180 リリウムの名を継ぐ者 3
「ルチアーナ嬢は先ほど、聖獣は聖山で何をしているのかと長老に質問していたが、……聖獣は炎を喰らっているのだ。リリウム家と契約していた間は、我が一族が提供する紅炎を食していたが、契約が切れた後は一切受け付けなくなったのだからな」
王太子は聖獣の説明の一環として、私が抱えていた疑問にさらりと答えてくれた。
長老の家で質問をした際には、そ知らぬふりをして黙っていたのだから、すごい変わりようだ。
けれど、その変化が私を仲間だと認めてくれた証のように思われて嬉しくなる。
「リリウム家との契約が切れて以降……ここ4年の間の不死鳥は、活火山である聖山の炎を食している。リリウム家の紅炎と聖山の炎の性質が異なるのか、あるいは聖獣が時期的に空腹なのかは不明だが、最近では多くの時間を聖山の頂上で過ごし、四六時中、炎を喰らっているようだ」
「そうなんですね。というか、聖獣の食事は炎なんですね。聖獣だけあって、何とも神秘的ですね」
王太子の話によると、元々、聖山に棲んでいた聖獣は、聖山の炎を食べて暮らしていたらしい。
けれど、リリウム王家と契約して王都で暮らすようになって以降、王家の者が提供する紅炎を食べる生活に変化したという。
リリウム家の紅炎は聖獣と契約した時に定めた対価だったから、契約が切れた今、聖獣は再び聖山の炎を食べる生活に戻り、そのため聖山で暮らしているのだろう。
聖獣の生活を理解できたように思い頷いていると、王太子は真剣な表情で口を開いた。
「ところで……子どもたちの腕に現れていた紅斑だが、村人たちは数年かけて少しずつ病魔に侵されていく、とルチアーナ嬢は説明したね。だとしたら、少しは猶予期間があるかもしれない」
それは私が1番気になっていた話だったので、はっとして王太子を見つめる。
「それは一体、どういうことですか?」
王太子は目を眇めると、顎に指を添えた。
「この病の症状として、初期段階では体の節々に痛みを覚えるだけだが、進行していくにつれてどんどん体が動かせなくなり、最後には寝たきりの状態になると君は説明した。しかし、この村で寝たきりの者が増加し始めたとの報告は受けていない。既に発症した者がいるにしても、それほど病状は進んでいないはずだ」
「まあ、そうなんですね! よかったです」
さらりと領地の民の状態を答えた王太子を見て、立派だわと感心する。
王太子はいつだって忙しいのに、これほど細やかに領民のことを把握しているのは、彼が領民たちのことを心から気に掛けていることの表れだろう。
「それから、君は先ほど、『紅斑はいずれ全身に広がる』と言っていた。しかし、村を見て回った限り、1番早く症状が表れるはずの子どもたちですら、紅斑が見られるのは腕だけだった。そのことからも、風土病が本格的に発症し始めるまで、いくばくかの期間があると推測する」
「確かにですね! そう言われたら、そんな気がしてきました」
王太子から理路整然と説明され、納得した私は大きく頷く。
「ただ、この見地には多分に私の希望も交じっている。そのため、至急、村人たちの健康状態を調査させよう。その際、紅斑が発生し始めた時期や、発生年齢の分布などについても詳しく調べさせるつもりだ」
生真面目な表情でそう締めくくった王太子に対し、私は勢い込んでお礼を言った。
「とても助かります! ありがとうございます!!」
さすが王太子、すごい決断力と実行力だわ!
やっぱりこの2人に相談したことは正しかったわね、と安堵していると、王太子は言い難そうに言葉を続けた。
「全ては風土病に関する情報を無償で提供してくれた君のおかげだ。そのことに、私の方こそ深く感謝する。……が」
「はい?」
色々と情報を出し合ったのに、まだ尋ね難いことがあるのだろうかと思いながら問い返す。
すると、王太子は躊躇いながらも、疑問に思っていることを口にした。
「私は先ほど、これほどの情報を入手する技術は素晴らしく、高価値があるから、その手法を外に漏らしたくない気持ちは理解できると発言した。その発言に反することは分かっているが、一体君はどのようにして……」
「エルネスト!」
けれど、そこで突然、それまで黙っていたラカーシュが王太子の言葉を遮ってきた。
「それは尋ねるべきでない事柄だ。ルチアーナ嬢は善意でお前に情報を無償提供したというのに、その結果、お前から尋問されなければならないのか?」
ラカーシュに肩を掴まれたエルネスト王太子は、はっとした様子で息を呑んだ。
それから、王太子は少しだけ頬を赤らめると、恥じらうような表情を浮かべる。
そんな王太子をちらりと見やると、ラカーシュは言葉を続けた。
「私も全てを把握しているわけではないが、知り得た情報から類推すると、ルチアーナ嬢には私たちが知らない情報を入手できる経路があるようだ。そして、そのルートは彼女が独力で入手したものだ。そのことを尊重し、彼女が隠したがっているものを決して乱暴に暴いてはならない」
「その通りだ。ルチアーナ嬢、大変失礼した」
ラカーシュの言葉を聞いて、王太子はあっさりと引き下がった。
その様子を目にした私は、2人とも立派ねと心の中で呟く。
王太子にとって聖獣との契約は最重要案件だし、領民の風土病回避は何事にも優先される事柄だ。
そのため、今後、王太子はそれらの対応に多くの人員を割くはずで、事案の根拠を押さえたいというのは至極まっとうな要望だ。
事柄が事柄なので、王族としての威光をちらつかせながら私に詰め寄っても何ら不思議はないのに、ラカーシュの言葉に納得して王太子は一歩下がったのだ。
そして、ラカーシュにしても、公爵家嫡子の立場としては王太子の意向に従うのが正しい道なのに、以前、フリティラリア城で約束した「ルチアーナ嬢が『世界樹の魔法使い』ではないことを支持する」との言葉を律儀に守ろうとしてくれたのだ。
きっとラカーシュは、私が魔法使いの力を使って色々なことを知り得たと考えているのだろうから。
いずれにしても、王太子が引いたのはラカーシュの言葉だからだ。
積み重ねてきたラカーシュへの信頼が、王太子の心を変えることができたのであって、他の者が同じ言葉を口にしても王太子には響かなかっただろう。
私はすごい2人と一緒にいるんだわ、と改めて身が引き締まる思いを感じていると、王太子は反省した様子で口を開いた。
「すまなかった、ルチアーナ嬢。言い訳になるが、私は焦りを感じていたのだ。私が聖獣と契約できないことが原因で、領民たちが病に倒れることなど、あってはならないことだからな。君からニュースソースを教えてもらうことで何らかの気付きがあり、対応策の助けになるかもしれないと考え、尋ねるべきではないと分かっていながら情報元を尋ねてしまった」
そこで言葉を切ると、王太子は困ったように眉を下げた。
「いずれにしても、無私の心で領民のことを考えてくれた君の前で、恥ずかしい真似をした」
これまでつんけんしていた王太子の態度とは思えない真摯な態度を目にし、私は慌てて両手をぶんぶんと振る。
「いえ、ちっともそんなことはありませんよ! 先ほどからずっと、殿下は思いやりがある方だなと思いながら、お話を聞いていましたから。殿下に聖獣を使役できるようになってもらいたいのは、別の目的があったからでしたけど、そのことを抜きにしても、殿下が聖獣と契約できるといいなと思うようになりました」
「えっ?」
まさか私がそう返すとは思わなかったようで、王太子はとまどったように見つめてきた。
そのため、普通のことを口にしても驚かれるほど、これまでのルチアーナの態度は酷かったのだわ、と思いながら言葉を続ける。
「殿下が聖獣と契約できたら、きっとこの国の者は今よりも幸せになれると思いますから」
私の言葉を聞いた王太子は、視線を下げると、はにかんだ表情を見せた。
「……そうだな、君の言う通りだ。私はリリウムの名を継ぐ者なのだから。聖獣を使役する一族で、そのことにより国民に安心を提供する者なのだ。幼い頃は、そのことを誇りに思っていたのに、聖獣の真名を1度引き継げなかっただけで、もはや聖獣を使役することはできないと勝手に思い込んで、諦めていたのだな」
それから、視線を下げたまま、自分に言い聞かせるように一段低い声で呟く。
「そんな私に、ルチアーナ嬢はもう1度挑戦する気概を与えてくれたのだ。ああ、本当にそうだ、……王家の儀式で真名を継承できなかったとしても、初代の契約者のように、聖獣から直接真名を教えてもらう方法があったのに」
王太子は顔を上げると、まっすぐ見つめてきた。
「ルチアーナ嬢、ありがとう。私はもう1度、リリウムの名を継ぐ者として胸を張ることができる」
そう言って、天井に彫られた白百合に視線をやったエルネスト王太子は、吹っ切れた表情をしていた。
晴れ晴れとした様子で、満足したような笑みを浮かべている。
……まあ、白百合が咲いたようだわ。
微笑を浮かべるエルネスト王太子の姿を見て、私はふとそう思ったのだった。