171 白百合領視察 2
前世の記憶を取り戻す前も、取り戻してからも、ルチアーナは一貫して王太子から嫌われていた。
もちろん原因は高飛車で高慢なルチアーナの性格にあったので、仕方がないことだと諦めていたのだけれど、一転して王太子から誉め言葉のようなものをかけられてしまった。
そのため、びっくりして目を見開いていると、王太子は言葉を続けた。
「性格を変えることは簡単ではない。これまでの性格が好ましくないものだったと認め、思考の癖を変化させるのだから。並大抵のことではないし、苦痛を伴う行為だ。だが、それをやろうと努力している者がいれば、私はその行為を尊重するし、助力したいと思う」
そう口にした王太子を見て、『まあ、本当に思いやりがあるのね』と感心する。
大抵の人であれば、「この人の性格には難がある」と思ったら、二度と近付くことはないだろうに、王太子はもう1度近付いてくれたのだ。
その上で、私の性格を公平に観察し、きちんと変化を認めて評価してくれたのだ―――相手が、ものすごく嫌っていた私であるにもかかわらず。
私に対してこれほど親切に対応するのであれば、他の者に対する態度はもっと手厚いに違いない。
「王太子殿下はとても丁寧に人を見ているんですね。……あなたのような方が王になれば、国民は幸せですね」
声に出した途端、その通りだわと思う。
前世でプレイした乙女ゲーム、『魔術王国のシンデレラ』に登場した攻略対象者の中で、私はエルネスト王太子に1番夢中になった。
けれど、ゲームの中で知り得た彼についての情報は、ゲームの進行上必要だと思われるものに限定されていた。
ところが、実際にこの世界で、王太子と行動をともにしてみたらどうだろう。
情報の制約がないため、色々なエルネスト王太子を知ることができたのだけれど、実物の方が多くのことを考えていて、思いやりがある人物だった。
そんな王太子のことを知れば知るほど、彼には幸せになってほしいと思う。
ゲームをプレイしていた時、何とか王太子ルートをクリアしたいと頑張っていたけれど、それは王太子に幸せになってほしかったからなんだな、と今になって思う。
なぜならゲームの中ではシンプルに、ヒロインと結ばれたヒーローは必ず幸福になっていたからだ。
ゲームのキャラ相手にもそう思うのだから、実物の王太子と一緒に生きる世界に来て、彼の誠実な生き方を目の当りにしたら、もっとそう思うのは当然のことだろう。
王太子には幸せになってもらいたい。
そして、王太子は当たり前のように他人のために行動するから、多くの者を救うことができる王という立場に即けたら幸せだろうと思う。
つまり、エルネスト王太子が王になることは、国民のためであると同時に、彼のためでもあるのだ。
その際、王太子が自分の価値を認めることができたらいいなと思う。
だから、彼自身のために聖獣の名前を取り戻してあげたいな……とそう考えたところで、籠を取りに行っていた村人が戻ってきた。
そのため、私は慌てて思考の世界から現実に戻ってくると、ぱちぱちと瞬きをする。
それから、視線を落とすと、手渡された籠に目を向けた。
聖山に生えている植物の蔦で編まれたという籠は、多くの物が入れられそうな手提げ付きの便利品だった。
とっておきというだけあって、丁寧に編み込んであると皆で感心していると、村人はその籠を王太子に持ち帰ってほしいと言い出した。
「いいのか?」
王太子の問いかけに、村人は嬉しそうに頷く。
「もちろんです! この村の誰もが、王太子殿下にこの地の物を献上したいと思っているので、それらの物を入れる籠が必要なはずです。よかったら使ってください。この村の視察が終わった時には、その籠がいっぱいになっていますよ!」
朗らかに笑う女性に皆でお礼を言うと、今度は畑を見て回ることにする。
村のあちこちを回って話を聞いたけれど、聖獣についての新たな情報は得られなかったため、直接的な情報収集はいったん諦めることにしたのだ。
代わりに、何かヒントになるものはないかと村を見て回ろうと考える。
初めに村長から受けた説明では、この地は農業が盛んとのことだった。
近くに聖山を持つ、聖獣の恵みを受けた村だ。
さぞかし立派な作物が採れるのだろうと期待して、野菜の生産者に話を聞くと、私の推測を肯定してくれた。
けれど、実際に見てみようと、畑の周りに立って中を覗き込んでも、見えるのは野菜の茎や葉のみで、肝心の作物は一切見えない。
そのため、畑に入って近くから見せてほしいと頼むと、途端に生産者は表情を曇らせた。
「い、いや、道からでも十分見えると思いますので、止めた方がいいですよ! ぴかぴかのブーツが泥だらけになりますから」
焦った様子で答える生産者を見て、あれ、何か見られたくないものでもあるのかしら、と私の勘がピンとくる。
生産者の意向に反して悪いけど、こういうところに聖獣のヒントが落ちているかもしれないからね、と少々強引に許可を取ると、王太子とラカーシュの制止を振り切って、畑に足を踏み入れた。
ブーツがずぶりと土の中にめり込み、警告された通り泥だらけになる。
仕方がない、と歩を進めていると、たくさんの作物が収穫間近なことに気が付いた。
畑の周りから見た時は、何一つ作物が実っていないように見えたため、どうやら道に面した部分だけ先に収穫していたようだ。
腰をかがめて手に取ってみると、その作物は私が知っている形をしていながらも、馴染んだものとは全く異なる色をしていた。
本来なら緑色をしているはずの野菜が、毒々しい赤色をしているのだ。
驚いて隣の畑に移動すると、そこには異なる種類の作物が植えてあった。
けれど、手に取ってみると、黄色のはずの野菜がやはり赤色をしている。
そのため、私はそれぞれの畑から1つずつ作物をもぎ取ると、生産者の前に差し出した。
真っ赤な2つの野菜を見て、生産者は困った表情を浮かべる。
「す、すみません。先ほど、この地は農業が盛んで、とても上質な野菜がたくさん採れると説明しましたが、間違っていました! 実は、ここ数年ほど、売り物になるような作物がほとんど採れないのです。私たちが食べる分には困らないのですが、お金にはなりません」
その言葉を聞いて、今日の昼食に出た野菜は領地外から買い求めたものだと王太子が説明していたことを思い出す。
「あの、……あなた方はこの作物を食べているのかしら? 体に影響はないの?」
そう質問しながら、生産者の顔色を確認すると、血色は良く、特に不健康そうなところは見られなかった。
「ええ、味も変わりませんし、体に不調はないです!」
そう答える生産者に安心し、最初に疑問に思ったことを尋ねてみる。
「作物がこんな風に赤くなりだしたのはいつからかしら? 原因をご存じ?」
すると、生産者は考えるかのように暫く黙った後、口を開いた。
「作物に色の異常が見られるようになったのは、4年前からです。原因は分かりません」
「そう……」
4年前という時期に思い当たることがあったため、動きを止めて考え込む。
……聖獣を従えることができていた前国王が亡くなったのが、4年前だったわ。
つまり、王家が聖獣の真名を失った時期と、作物が変色し始めた時期は一致しているのだ。
こんな偶然はなかなかないだろうから、この2つは無関係ではないんじゃないかしら。
……ゲームの中に、何かヒントがなかったかしら?
私は片手で口元を覆うと、一生懸命、前世のゲームについて思い出そうとしたのだった。