172 白百合領視察 3
「ルチアーナ嬢、これから長老を訪ねてみないか?」
無言で考え込んでいると、エルネスト王太子から声を掛けられた。
考え事に没頭していたため、はっとして顔を上げると王太子と目が合う。
「長老様ですか?」
先ほど、村の主要なメンバーは全て訪問したはずだけれど、その中に長老はいなかったわよね、と考えながら問い返す。
すると、エルネスト王太子は諦めの表情を浮かべた。
「ああ、そうだ。まさか侯爵令嬢が自ら畑に入って、作物を調べるとは思いもしなかったからね。君の好奇心はとどまるところを知らないようだから、このまま自由にさせると色々なところに入り込んで、どこまでも興味のままに調査をしそうだ。そして、その全てにラカーシュが付き合いそうだから、それを避けるためにもある程度、君の好奇心を満足させようと思ってね」
王太子がちらりとラカーシュに視線をやると、彼は無言のまま頷いた。
その様子から、どうやら本当にラカーシュは私の全てに付いてきてくれるつもりのようねとびっくりする。
多分、ラカーシュは自らが言い出したペア行動の順守というよりも、出発前にサフィアお兄様と交わした、『私の身の安全を完璧に守る』という約束が気になっているのだろう。
彼のことだから、約束をした以上は何が何でも私を守らなければならないと考えているに違いない。
「ラカーシュ様は責任感が強いんですね。そんなラカーシュ様にできるだけご迷惑を掛けないようにしますね」
彼の責任感の強さは筋金入りだ。
『私は1人で大丈夫』と言っても、ラカーシュは気になって付いてきてくれるだろうから、私が無茶をしないようにしないといけないわ。
そう決意しながら笑顔で彼を見上げたというのに、ラカーシュは首を横に振った。
「いや、迷惑を掛けられても構わない」
「まあ、優しいんですね! でも、ご安心ください。私はその優しさに付け込んだりしませんから」
ラカーシュを安心させるためにそう発言すると、彼は困ったように眉を下げ、その隣では王太子が呆れた様子でため息をついた。
「ラカーシュの行動を一般的な親切心と解釈するのは君くらいのものだ。これまでの君はひどく自意識過剰だったが、今度は反対に寄せられる好意に無頓着すぎる。ここまで反対方向に振り切る必要はないのだから、その真ん中くらいで落ち着いてほしいものだな」
「はい、何ですって?」
王太子は片手を口元に当てて話していたため、声がこもってよく聞き取れずに問い返すと、何でもないとばかりに片手を振られた。
「いや、繰り返すほどの話ではない」
王太子は既にこの会話に興味をなくした様子だったため、それならばと、長老の家に案内してくれることについてお礼を言う。
「王太子殿下、先ほどまで長老様の家を避けていたようですけど、お気持ちを変えていただいてありがとうございます。ぜひ、長老様を訪問したいです」
すると、王太子はバツが悪そうな表情を浮かべた。
「意図的に長老の家を外した私が悪かったのだから、礼を言われることではない。それよりも、ルチアーナ嬢、君に1つ頼みがある。よければ……ここで見た作物の異常については、黙っていてもらえないか」
「えっ?」
もちろんぺらぺらと話をするつもりはないけれど、何のために黙っていてほしいのかしら、と王太子の意図を計りかねて彼を見上げる。
すると、彼は真面目な表情で口を開いた。
「この地における作物の変色は、一時的なものだと私は考えている。そして、変色が見られる間は、作物を領地外に出荷しないよう制限をかけている。どこにも迷惑を掛けないよう適切に対応しているが、いったんこの地の作物に難があることが広まると、風評被害で今後はどことも取引をしてもらえなくなる可能性がある。私はそれを避けたいのだ」
王太子の言葉を聞いて、彼が領民を守ろうとしていることに気付かされ、はっと目を見張る。
そうだったわ。私は嫌われているから時々酷い対応をされるけれど、王太子は元々公平で立派な人物なのだったわ。
「王太子殿下はこの地の民を守ろうとしているのですね。ご説明いただいたので、理解できました。そして、お約束します。この地で見た作物の異常については、誰にも言いません」
まるで宣誓するかのように、片手を上げて約束すると、王太子は目に見えてほっとした表情を浮かべた。
「感謝する」
そう発言した王太子の表情が、今までになく柔らかいものだったため、演技でなくこんな表情もできるのねとびっくりする。
それから、嫌っている私に対して微笑むくらいだから、王太子はよっぽど喜んでいるんだわと心の中で呟いた。
恐らく、王太子は白百合領を大事に思っていて、この地の民の助けになりたいと心から考えているのだ。
そんな王太子にとって、私は性格の悪い貴族の娘でしかないので、決して味方とは思っていないだろう。
そのため、私にマイナス情報を知られることは、弱みを握られることだと警戒していたに違いない。
多分、エルネスト王太子が私を長老の許に案内しようとしなかったのは、彼がこの地の野菜の変色を、部外者である私に知られたくなかったからだろう。
そのため、色々と知っている長老に余計なことを話されては困ると考えて、敢えてスルーしたのだ。
けれど、王太子にとって想定外なことに、私が畑の中まで入り込んで色々と不都合な真実を発見したものだから、もう仕方がないと諦めて、案内してくれることにしたのじゃないだろうか。
結局、王太子はいい人なのよね。
そう結論付けると、王太子から提案された通り、3人で長老の家までのんびり歩いて行くことにした。
初めの頃こそ、ぽつぽつと会話が続いていたのだけれど、しばらくすると、王太子とラカーシュは何事かを考えているようで無言になった。
そのため、一体何を考えているのかしらとちらちらと2人に視線を走らせたけれど、どちらも考えに没頭している様子で難しい顔をしている。
そのため、手持ち無沙汰になった私は、聖獣について考えを巡らせた―――ゲームの中の、聖獣の真名の取り扱いについて。
そもそも私がプレイした『魔術王国のシンデレラ』は、恋愛イベントがメインのゲームだったので、恋愛以外の部分にはあまり力点が置かれていなかった。
そのため、聖獣の名前を取り戻すことはすごく簡単だった。
ゲームの中で、聖獣の真名を教えた主人公に、どうやってその名を知りえたのかと王太子が尋ねていたけれど、主人公はさらりと答えたのだ。
『本に書いてありましたよ』
今思えば、ゲームならではの都合のいい展開だと思う。
そもそもそんな大事な名前を本に書き記すことなどないだろうし、たとえ書き記してあったとしても、王家が厳重にその本を管理しているだろうから、主人公が王太子に先んじて情報を入手することなどできるはずもないからだ。
けれど……。
私はふと思い出す。
そう言えば、ラカーシュの城で双頭蛇の魔物を倒した際、ヒントになったのは『王国古語』の教科書に載っていた一節だった、と。
ということは、もしかしたらゲームの中にでてきた本というのは、王国古語の教科書のことだろうか?
けれど、多くの者が目にできる教科書に堂々と記載してあるのならば、誰だって気付くはずだ。
つまり、私よりも遥かに勘がよくて賢い王太子やラカーシュが気付かないはずはないだろう。
「うーん?」
首を傾げて考えていると、隣を歩いていたラカーシュから声を掛けられた。
「どうした、ルチアーナ嬢? 何か気になることでもあったか?」
そのため、私ははっと気を取り直すと、何でもないと首を横に振る。
「いいえ、何でもありません。長老様に何を聞こうかと考えていたんです」
そう、せっかく王太子が長老様の許に案内してくれるのだから、尋ねたいことがたくさんあるのだ。
私が欲しいのは聖獣の真名を取り戻すヒントだ。
そして、聖獣の真名の消失と作物の変色には関係があるように思われるので、その辺りについて長老に尋ねてみたい、と考えている間に目的地に到着した。