178 リリウムの名を継ぐ者 1
「……………………」
苦悶の表情で黙り込むエルネスト王太子を見て、思ったよりショックを受けているようだわ、とストレートな言葉で伝え過ぎたことを後悔した。
『急いで正確に伝えることは大事だけれど、それだけでなく、表現方法を工夫すべきだった』と、心の中で反省する。
実のところ、王太子にとっての私は嫌っていた傲慢令嬢だから、これほど素直に信じてくれるとは思わなかったのだ。
そのため、説明内容に一切手心を加えなかったのだけれど、どうやら王太子は私の言葉をそのまま信じたようだ。
もちろん私の言葉に嘘はないのだけれど、王太子には衝撃が大きすぎたかもしれない。
彼の気分を引き上げるような耳に優しい話はないかしら、と頭の中で探してみたけれど、既に私の知っている情報は出してしまっていた。
そもそも『この地で発生している風土病の原因は、聖獣との契約が切れたことだ』との発言以上のことを、私は知らないのだ。
申しわけない気持ちになり、せめて正しく状況を共有すべきだと考え、知らないことは知らないと伝えるために口を開く。
「ええと、エルネスト殿下、補足させてください。先ほど発言したように、風土病の原因は聖獣との契約が切れたことだと思うのですが、それ以外の詳細はよく分かっていないんです」
「……そうか」
俯いたままぼそりと返事をする王太子は、責任感の強さから、自責の念に駆られているように見えた。
そのため、彼に逃げ道を用意しないと、今にも潰れてしまいそうだと心配になった私は、思っていることと真逆のことを口にする。
「ま、まあ、そもそも私が間違っている、という可能性もありますから……」
けれど、王太子は顔を上げると、ゆっくり首を横に振った。
「君は王家と聖獣の契約が切れた事実と、その時期を知っていた。ここまで核心的なことを言い当てたのだから、風土病についての発言も正しいと考えるのが順当だろう。というよりも、『風土病が村人の多くに発症する』という事案は、事実だった場合の影響が大き過ぎるため、事実だとの想定の下に前もって対応策を実施すべきだ」
きっぱりとそう言い切った王太子は、未だ青ざめていたものの、既に為政者の顔をしていた。
そのため、こんな弱り切った状態でも困難に立ち向かおうとする王太子は立派だわと感心する。
眩しいものを見つめるかのように目を細める私を何と思ったのか、王太子は決まりが悪そうに言葉を続けた。
「ルチアーナ嬢、みっともない真似を見せて悪かった。それから、……気を遣ってくれてありがとう」
王太子が仄めかした「みっともない真似」とは、「聖獣との契約が切れた事実を私に知られて落ち込んでいた」ことだろう。
そして、「ありがとう」とお礼を言ったのは、王太子に逃げ道を用意するため、彼に優しい話を用意したことに気付いているのだろう。
王太子の顔色は今もって蠟のようで、完全には立ち直っていない様子なのに、そんな最中にも私を思いやる言葉が出たことにびっくりする。
人間は極限状態に陥った時に本性が出ると言うけど、王太子の本性は「思いやりに溢れている」のかもしれない。
彼自身がものすごく不調な状態だというのに、嫌いな私のことまで気遣ってくれるのだから。
彼の思いやりをありがたく思いながらも、私にまでこれほど気を遣ったら、疲れ果ててしまうんじゃないかしらと心配になる。
「エルネスト殿下、私のことは気にされなくても大丈夫ですよ! 殿下から冷たく対応されることはデフォルトなので、今さら何とも思いませんから」
「…………」
私の言葉を聞いた王太子は気が楽になるかと思ったのに、かえって悩みが増えたかのような表情を浮かべた。あれ?
そんな王太子を慰めるかのように、ラカーシュが無言で王太子の肩に手を乗せている。
どうしたのかしらと見つめていると、王太子とラカーシュはため息をつき、喉を潤そうとするかのようにテーブルの上のカップを手に取った。
けれど、3つあるカップの中味は全て私が飲み干していたため、そのままソーサーに戻す。
それを見た私は、テーブルの上に置いてあったティーポットを手にすると、「お湯が冷めているかもしれませんけど」と断りながら、2つのカップに紅茶を注いだ。
すると、王太子とラカーシュはお礼を言いながら、即座にカップを手に取ったので、2人とも喉が渇いていたのね、と先ほど差し出されるまま3杯の紅茶を飲み干したことを反省する。
けれど、2人が正にカップに口を付けようとした瞬間、大事なことに気が付き、「あっ!」と声を上げた。
王太子は紳士らしく動作を止めると、私に視線を向けてくる。
「どうした、ルチアーナ嬢? 何か重大な事柄を思い出したのか?」
真剣な表情で尋ねてくる王太子に、私は大きく頷く。
「そっ、その通りです! どちらのカップにも、私が口を付けていましたわ。そ、そんなカップをお出しするなんて、失礼極まりない行為でした。今すぐカップを取り替えてきますね!!」
1番に頭に浮かんだのは、『とんでもないことに、間接キスになるのではないだろうか』ということだったけれど、はっきりと口にするのは恥ずかしく、意識し過ぎているように思われたため、取り急ぎ2人からカップを取り上げようと手を伸ばす。
けれど、2人ともに『そんなことか』といった様子で肩を竦めると、躊躇することなくカップに口を付けた。
「……は? え? ええっ??」
びっくりして目を丸くしている間に、2人はあっさりと紅茶を飲み干すと、「もう1杯いいかな?」「私もお願いしよう」とおかわりを申し出てきた。
そのため、私は「………はい」とだけ返すと、もう1度2つのカップに紅茶を注ぐ。
視線は紅茶のカップに固定されたままだけれど、頭の中では2人の行動を何度も何度も反芻していた。
……まって、まって! 紅茶のカップには取っ手が付いているわよね。
そして、王太子も、ラカーシュも、私も、右手の甲に家紋の花が刻まれているので右利きよね。
ということは、3人ともに右手で取っ手を握るから、口を付けるカップの部分はだいたい一致するんじゃないかしら。
あれ? 2人とも焦る様子を見せないし、そもそもカップを取り変えろとも言わなかったから、他人(異性)が使ったカップをそのまま使用することは普通のことなのかしら?
いやいやいや、違うわよね。すごいことよね。えっ、やだ、この2人が平気でいられるのって、実はすごい遊び人だからなのかしら。
新たな真実を発見したように思い、動揺して2人を見やると、逆に2人から驚いた表情で見返された。
「ルチアーナ嬢、君の顔は真っ赤になっているぞ! 朝から山に登った上、午後からはほぼ外に出ていたため、日に焼けたのではないか?」
「あるいは、動き過ぎたため疲労しているのではないか? 体が熱を持っているのかもしれないな」
真剣な表情で2人から発せられた言葉を聞いて、私は目をぱちくりと大きく瞬かせた。
……わあ、すごい。ぜんっぜん見当違いなことを言っているわ!
私だって異性だし、そんな私が使ったカップを洗わずに使用したというのに、これほど無頓着だなんて、もうこの2人は遊び人確定でいいだろうか。
あるいは、私を異性だと全く認識していないのかもしれないけれど。
……でも、ラカーシュからは告白されたし、異性として認識されていないはずはないと思うのだけど……やっぱり、この程度のことは騒ぐことではないのだろうか。
いずれにしても、2人からあまりに見当違いなことを言われ過ぎて、一人で動揺している私が愚か者に見えてくる。
「……だ、大丈夫です。何でもないことを、大変なことと思い込んでしまっただけのようですから」
正直に、でも、直接的には真意が伝わらないように曖昧な表現で返答すると、本当に真意が読み取れなかったらしい2人から見当違いな答えを返された。
「いや、風土病は非常に大変なことだ!」
「ああ、その通りだ!」
よし、これほど華麗に「男女間でのカップの使い回し」をスルーしたのだから、私の中でこの2人は遊び人確定だわ!
「……ですよね。それこそが大変なことですよね!」
私の中で一応の結論が出たため、気を取り直すと、当面の問題に意識を戻すことにする。
ああ、真剣に物事に向き合っていたというのに、ちょっと色恋っぽいことが起こるだけで動揺するのは元喪女の悪い癖だわ、との反省とともに。
「ええと、私が知っている情報はこれだけです。それから、もう1度、私の希望を繰り返させてもらうと、殿下には聖獣との契約を結び直してほしいし、この地に風土病が流行らないでほしいです。多分、後者は前者を実行することで防げると思います」
おさらいのつもりでそう発言すると、王太子が確認するように尋ねてきた。
「……君の主張は理解した。それで、君は私に何を望む?」
ストレートに尋ねてくる王太子を見て、彼のこういう部分はいいわよね、と好ましく感じる。
王族の中にはもったいぶったり、回りくどい言い回しをしたりする方も多いのに、王太子にそういう部分は全くないのだ。
「初めに申し上げた通り、私に協力してほしいんです。具体的には、聖獣について殿下が知っていることを教えてほしいです。1人1人が持っている情報を集約したら、きっと聖獣と契約できるヒントが見つかるはずですから!」
私の言葉を聞いた王太子は、戸惑った様子で再度、尋ねてきた。
「君は……私が聖獣と契約できると思っているのか?」
もちろんそうだ。私は最初からずっと、そのことを言い続けているのだから。
「ええ!」
きっぱりと言い切ると、王太子は信じられないとばかりに目を見開いた。