175 手札公開(ただし乙女ゲームについては除く) 1
リリウム城に戻ると、ひときわ豪華な部屋に案内された。
どうやらそこは、特別応接室と呼ばれる文字通り特別なお客様のための部屋らしい。
当然のことながら、今回の場合は私が特別なお客様というわけではなく、ましてや私の体調が優れないから気を遣ってというわけでもなく―――他の生徒たちから隔離された場所で、ゆっくりと話をすることが目的のようだった。
私は王太子とラカーシュに向かい合う形でソファに座ると、さりげなく2人の表情をうかがう。
それから、視察に出る前に、『エルネスト王太子とラカーシュの方が私よりも賢いし、聖獣の真名を取り戻したいとの目的は一致しているはずだから、協力できればいいな』と考えたことを思い出した。
正直に言って、ラカーシュはまだしも、王太子との関係はいいとは言えない。
そのため、この場で協力を申し出たとしても、話を受けてもらえる可能性は低いだろう。
けれど、このままでは手詰まり状態なので、現状を打破するために、2人に協力を仰いでみたい気持ちが湧いてくる。
少なくとも子どもたちの腕に紅斑が浮き出ていた今、できることは全てやってみるべきだろう。
心の中でそう決意すると、まずは体を温めることと、喉を潤すことから始めようと考え、目の前のティーカップを掴んで、ごくごくと一気に飲み干した。
王太子は約束通り、香りのよい温かい紅茶を出してくれたので、そのことをありがたく思いながら、空になったカップをソーサーに戻す。
すると、ラカーシュが戸惑った様子で自分のカップを差し出してきた。
「ルチアーナ嬢、私の分も飲むかい?」
まだ喉の潤いが足りないように思われたため、私は無言で頷くと、彼からカップを受け取り、同じように空にする。
すると、今度は王太子までもが同じ提案をしてきたので、私は彼のカップを受け取ると、やっぱり同じように空にした。
3杯の紅茶を飲んだことでやっと落ち着いた私は、正面に座る王太子とラカーシュに視線をやる。
それから、ごくりと唾を飲み込むと、思っていることを一息に口にした。
「王太子殿下、ラカーシュ様、私は今、1人では解決できない問題を抱えて困っています。そのため、これからする私の話を聞いて、協力してもいいと思ったら力を貸してくれませんか。ただ、私の話には少しだけ言い難いことが含まれているので……そして、嘘をつきたくはないので、話の一部については黙秘させてください」
私が口にした「言い難いこと」というのは、「この世界の基になったゲームをプレイしたことがあるため、これから起こることを知っている」という話だ。
そんな説明をしたら、間違いなく私の正気を疑われ、一緒に協力しようとは思ってもらえないだろう。
そのため、これだけは黙っておかないといけないわ、と考えながら王太子を見つめる。
すると、王太子は警戒するような表情を浮かべて、話の続きを促してきた。
私は頷くと、勢いよく口を開く。
「まずは私が困っていることと、知っていることをお話しします。私の話にはラカーシュ様が知らないことも含まれていますし、殿下が隠したがっていることもあるかと思うのですが、私は本当に困っていて、急いでいて、全ての情報を出し合わなければ解決は難しいと思うので、取捨選択することなく話をします。途中で、もしどうしても『それを言ってはダメだ!』というものがあれば、大声を出して遮ってください。そうしたら、黙りますので」
一気にそう発言し、私は王太子の秘密を暴露することを予告した。
これまでは王太子の気持ちを尊重し、聖獣との契約が切れていることについては口をつぐんでいたけれど、考えを改めたのだ。
兄の腕だけでなく、多くの村人たちの健康が掛かっているのだから、解決するために全ての情報を出し合わなければならない、と。
なぜなら聖獣との契約が切れた話をオープンにし、再度契約するために何ができるのかを皆で話し合わなければ、現状を改善するのは難しいように思われたからだ。
けれど、このまま待っていても、王太子が自ら秘密を告白してくることはないだろう。
そのため、王太子から恨まれようとも、私が暴露しようと決意したのだけれど……1つだけ問題があった。
つまり、王太子やラカーシュから『その情報はどうやって手に入れたのだ』と質問される可能性が高いことだ。
2人を納得させられる言い訳は思い付いていないけれど、完璧な言い訳を思い付くまで待っていられないわよね。
そう考えながら王太子を見つめていると、彼は皮肉気に唇を歪めた。
「……なるほど。私に不都合な話題が上った場合、大声を出して淑女の話を遮らなければならないのだな?」
そんな無作法を強いるのか、とわざとらしく尋ねてきた王太子に、私は白けた視線を送る。
「完璧な紳士である殿下には難しいことに思えるかもしれませんが、どうせ私のことは淑女だと思っていないでしょうから、ノーカウントですよ」
「……これは一本取られたな。ルチアーナ嬢はなかなかに手厳しい」
そう言うと、王太子は楽しそうに唇の端を吊り上げた。
そんな王太子の姿を見て、こんなリアクションをするのね、と意外に思う。
なぜならゲームの中のエルネスト王太子は、きらっきらの完璧王子様だったからだ。
いつだって穏やかに微笑んでいて、腹黒いところも、嫌味を言うこともない、整った笑顔を崩さない完璧な紳士だったのだ。
一方、この世界の王太子は婉曲な表現に覆い隠して嫌味を言うし、楽しいことがあると悪戯っぽそうな笑みを浮かべる。
ゲームの中の王太子とはイメージが異なるけれど、こちらの王太子の方が人間味があるし、悪役令嬢の私にも協力してくれるかもしれないと期待する。
いずれにしても頼んでみるしかないわ! と考えた私は、「それでは始めます」と前置きしてから口を開いた。
「まず私が困っていることですが、サフィアお兄様が左腕を失ったことです。医師と回復魔術師に診てもらいましたが、どちらも兄の腕を回復させることはできませんでした。そのため、もうこうなったら王国の守護聖獣である不死鳥に頼るしかないと考えたのですが」
そこで一旦言葉を切ると、腕を組んで話を聞いている王太子に顔を向ける。
それから、ぐっとお腹に力を入れて、王家最大の秘密を口にした。
「残念なことに、王家と守護聖獣の契約は4年前に切れているため、現時点では誰も不死鳥を使役することができません! そのため……」
「ルチアーナ嬢!!」
核心的な言葉を口にした途端、王太子からものすごい大声で遮られた。
そのため、これが合図であることを理解した私は、神妙な顔で頷く。
「はい、殿下、大声で遮るやつですね。黙ります」
けれど、私が沈黙したことは何の救いにもならなかったようで、王太子は絶望的な表情を浮かべると、両手で顔を覆った。
「……手遅れだ」
「…………」
王太子の態度を見て、もっと婉曲に発言すべきだったと反省したけれど、全ては後の祭りだ。
せめてもと、フォローの言葉を差し挟みたかったけれど、黙るという約束だったので、無言のまま王太子を見つめる。
けれど、王太子は全く顔を上げる気配がなかったので、困ってラカーシュに視線を移した。
すると、ラカーシュは驚愕した様子で目を見開いていた。
「王家と守護聖獣の契約が切れているだと? そんな話は私ですら聞いたことがないが、事実なのか? だとしたら、なぜそのことを君が知っている?」
「うっ」
予想はしていたものの、思ったより早く『絶対に答えられない質問』が来てしまった。
嘘はつかないとの約束をしていたから、私が答えられることと言えば……。
「それは、初めにお話しした『少しだけ言い難いこと』に当たるので、はっきりとは答えられないのですが……ある日、突然、そのことを知ったというか……」
ある日、突然、前世でプレイした乙女ゲームの内容を思い出したというか……。
「つまり、ルチアーナ嬢は我が公爵家に伝わる『先見』に類似した能力を持っているということか? あるいは……」
ラカーシュは難しい顔で、推測した内容を語り出したけれど、すぐに言い止した。
多分、「あるいは」の後には「魔法使いの能力か」と続けようとしたのだろうけれど、私が魔法使いかもしれないという話は極秘事項であることを思い出して、言葉を呑み込んだのだろう。
そのため、2人ともに口を噤んだ形となり、部屋にはしんとした沈黙が落ちる。
エルネスト王太子は絶望的な雰囲気を漂わせながら両手で顔を覆っているし、ラカーシュは眉間に皺を寄せて何事かを考え込んでいる。
そんな異様な雰囲気の中、私は約束した通り口を噤んでいるしかなくて、自分の手際の悪さにしょんぼりした。
これがサフィアお兄様だったら、きっともっとスマートに解決しただろう。
兄の頭の中には驚くほど多くの情報が詰まっていて、複合的な問題をまとめて考えることができる頭脳を持っていて、先の先まで想定することができるから、きっと王太子とラカーシュに必要最小限の情報だけ開示して済ませただろうから。
けれど、私は情報だけは持っているものの、明晰な頭脳も、先の先を想定する能力も持ち合わせていないため、知っていること全てを公開して、その中から2人に有益な情報を選び取ってもらうしかないのだ。
だから、この状況は仕方がないわと諦めると、私は無言のまま2人を見つめ続けたのだった。