187 聖獣「不死鳥」 4
王太子は一瞬、高揚した様子で頬を紅潮させたけれど、すぐに視線を落とすと、掠れた声を出した。
「……そうだろうか。君には知られているが、私が紳士的なのは表面だけだ。誰に対しても等しく微笑みながら、心の裡では相手に対して不満を覚えていたり、不愉快に感じたりしていることが多々ある。それなのに、私は自分がよく見えるようにと、いつだって笑顔の仮面を被っているのだ」
「それは悪いことですか?」
心の中でどう感じていようとも、不快さを表さないのは、王族や貴族として当然のたしなみだ。
そして……前世の日本人的な行動だと思う。
私だって前世の会社員時代に、嫌な上司や同僚はいたのだ。
だけど、嫌がっていることを悟られないように、にこにこと笑みを貼り付けながら話を聞いたり、一緒に行動したりしていた。
そうしたら、嫌だと思ったのは第一印象だけで、実際にはいい人だった場合が何度かあったのだ。
「殿下は内心では嫌だと思っていても、顔に出さずに対応しますよね。相手の話に耳を傾けるし、親身になって返答されます。そうやって付き合って、相手を知ることで、いつか殿下が『嫌な奴だと思っていたけれど、いい奴じゃないか』と心情が変化するかもしれないし、相手からも『殿下は素晴らしい人だな』と思われるかもしれません」
「それはそうかもしれないが……」
多分、私が話したような体験を、王太子は幾度か経験したことがあるのだろう。
そのため、王太子の言葉が歯切れの悪いものになる。
私は決して押し付けがましくならないようにと、平坦な口調で言葉を続けた。
「もしも殿下が、初めから『嫌いだから相手にしない』という本心を外に出していたら、仲良くなれる機会は与えられないんです。ほら、大嫌いな私のことですら、きちんと会話を交わしてくれたから」
「先日も言ったが、私は君を嫌ってはいない」
しかし、最後まで言い終わらないうちに、王太子が言葉を差し挟んでくる。
確かに、以前、王太子はそんな話をしてくれたけど。
「うーん、でも、少なくとも収穫祭の前辺りまでは、私のことが大嫌いでしたよね。もちろん、私の態度が悪かったので、自業自得なのですが。でも、殿下がその態度の悪い私にも礼儀正しく付き合ってくれたから、殿下は私を知って、評価を変えたんじゃないですか?」
「それは……君の言う通りかもしれないな」
王太子は言い難そうに肯定した。
過去の話だとしても、本人を目の前にして、嫌いだったと認めることを申し訳なく思っているようだ。
一方では、そう感じながらも、私に正直に返事をしたいといった様子が見て取れたため、誠実な人柄だなと改めて思う。
こんなに真っすぐな王族なんて、滅多にいないのじゃないのかしら。
「殿下は内側と外側の感情が一致しないことは卑怯だと思っていて、相手が嫌いなのに友好的な振りをしていることを心苦しく感じているようですけど、この性質は短所ではありません。長所です。おかげで私は今、殿下と一緒にいることができているんですから」
「…………」
私の言葉を聞いた王太子は、驚いた様子で目を見張った。
それから、何かを言おうと口を開きかけたけれど、結局は閉じるという行為を何度か繰り返す。
しんとした静寂が続いた後、彼は下を向くと、くしゃりと自分の髪をかき回した。
「ルチアーナ嬢は……すごいな。私はずっと聖獣と契約できない自分を恥じていて、リリウムを名乗ることが苦痛だった。そして、その原因はにこやかに対応しながらも、心の裡で色々と考えている心根の悪さだと考えていた。なのに、その全てを肯定するのか」
とてもすごいことをしたかのように言われたけれど、私は当たり前のことを言っただけだ。
「当然の話ですよ。全ての者を好きになれるはずもないのですから、嫌いな者がいることは当然のことです」
たとえば以前のルチアーナは、自分勝手で相手の都合などお構いなしに、王太子の時間に侵食し、ぐいぐいと迫っていたのだから、その最たるものだろう。
「王太子殿下は国でも1、2を争うほど忙しい方ですから、普通に考えたら、気に入らない者や役に立たない者は、全てばさばさと切り捨てていくしかないんです。いちいち対応する時間はないのですから。それなのに、にこやかに対応する殿下は本当に素晴らしいと思いますよ」
「……そうか」
王太子が地面を見つめたまま、ぽつりと呟いたので、勢い込んで同意する。
「ええ、そうですよ!」
すると、王太子は俯いていた顔を上げ、困ったように眉を下げた。
「今さらだが、ラカーシュの気持ちが分かったような気持ちになるな」
「えっ、ラカーシュ様の?」
なぜ突然ラカーシュの話がでてきたのかしら、と不思議に思いながら首を傾げていると、王太子は「なんでもない」と首を横に振った。
「私の従兄がやっと見つけた心動く相手に、私が割り込むわけにはいかないからな」
そう独り言のように呟くと、王太子は切なそうな微笑を浮かべた。
「ルチアーナ嬢、君とは友人になったのだったな。友人は悲しい時も、楽しい時も、いつだってずっと一緒にいるものだ。だから、いつまでも私の傍にいてくれ」
王太子の力ない様子を見て、もしかして彼は滅多にないほど弱っているかもしれないと思う。
そのため、私は「もちろんです」と大きく頷いた。
それから、2人で焚火を見つめながら黙って過ごしたのだけど、その沈黙は心地悪いものでは決してなく、私の心をふわりと温かくさせるものだった。
そして、炎を見つめる王太子の表情も柔らかなものだったため、彼の心情も私と同じように穏やかならばいいなと思ったのだった。