163 白百合領訪問 4
ラカーシュに申し訳ないことをしてしまったわ、と思う気持ちのまま、私は素直に謝罪した。
「ラカーシュ様、言いつけを守らずにすみませんでした」
それから、丁寧に心情を説明する。
「実は私は、守護聖獣に興味を持っているのです。ですが、王太子殿下は聖獣を使役することに消極的でしたので、殿下と仲がいいラカーシュ様ならば、きっと殿下の考えを支持するだろうと思いまして……私が聖山に行きたいと言い出したら、ラカーシュ様は板挟みになって、困るだろうと考えたのです」
私の言葉を聞いたラカーシュは、驚いたように目を見張った。
「君はよく人を見ているな」
「えっ?」
どういうことかしらと思って聞き返すと、彼は感心した様子で口を開いた。
「エルネストが聖獣を使役することに消極的だとよく気付いたな。恐らく、君以外は誰一人、そのことに気付いていないはずだ」
「あっ!」
そうだった、と私は自分の迂闊さに愕然とする。
王太子は聖獣を使役できないことを秘密にしているのだから、彼が聖獣を使役したがっていないことについても、ラカーシュを含めた誰もが知るはずがないことだった。
そのため、私は黙っているべきだったのに、焦り過ぎて思わず口に出してしまった。
どうしよう、と思って無言でラカーシュを見上げる。
すると、私の表情を観察していたラカーシュは、目をそらすことなく言葉を続けた。
「ルチアーナ嬢、君はそのことに気付いていたからこそ、先日、エルネストが君に謝罪し、どんな要望でも受け入れようとしていた場面で、聖獣の使役を望まなかったのか? 彼の意に反することをさせたくなくて?」
「えっ?」
突然、過去の事象に遡って推理を始めたラカーシュに、私はびっくりする。
どうして既に終わってしまったことを、もう1度考えようとするのかしら。
もしかしたら、先日の場面に居合わせたラカーシュは、私の態度に違和感を覚えていたのかもしれないけれど、……よく『王太子は聖獣を使役することに消極的だ』という情報を入手しただけで、咄嗟にそこまで考えを巡らせられるわねと感心する。
それから、こんなに頭の回転が早いなんて、ラカーシュは私が考えるより何倍も鋭いのかもしれないわ、と危機感を覚えた。
昨日は、お兄様よりラカーシュの方が100倍いいと考えたけれど、実際にはお兄様と同じくらい、ラカーシュに用心しないといけないのかもしれない。
だとしたら、彼の質問にも慎重に答えないといけないわね、と考えていると、ラカーシュは一人で結論を出したようで、ふっと小さく微笑んだ。
「……君は優しいな」
まるで私の新たな美徳を見つけたとでもいうかのようなラカーシュの口調を聞いて、彼に誤解されたことに気付き、慌てて手を振る。
なぜなら私が聖獣の使役を望まなかったのは、王太子の望みに沿うためではなく、王太子が使役できないことを知っていたからなのだ。
つまり、できないことを望むほど意地悪ではないというだけの話で、私が優しいわけではないのだ。
「ちっ、違います! そうではなくて……」
けれど、言いかけた言葉は途中で途切れてしまう。
なぜなら王太子が聖獣を使役できないことは、ラカーシュも知らない王家の秘密のため、口にするわけにはいかないと気付いたからだ。
『王太子が聖獣の使役を望まない』という表現であれば、ぎりぎり許されるかもしれないけれど、使役できないこと自体は秘密にしておくべきだろう。
けれど、口を噤みながらも一方では、このまま否定しないでいると、ラカーシュは私が優しいと勘違いしてしまう、と焦る気持ちが湧いてくる。
そのため、どうしようと困っていると、ラカーシュは思慮深い表情を浮かべて口を開いた。
「ルチアーナ嬢、私は以前、エルネストが外遊から戻ってきたら、必ずサフィア殿の件について、エルネストに助力を頼むと君に約束したね」
「えっ、あ、はい」
そう言われれば、確かに以前、ラカーシュは王太子に聖獣の使役を頼むと言ってくれたのだった。
『ルチアーナ嬢はサフィア殿の失った腕を気にし過ぎていて、毎日を楽しめていない。君の兄の腕については、私が必ずエルネストに頼むから、もっと毎日を楽しんでくれ』というようなことを、ラカーシュから言われたのだ。
その時のことを思い出しながら頷くと、ラカーシュは考えるかのように顎に指を添えた。
「そのため、エルネストに聖獣を使役するよう頼んだのだが、……『できない』と端的に答えられた。これはどういう意味なのか。エルネストが説明なく、私からの依頼を断ることなど、これまで1度たりともなかった。そして彼は、……『やらない』ではなく、『できない』と答えたのだ」
「…………」
ラカーシュは本当に頭がいい。
聖獣の使役の能否は、王太子にとって大事な王家の秘密だ。
そのため、最大限の注意を払って、情報が漏れないようにと努めているにもかかわらず、王太子の短い一言から、ラカーシュは正解に気付きかけているのだ。
まずいわ。この状況で、私がこれ以上のヒントを出すわけにはいかないわ、と考えてさっと視線を伏せたけれど、……どういうわけか、その仕草がヒントになったようで、ラカーシュは訳知り顔で頷く。
「なるほど、ルチアーナ嬢、君は答えを知っているのだな。そして、その答えとは……『エルネストは聖獣を使役できない』?」
「はひっ!」
私は地面を見つめたまま、思わず飛び上がった。
ラカーシュは何という頭脳をしているのかしら、と驚いたからだ。
けれど、どういうわけか正解を引き当てたラカーシュの方が、感心したような声を出した。
「ルチアーナ嬢は本当に、謎に満ちているね」
「えっ?」
どういうことかしらと思ったため、顔を上げてラカーシュを見つめる。
すると、彼は唇を歪めた。
「君が言いたくなさそうだから追及はしないが、『エルネストが聖獣を使役できない』としたら、それは大変な秘密だ。それなのに、君はそのことを知っていた。それは君の魔法使いとしての力なのか、それとも、君がよくエルネストを見ているからこその、洞察力の結果なのか」
「ラ、ラカーシュ様!」
追及はしないと言いながらも、ラカーシュは私の表情を観察していて、真実を確認しようとしているわ。
ああ、頭のいい人って無意識のうちに、答えを探り出そうとする傾向があるわよね。
そう考えて、焦って名前を呼ぶと、彼は自分の行動を自覚したようで、すっと視線を伏せた。
それから、ぽつりとつぶやく。
「もしも後者だとしたら、少し妬けるな」
「えっ、あっ、ええ?」
確かにルチアーナは長年、王太子のことを追いかけ回していた。
そして、ラカーシュは何度となく、その場面を目にしたはずだ。
そのため、お兄様が勘違いをしていたように、私はまだ王太子のことが好きだと、ラカーシュも考えているのだろうか。
困惑して、ちらりと見上げると、ラカーシュは自嘲するような笑みを浮かべた。
「いずれにしても、エルネストが聖獣を使役できないというのは、王家にとって致命的な話だ。もしも君がそのことを知っているとエルネストに仄めかせば、彼は君のどんな願いも叶えるだろう」
「ラカーシュ様!」
私はびっくりして彼の名前を呼んだ。
なぜなら高潔なラカーシュらしからぬセリフだと思ったからだ。
「そんなラカーシュ様らしからぬことを言い出すなんて、どうやらラカーシュ様は疲れているようですね! あっ、いいことを思い付きましたわ! 今から私と一緒に山に登りませんか? 新鮮な空気を吸えば、きっと気分がすっきりして、普段通りの思考に戻ると思いますから」
私の言葉を聞いたラカーシュは、驚いたように目を瞬かせた。
「えっ、私は普段しないような発言をしただろうか?」
私はラカーシュに対して大きく頷くと、彼の質問に答える。
「ええ、しましたよ。もっと切羽詰まった状況になれば分かりませんけど、今くらいの状況でしたら、私は他人の弱みに付け込むことはしませんよ。そして、そのことはラカーシュ様も分かっているはずです。それなのに、殿下の弱みに付け込むようそそのかすなんて、ラカーシュ様らしからぬ発言ですわ」
けれど、ラカーシュはそうではないと首を横に振った。
「いや、私がしたのは、弱みに付け込む話ではなく駆け引きの話だ」
「もちろん、弱みに付け込む話ですよ! 王太子殿下が拒否できないと分かって行うんですから」
すると、ラカーシュは思っても見ないことを聞いたとばかりに瞬きを繰り返した。
「……君の解釈では、そうなるのだな。だとしたら、君の言う通りだ。私は君に対して、失礼な発言をした。すまない」
「はい、謝罪を受け入れます」
そう答えたけれど、私はラカーシュの言葉に驚いていた。
まあ、私も彼を勘違いしていたわ。
ラカーシュが仄めかしたのは、私が王太子の弱みに付け込むという卑怯な話だと思ったけれど、彼からしたら、価値のある秘密を知ったことで駆け引きをする話なのね。
だとしたら、ラカーシュのことだから、利益を得る代わりに、相手の秘密を守ることに協力する、と約束するのかもしれないわ。
少なくともラカーシュならば、得た利益と同等のものをお返ししそうだもの。
うーん、だとしたら、ラカーシュからしたら、私は価値のある秘密を掴んでも、それを有効活用できない間抜けに見えるのかしら?
……いや、見えるというか、実際にその通りなのかもしれないわね。
そう考えてため息をついていたところ、馬車が玄関前に付けられたと、執事が告げに来た。
それから、執事はラカーシュに「頼まれていたものです」と言いながら、小ぶりのボディバッグを手渡した。
まあ、ラカーシュったらいつの間に頼んでいたのかしら、と驚いたけれど、彼が用意周到なことはいつものことだったわと納得する。
それから、聖山には少し足を踏み入れるだけなので、何も危ないことはないけれど、それでも用意周到なラカーシュと一緒に行くのが安全かもしれないわと考えた。
私はラカーシュの手を借りて馬車に乗り込むと、彼とともに聖山に向かって出発したのだった。
いつも読んでいただきありがとうございます!
9/7(水)にノベル4巻&コミックス1巻が同時発売(!)予定ですのでお知らせします。
待望のコミックス! と、私もすごく楽しみにしています。
詳細が決まり次第お知らせしますので、よろしくお願いしますo(^-^)o