。ルチアーナ嬢は他の者が決してできない多くのことを実行できるのだから、皆で守るべきだ。恐らく、君の魔法使いとしての能力なのだろうな」
どうやら王太子は、私が『世界樹の羅針石』を読めたのは、魔法使いとしての固有の能力によるものだと考えているようだ。
確かに、そう考えるのが妥当よね。
他に思い当たることがないので王太子の言葉に納得していると、彼は難しい表情を浮かべた。
「先ほど、『世界樹の羅針石』を解読することは大変な偉業だから、その家門は陞爵されるべきだ、と私は軽々しく発言した。しかし、いざダイアンサス侯爵家にその可能性が出てくると、果たして私の発言は正しかったのかという気になった」
「確かに、うちは公爵家という柄ではありませんね」
両親はもとより、サフィアお兄様に貴族の頂点である公爵位は似合わない。
というか、兄の外見で公爵位まで手に入れたら、女性たちが寄ってきて大変なことになるんじゃないかしら。
兄が女性たちに追いかけられる姿を想像していると、王太子がそうではないと首を横に振った。
「いや、ダイアンサス侯爵家の方々は品位も能力も申し分ないから、公爵位を賜るのに何の不足もない。そうではなく……率直に言って、世界樹は信仰の対象なんだ」
「信仰の対象?」
意味が分からずに首を傾げると、王太子は言葉を選ぶかのように少しだけ沈黙する。
「……多くの者たちは、世界樹から世界が始まったと信じている。何もない世界に一本の木が生え、その木が世界中に根を張り、枝を伸ばし、世界を包み込んでくれたから、誰もが住める世界になったのだと」
王太子の口からとんでもない話が飛び出してきたため、私は驚いて目を見開いた。
それから、ラカーシュのお城で、初めて兄が『世界樹の魔法使い』の説明をしてくれた時の言葉を思い出す。
『おとぎ話の世界だな。この世界にはたった1人だけ「魔法使い」がいて、世界の安寧を保つために「世界樹」の守り番をしている……そういう話だったか』
あの時は、初めて聞く『魔法使い』という単語に気を取られ、『世界樹』という単語は聞き流していた。
でも、魔法使いが貴重だというのならば、その魔法使いに守られている世界樹はもっと貴重な存在ではないだろうか。
ルチアーナは歴史や宗教に一切興味がなかったから、世界樹について何も知らなかったというだけで、実は世界樹というのはすごく重要なのかもしれない。
その可能性に思い至り、顔を引きつらせる私に向かって、王太子は淡々と言葉を続けた。
「だから、ルチアーナ嬢が『世界樹の羅針石』を読めたと分かれば、多くの者が君を求め始めるだろう」