167 ルチアーナの好感度アップ大作戦 1
「お、王太子殿下!!」
私は驚愕の声を上げると、信じられない思いで目の前の人物を凝視した。
えっ、王太子は白百合領に来ないんじゃなかったの?
この地にラカーシュが付いてきたことだけでも想定外なのに、さらに王太子まで来るなんて、一体どう対処すればいいのかしら!?
そう進退窮まった思いで後ずさったところ、とんと背中が何かにぶつかった。
「大丈夫か、ルチアーナ嬢?」
肩を支えられたことで理解したけれど、ぶつかった相手はラカーシュだった。
ううう、前門のエルネスト、後門のラカーシュだわ。
これはどうすればいいのかしら、と身構えていたところ、王太子から先手を打たれて質問される。
「それで、ルチアーナ嬢? 私に対して、何を内密にしようとしているのだ?」
「うううっ!」
しかも、王太子にだけは聞かれてはいけない言葉を、本人にばっちり聞かれている。
あああ、前門すら守れていないじゃないの!
「そっ、それは……」
動揺しながら王太子を見つめると、不信に満ちた眼差しで見つめ返された。
普通の令嬢であれば、その視線にびくつくところだけれど、見下すような視線を目にしたことで、悪役令嬢である私は起死回生の一手を思い付く。
そうだわ! 王太子はルチアーナにべたべたされることが、大嫌いだったわよね。
だったら、以前のルチアーナのように悪役令嬢の態度で接してみたら、王太子は嫌になって逃げていくんじゃないかしら。
ほほほ、何も私の方から逃げ去る必要はないのだったわ。相手に自ら退場させればいいんだもの!
そう考えながら王太子に近付いていくと、私はわざとらしい流し目を送った。
「ほほほ、残念ながら、隠すべき秘密は暴かれてしまったようですわ。殿下に誤解されたくないとの乙女心から、ラカーシュ様と出掛けたことを秘密にしようとしたのですけど、殿下ご自身に見られてしまったのですから。もしかして、やきもちを焼いてくださいますの?」
必死でぱちぱちと高速の瞬きを繰り返しながら、王太子の服に触れるか触れないかの位置まで指先をもっていくと、さり気ない様子で一歩後ろに下がられる。
ふははっ、予想通り、見事なまでに嫌われているわ!
そう考えた私の推測は正しかったようで、王太子がさらに一歩後ろに下がったため、よし、今日はこれくらいで勘弁してやろうと、この場から退散することを決める。
「まあ、王太子殿下ったら、私に近寄られるのも嫌なご様子ですわね! ほほ、何をしても厭われそうですので、この辺りで部屋に戻りますわ。それでは、ごきげんよう」
王太子にそう挨拶をすると、今度はラカーシュに顔を向ける。
「ラカーシュ様、朝の散歩にお付き合いいただきありがとうございました。午後からの領内探索も楽しみにしています。それでは、後ほど」
私は言いたいことだけ言い終わると、素早く扉の方に向き直った。
呼び止められたらまずいとの思いから、できるだけ早くこの場から去ろうとしたのだ。
結局、私の方が退散している気がするけれど、これが私の限界だから仕方がない。
2人の前では冷静さを装っていたけれど、頭の中ではどうしてこうなったのかしら、と絶望の声が漏れ続けているのだから。
あああ、どうして王太子は白百合領に来たのかしら? 約束と違うじゃないの!!
けれど、即座に『どうしてって、それはもちろん白百合領が王太子の領地だからだし、そもそも王太子とは何の約束もしていないわよね!』と自分自身に言い返す。
そう、想定外に王太子が白百合領に来てしまったけれど、私には留め立てする権利はこれっぽっちもないのだ。
私は自室に戻ると、山登りでぐちゃぐちゃになった服をデイドレスに着替えた。
それから、ペンを手に取ると、混乱している状況を整理しようと紙に書き付けていく。
私がやるべきこと。
それは、まず第一に、聖獣に兄の左腕を治してもらうことだ。
そのためには、失われてしまった聖獣の『真名』を取り戻さなければならないし、王太子と聖獣の間の契約を成立させなければならない。
けれど、私は『真名』を忘れてしまったので、現状は手詰まり状態で、できることは何もない、という絶望的な状況なのだ。
「うーん、王太子と私は聖獣の真名を取り戻したい。ラカーシュの立ち位置は不明だけど、王太子のためになることだし、頼んだら、聖獣の真名を取り戻すことに協力してくれそうよね。つまり、皆の希望は一致しているわよね。そして、王太子とラカーシュの方が、私より何倍も頭がいいのよね。だから、2人の方が間違いなく、いいアイディアを思い付くはずだから……協力を仰ぐべきかしら?」
けれど、そこまで考えたところで、自分が先ほど王太子に対して失態を演じてしまったことに気が付く。
「ああああっ、し、しまった! 聖獣の力を貸してもらうために、私は王太子と仲良くしなければならないのだったわ! それなのに、攻略対象者を避けていた時の癖が出て、王太子から逃げたいあまり、彼が一番嫌がる態度を取ってしまったわ」
私は頭を抱えると、テーブルに突っ伏した。
あああ、小難を逃れて大難に遭う、典型的な例じゃないの! 私は何をやっているのかしら。
そもそも、『前門のエルネスト、後門のラカーシュ』という考えが間違いだったのだわ。
2人とも敵じゃないのに、悪役令嬢として嫌われていた期間が長すぎて、つい本能で敵認定してしまうなんて。
私は急いで立ち上がると、鏡の前に場所を移す。
そして、真剣な表情で、鏡に映る自分を覗き込んだ。
ルチアーナが非の打ち所がない美女であることは間違いないけれど、こうやって見ると、欠点がなさすぎるのよね。
雪花石膏の肌に豊かな紫の髪、煌めく琥珀色の瞳だなんて、もはや芸術的な色の組み合わせだわ。
そのうえ、驚くほど長いまつ毛や、何もしなくてもピンク色のぷるぷるの唇まで持ち合わせているなんて、完璧で完全な美女そのものじゃないの。
「だから、無表情でいると、ものすごく冷たく見えるのよね。唇の端を吊り上げるだけで、ものすごく意地悪に見えるし、まつ毛をぱちぱちと瞬かせただけで、すっごい悪女に見えるんだもの」
どうやら整った貌というのは、ちょっと表情を変化させただけで、何倍もイメージを誇張させる効果があるらしい。
「ということは、私が天真爛漫な笑顔を見せたら、ものすごくピュアに見えるってことじゃないかしら?」
そう閃いた私は、必死でゲームの主人公の屈託ない笑顔を思い浮かべる。
どうしてルチアーナはいつもいつも、あれほど高飛車で勝ち誇った笑みを浮かべていたのかしら、と常々思ってはいたのよね。
もちろんそれが役割に相応しい表情だったのだろうけれど、必要に応じて表情を使い分けることは大事だわ!
ほほほ、私は策略を練ることができる悪役令嬢だからね。
攻略相手を誑し込むために、純粋で悪意のない笑顔を浮かべて見せるわよ。
「そして、2人と仲良くなるのだわ!」
ラカーシュとは一緒に何度も行動したことがあるので、それなりの信頼関係が築かれているはずだ。
問題は王太子だけれど、……確かに、聖獣の力を借りたいという下心はあるけれど、……既に最高潮に嫌われているけれど、何とかなる……といいわよね。
先ほど、王太子に対してやらかしてしまった気はするけれど、これまでのルチアーナは、ずっとあんな感じだったのだ。
そのため、王太子からしたら、先ほどの私は『いつも通りのルチアーナ』だろう。
そんな風に王太子を油断させたところで、純粋ルチアーナが登場して、好感度アップ大作戦開始というわけだ!
私の中の冷静な部分が、そんなに上手くいくかしら、と心配を始めたけれど、ここまで来たら、もうやるしかないと心を決める。
「ふっふっふ、普段冷たい人が子犬を拾っただけで、ものすごく優しく見えることの応用よ! 普段から高飛車で高慢なルチアーナが純粋さを見せたりしたら、ものすっごくいい子に見えるはずだわ!!」
私はそう自分に言い聞かせると、部屋を出て食堂に向かったのだった。