179 リリウムの名を継ぐ者 2
どうして驚くのかしら、と不思議に思ったけれど、王太子はさっと目を伏せると、無言のまま髪をかき上げた。その指先は震えているように見える。
彼は上げていた手で目元を覆うと、視線を合わせないまま、もう1度確認してきた。
「私は儀式で聖獣の真名を引き継げなかった。そして、真名を知っていた最後のリリウムである前王は、既に亡くなっている。状況は絶望的に思われるが、それでも君は聖獣との契約が可能だと考えるのか?」
とても簡単な質問だったため、自信満々に回答する。
「もちろんです! 聖獣と初めに契約を結んだリリウム家の方は、聖獣から直接、真名を明かされ、その名の下に契約を結んだんですよね。それと同じことをすればいいだけです」
「…………なるほど」
王太子は小さく頷いた後、顔を覆っていた片手を外して弱々しい微笑を浮かべた。
「なるほど、確かに君の言う通りだ。……はは、君の目から見ると、物事はシンプルだな」
王太子はソファの背もたれにどさりと体を預けると、疲れた様子で天井を見上げる。
私もつられて視線を上げると、部屋の天井に施されている白百合の彫刻が目に入った。
このお城はリリウム王家が地方の一貴族だった時から使用していたもののため、代々のリリウム家の者も同じようにこの天井を見上げたことがあるはずだ。
そして、リリウム家の一員であることに、誇りと喜びを感じていたのだろう。
王太子は感慨深そうに白百合の彫刻を眺めたまま口を開く。
「君は……すごいな。どこからかリリウム王家最大の秘密を探り出してきたにもかかわらず、その秘密を利用して利益を得ようとしないなんて。それどころか、秘密自体がなかったことになるように尽力したいから、力を貸してくれと言うのだから」
王太子は一旦そこで言葉を切ると、私に顔を向けた。
「君の希望は私が長年望んできたことだ。協力しないはずがない。だが……」
王太子は自嘲するかのように唇を歪める。
「弱音を吐いて申し訳ないが、私は既に己の力のなさを思い知らされていたから、聖獣を従えることを諦めていたのだ。なのに、君は自信満々に、私は聖獣と契約できると言い切るのだから……胸が震えた。私が信じ切れない私自身のことを、信じてくれるなんて」
そう発言した王太子の頬が赤らんでいたため、まあ、私ごときに信じられただけでこれほど喜ぶなんて、感受性が豊かなのねと意外に思う。
一方、ラカーシュは王太子の立場の者が簡単に感情を露にすることを軽々しいとでも思ったのか、眉根を寄せて王太子を見ていた。
そんな中、王太子は勢いを付けてソファから背中を離すと、両手を膝の上に置き、深く頭を下げた。
「ルチアーナ嬢、今さらだと思うかもしれないが、これまでの私の態度を謝罪させてほしい。君に対して嫌味を口にしたこと、邪険に扱ったことのどちらについても反省している。申し訳なかった」
王族が頭を下げるという、あり得ない事態を目にした私は、びっくりしてソファから飛び上がる。
「えっ! か、顔を上げてください! 王太子殿下は何も間違ったことはしていませんから!! 私だって、殿下が親切で思いやりがある方だということは分かっています。そんな殿下が失礼な態度を取りたくなるくらい、これまでの私が酷かったということですから」
私は誰もが理解している事実を述べたというのに、王太子は否定するかのように首を横に振った。
「私は生まれた時から、常に女性を敬うようにとの教育を受けてきた。君の態度がどうであったにせよ、私の対応が悪かった言い訳にはならない」
まあ、高潔!
この見た目で、そんなセリフをさらりと吐けて、王子様という身分なのだから、学園で女子生徒たちからの人気ナンバーワンになるはずよね。
「わ、分かりました! 殿下は全く悪くありませんが、謝罪を受け入れます。だから、頭を上げてください」
王太子に頭を下げ続けられるという状態が心地悪く、必死になってお願いすると、彼はやっと頭を上げてくれた。
それから、高潔なる王太子は、先ほど私が依頼した内容を彼からの依頼という形で再提案してきた。
「君さえよければ、今後は同じ志を持つ仲間として、ともに聖獣と契約できる方法を探してほしい。そのことを、改めて私の方から頼みたい」
王太子の表情が柔らかに緩み、銀髪がいつも以上にきらきらと輝いて見える。
ううーん、これまでずっと、王太子からは塩対応しかされたことがなかったし、そのことに不満はなかったけれど、普通の対応に切り替えられると、それはそれでいいものだわ。
元々、ゲームの中の最推しキャラだったから、尊いものを見せてもらった気分になるのよね。
「ありがとうございます、殿下! それでは、よろしくお願いします」
そう返事をすると、私たちは顔を見合わせて微笑んだ。
それから、持っている情報を出し合うことにする。
とは言っても、私は既に全ての情報を開示した後だったし、ラカーシュは王太子ほどには聖獣について詳しくなかったので、2人で王太子の話を聞いていただけだったけれど。
―――王太子の話によると、元々、不死鳥は聖山に棲んでいたらしい。
初めて聖獣と契約を結んだ100年前から、不死鳥が病気や怪我を治すことは知られていたため、不治の病にかかっていた王を治してほしいとリリウム家の先祖が聖山を訪れたことから、全ては始まったのだ。
不死鳥はおかしそうに笑ったという。
『面白いことを言うな。王に子はおらぬゆえ、このまま王が死ねば、侯爵であるお前にも次の王になる機会が巡ってくるかもしれぬのに』
『王は今、急進的な改革を行っている最中です。ここで亡くなれば、国が乱れます』
『ふうむ、私だとて国を平安に導くために存在することだしな。お前の思想は悪くない。よかろう、お前と契約を結ぼう。その証に我の名を示そう』
そして、聖獣と契約を結んだ際、リリウム家の火魔術で作り上げた紅炎を、聖獣の食事として提供することを約束したとのことだった。
けれど、実際に紅炎を提供した際、その炎は聖獣の口に合わなかったようで、リリウム家は苦情を言われたらしい。
『お前の炎はイマイチだな。美味しくなるよう、力を貸そう』
『それはありがたい。これからずっと、君の食事は我が一族の炎のみとなるのだから、君好みの味を教えてもらうことは非常に助かるな』
そんな会話とともに、100年の長きにわたる王家と聖獣の契約は始まったのだ―――……。
「……聖獣と契約したことで、我が一族の火魔術の威力は各段に上がった。そして、聖獣の力により当時の王は回復したが、次代を担う子が王に生まれなかったため、聖獣を従えているリリウム家が次の王となったのだ」
そう締めくくる王太子の言葉を聞いて、私は聖獣に思いを馳せたのだった。