181 リリウムの名を継ぐ者 4
翌日から、私は多くの時間を王太子やラカーシュと一緒に過ごすようになった。
具体的には、聖獣と風土病について調べるため、2人、もしくは3人でリリウム城にある図書室の本を読むか、再び村を訪れて聞き取りを行う。
けれど、聖獣については、長年使役していた王家の一員である王太子の説明以上のものはなく、誰もが聖獣は山に籠りきりで姿を見ていないと口を揃えた。
一方、風土病については、「白百合領で流行った風土病」と特定して探し始めたことで記録が見つかり、100年以上前にも紅斑を持った病人たちがいたことが分かった。
―――その日、エルネスト王太子、ラカーシュ、私の3人は、いつものように朝から図書室の本を調べていた。
「101年前に280名、153年前に242名、200年前に123名、252年前に145名、295年前に48名の病人の記録がある。紅斑が出たと記載されているし、最終的な病状は寝台から動けなくなったとあるから同じ病だろう。病名は『紅斑腫』とあるな」
この地における病の歴史を記した本をめくりながら、ラカーシュがそう口にする。
別の1冊を手に取っていた王太子も顔を上げると、ラカーシュに同意した。
「どうやら50年ほどの周期で、定期的にこの紅斑腫が発生していたようだな。だが、直近100年の間は1度も発生していない」
100年前と言えば、王家が聖獣と契約した時期だ。
そのことにピンときた私は、閃いたとばかりに考えを口にする。
「それはつまり、聖獣が王家と契約して以降は1度も発生していないということですよね? あっ、王家と契約してから、聖獣は各地で『癒しの欠片』を落とすようになりましたよね! もしかしたらこの100年の間、人々はその欠片をたくさん体に受けることができたから、病気にならなかったんじゃないですか?」
けれど、私の考えは王太子にあっさり否定された。
「それは考え難いな。『癒しの欠片』に重篤な病を治せるほどの力はないし、元々聖獣は聖山に棲んでいたから、山の近辺にあるルナル村には、『癒しの欠片』を度々落としていたようだからな」
一方、ラカーシュは部分的に私の考えを支持してくれる。
「だが、白百合領内には他にも町や村があるものの、紅斑腫の発生記録があるのは、聖山に最も近いルナル村のみだ。ルチアーナ嬢の言う通り、聖獣が風土病の原因に影響を与えている可能性は高いだろうな」
「そうだとしたら、急いで原因を特定したい気持ちになりますけど、聖獣の何が影響を与えているのかは分からないんですよね……」
うーん、と3人で考え込んだところで、ふと聖獣は聖山の炎を食べていると言っていた王太子の言葉を思い出した。
「……そういえば、火山の麓には湧水が多いと聞いたことがあります」
私は頭の中で、既に出揃っている情報を整理しようとする。
まず聖山は活火山で、聖獣はその炎を食糧としてきた。
それから、聖獣が聖山の炎を食べなかったのは、王家と契約していた100年前から4年前までの間のみだ。
「んん? もしかしたら聖獣が聖山の炎を食べることが、風土病発生の原因ってことはないでしょうか。紅斑腫が発症していない直近100年間は、聖獣が聖山の炎を食べていない時期と一致しますから」
それから、小声でぼそぼそと呟きながら考えをまとめようとする。
「あの村の人々は飲み水にしろ、畑へ撒く水にしろ、聖山に長い間蓄積され、その後、麓から湧き出てきた地下水を利用しているわよね。……元々、聖山は聖なる炎で浄化された水を貯え、近隣の地にその恵みを与えていたのじゃないかしら。けれど、聖獣が聖山の炎を食べるようになって、浄化の力が落ちてしまい、湧水に力がなくなったとしたら?」
「面白い仮説だな」
考え込んでいたところに、突然、王太子から声を掛けられたため、びくりとして顔を上げる。
すると、王太子とラカーシュが興味深そうに私を覗き込んでいた。
「あ、いえ、とりとめのないことを考えていただけです」
私の独り言を真面目に取り合ってもらうのも申し訳なく、慌てて話を終わらせようとしたけれど、ラカーシュは考える素振りを見せた。
「だが、君の発言は一理ある。なぜなら聖獣が聖山に棲みついたのは300年前だ。そして、記録を見る限り、紅斑腫の症例は300年より前には1度も発生しておらず、ルチアーナ嬢の仮説と一致する。……よし、試しに村人の飲み水を変えてみるとしよう」
そう言って、今にも図書室を出て行ってしまいそうになった2人を見て、私は慌てて声を上げる。
「い、いえ、ですが、皆を守るべき聖獣が病気の原因というのは、よく考えたらあり得ないように思います!」
けれど、王太子は複雑そうな表情を浮かべた。
「……恩恵のみを与える存在というのは、まず存在しない。我が王家も全ての国民のためになるようにと行動しているが、たとえば1つの救済策を出したとしても、その策によって不利益を被る者が必ず出てくる」
「それはそうかもしれませんね」
確かに、全ての人を等しく救う策、というのはあり得ないだろう。
「不死鳥が棲み付くまでの聖山は魔物の巣窟だった。薬草や山菜を取るために聖山に登る者が襲われることはもちろんのこと、しばしば魔物は山を下りて村人を襲っていた。そのため、魔物による被害人数は『紅斑腫』に罹患する者よりもはるかに多かった。聖獣が棲むことで、村人たちは魔物の恐怖から解放されたのだ」
「まあ、でしたら、……聖獣が棲む利益の方が大きく見えるかもしれませんね」
村人たちは毎日毎日、魔物が聖山を下りて襲ってくるかもしれないという恐怖と戦っていたのだ。
けれど、聖獣が聖山に棲み付いたことで、全ての魔物が駆逐され、その恐怖から解放されたのだ。
人々が聖獣にどれほど感謝しているかは、想像に難くないだろう。
「恐らく、村人たちに全てをつまびらかにして、『聖獣が聖山に棲むことと、棲まないことのどちらを選ぶか』と尋ねたら、誰もが前者を選ぶだろう。……それに、聖獣が我が一族と契約してさえいれば、風土病の危険もなくなるのであれば、聖獣はそれこそ恩恵のみを与える存在になるのだから」
確かに王太子の言う通りなので、反論できずにいると、王太子とラカーシュは連れ立って図書室を出て行った。
そんな2人の後ろ姿を、感心しながら見送る。
あの2人の行動力は突出しているわね。
大した根拠もない私の仮説を真面目に検討しただけでなく、すぐに対応しようと図書室から出て行ったのだから。
けれど、その行動力は村人の病を回避する可能性があることは何でもやってみようという気持ちの表れだから、私が村人ならばこんな領主に治めてほしいわよね。
私はそう結論付けると、やっぱりあの2人はすごいわね、と心の中で思ったのだった。
さて、1人になった私は手持無沙汰になったため、ぷらぷらと図書室内を見て回った。
面白いことに、図書室の中には学園で使用している教科書も揃えてあったため、興味をそそられて背表紙を指でなぞる。
けれど、すぐに思うところがあって、その中から『王国古語』の教科書を手に取った。
パラパラとめくってみると、記憶にあった通り短い文が羅列してある。
「そうそう、『黒百合の森の現れし緑の蛇は、赤き湖にて永遠に眠る』……この一文がフリティラリア城で役に立ったのよね」
凶悪な魔物と対峙していた時、私を救ってくれた『救済の一文』に遅ればせながら感謝する。
どうして教科書に救いの一文が載っていたかは不明だけれど、できるならば聖獣のことで役に立ちそうな一文はないかしら、と他力本願にも教科書に頼ろうと試みる。
そのため、さらにパラパラと教科書をめくってみると、関係がありそうな文がいくつか見つかった。
「あっ、『赤き光と黄金の光が交わりし時、天から降りし黄金の剣にて裁かれる』って、これじゃないかしら? いえ、それとも、『あまねく癒しを与える光、白き炎の中から蘇らん』かしら? あっ、あっ、『金と赤の聖なる獣、聖なる山より』ってあるからこれだと思うけど、途中で切れているわ」
どういうわけか、『聖獣と関係がありそうな一文はないかしら』と思いながら読んでいると、全ての文が関係ありそうに見えてくるから不思議だ。
その後もしばらく王国古語の教科書を眺めてみたけれど、どれもが関連する文のように思えてよく分からなくなったため、私はテーブルの上に教科書を投げ出した。
「ま、まあ、そんなに簡単にいくとは思っていなかったからね」
やっぱり地道に情報を集めた方がよさそうだ。
そう考えて、再び『白百合領の歴史』という本をめくり始めた時、王太子が戻って来た。
彼はテーブルの上に投げ出された王国古語をはじめとした数冊の本をちらりと見ると、「朝から根を詰め過ぎたようだな。休憩を取るのはいいことだ」とコメントしてきた。
どうやら王国古語の教科書を見て、こっそり関係ない本を読んで息抜きをしていると思われたようだ……この場合、教科書を読んで息抜きになると考える王太子の思考はすごいと思うけど。
いずれにしても、王太子から私を労わる言葉がでてきたことにおかしさを感じる。
「どうした? 私に何か付いているか?」
突然、微笑んだ私を訝しく思ったようで、尋ねるように首を傾げてきた王太子に慌てて説明する。
「あ、いえ、殿下から純粋な労りの言葉が出たことにおかしさを感じてですね。1週間前でしたら、殿下は間違いなく、耳に優しいけれど嫌味交じりの言葉を口にされるだけで、私を労わろうなんて思いもしなかったでしょうから」
説明している途中でおかしくなって、くすくすと笑っていると、王太子は憮然とした表情を浮かべた。
「それは……私だけでなく、君が変わったからだろう。以前は、君に対してどのような言葉を発したとしても、曲解されて言いがかりをつけられる恐れがあったため、迂闊な言葉は口にできなかったからな。だが、今は……」
「今は?」
王太子が言い差したので聞き返すと、彼は言い難そうに小声で囁いた。
「……私が失言したとしても、君なら見逃してくれるような気がするよ」
「つまり、少しは私が善良になったと、信じてもらえたってことですかね?」
嬉しくなってそう尋ねると、王太子からじとりと見つめられる。
「えっ、あの?」
王太子の視線にこれまでにないものを感じて戸惑っていると、彼はわざとらしいため息をついた。
「……これまでの君は自意識過剰だったが、今は少し鈍感だな」