246 王宮昼餐会 6
まずいわね。
王に続いて王太子から、いかに我が家が公爵家になるべきかということについて説明されているわよ。
これはのんびりと父の判断を待っている場合ではないわ、と考えた私は勢いよく王太子の言葉を否定した。
「いえ、実のところ、私は何一つ解読していません! というか、『世界樹の羅針石』の文字を見てもいないんです!!」
正直に告げたというのに、王太子は何を言っているんだとばかりに眉根を寄せる。
「ルチアーナ嬢は聖山で、自信満々に『向こうに見える紫の「世界樹の羅針石」には、「あまねく癒しを与える光、白き炎の中から蘇らん」と書いてあるんです!』と言い切ったじゃないか」
言ったわね。
「君はラカーシュと二人で散歩に行ったから、その際に羅針石を目にし、どうにかして羅針石の文字を解読したのではないのか?」
王太子の言葉を聞いたラカーシュは、驚いた様子で目を見張った。
「確かに私は聖山で、ルチアーナ嬢とともに辺りを散策したが、『世界樹の羅針石』には近寄ってもいない」
「何だって?」
王太子は驚いた様子で私に顔を向けた。
「では、ルチアーナ嬢は一体どうやって、見たこともない羅針石の内容を言い当てることができたのだ?」
それは至極当然の疑問だ。
一方、私の答えは、自分でもお粗末だと思う内容でしかないのだけど、事実なので、自信を持って言い切るしかないのだ。
「実は……、ぴーんときたのです!」
「ぴーんと……何だって?」
王太子は聞き返してきたけれど、何度聞かれても同じ答えしか返せない。
「ですから、ぴーんと閃いたのです! 王国古語の教科書を読んだ時には、どのフレーズも大事な気がして、一つだけを選べなかったのですが、いざ聖獣を救う場面に遭遇した時には、『これだ!』と正解のフレーズが頭に浮かんできたのです」
すると、やっぱり王太子は理解できないとばかりに聞き返してきた。
「…………王国古語の教科書が何だって?」
今日の王太子はものすごく理解が悪いわね。
「ルチアーナ嬢は王国古語の教科書を読んだのか?」
まあ、目を丸くして尋ねてくるなんて、私が授業の予習をすることがそんなに意外なのかしら。
最近の私は結構頑張っているんだからと思いながら、そうですと頷く。
「ええ、全体の半分近くは読みましたね」
本当は3分の1くらいだけど、少しくらい見栄を張ったっていいわよね。
私は胸を張ると、王国古語の教科書を読んだことを証明するため、ラカーシュに同意を求める。
「ラカーシュ様、ほら、フリティラリア城で2頭の魔物を湖に落として退治したことがありましたよね。あの時だって、王国古語に書いてあったフレーズに従って行動しましたよね。『黒百合の森に現れし緑の蛇は、赤き湖にて永遠に眠る』と教科書に書いてありましたから」
「……初めて聞く話だ」
さすがは彫像様だと言わんばかりの無表情で、ラカーシュがぼそりと呟く。
そのため、私はそうだったかしらと記憶を辿った。
「えっ、言っていませんでしたっけ? ……ええと、そう言われれば言っていなかったかもしれませんね。まあ、でも、ラカーシュ様であれば教科書の内容を全て覚えてそうですから、後からご自分でも思い至ったんじゃないですか」
そう答えた後、ふと疑問が湧いて首を傾げる。
「あれ?」
「どうした?」
王太子が問い返してくれたので、考えながら返事をする。
「エルネスト様は先ほどから、『世界樹の羅針石』はこれまで誰ひとり解読することはできていないと言われていますよね。だとしたら、王国古語の教科書に載っているものは何ですか? あれは誰かが解読したからこそ、皆が読める形で載せてあるのでしょう?」
自分で話をしながら、状況がよく分からなくなる。
あれれ、教科書に堂々と書いてある文字を、誰も解読できていないというのはおかしな話よね。
私は皆からからかわれているのかしら?
大きく首を傾げていると、エルネスト王太子が私の質問に答えてくれる。
「ルチアーナ嬢、王国古語の教科書に記載してあるのは、『世界樹の羅針石』に刻まれている通りの文字だ」
けれど、その答えはさらに私を混乱させるものだったので、首を傾げたまま聞き返した。
「どういうことです?」
言葉を発した瞬間、そういえばこれまで一度も王国古語の授業を受けたことがないことに思い至る。
「あれ? そういえばこれまで一度も、王国古語の授業を受けたことがない……」
言いかけたところで初めて、皆の顔色がものすごく悪くなっていることに気が付いた。
王も王妃も王太子もラカーシュも、全員が真っ青な顔で私を見つめていたのだ。
そのため、遅ればせながら、何だかものすごくまずいことが進行しているような気になって、ぴたりと口を閉じる。
けれど、すぐに何とかフォローしなければいけないと、誤魔化すための言葉を続けた。
「……うふふふふふー、失礼しました。私ときたら一人でぺらぺらと話をして、お恥ずかしい限りです。世迷い事のような言葉ですので、あまり本気にしないでください」
笑顔でそうお断りを入れたけれど、王太子は真っ青な顔で持っていたナイフをぎゅううっと握りしめる。
「王国古語の授業など、できるわけがない! 誰もあの教科書に載っている文字を読むことはできないのだから」
「えっ?」
言われた意味が分からずにぱちぱちと瞬きを繰り返すと、王太子は顔色が悪いまま言葉を続けた。
「あの教科書は授業で使用するためにあるのではない。戒めと希望のために存在するのだ。これだけ熱心に取り組んでも、誰一人解読できない文字が存在するということを知らしめて、学業上の戒めとするために。それから、発見された全ての羅針石の文字を一冊に集めることで、いつか誰かが文字体系を確立し、解読してくれるのではないかという希望として」
その時になってやっと、私は恐ろしい事実に気付く。
そのため、ごくりと唾を飲み込むと、恐る恐る王太子に尋ねた。
「…………あの、エルネスト様は王国古語の教科書が読めないんですか?」
「ああ、読めない」
きっぱり否定されたものの、私は往生際悪くラカーシュにも同じ質問をする。
「ラ、ラカーシュ様は読めますよね?」
「いや、読めない」
「…………」
よく分からないながら、ものすごくよくない状況だということは分かったため、私は今更ながら口を噤むことにしたのだった。