162 白百合領訪問 3
「ルチアーナ嬢、どこかへ出掛けるのか?」
翌朝、玄関ホールにて、執事に外出する旨を告げていたところ、後ろから声を掛けられた。
振り返ると、ラカーシュが扉を塞ぐようにして立っていたため、ぎくりと体が強張る。
えっ、今はものすごく早い時間だから、貴族の皆さんはまだ眠っているはずなのに……と、貴族の中の貴族であるラカーシュが起きていることを不思議に思う。
というか、体を動かすのに適したシンプルな服に、頑丈そうなブーツを履いているラカーシュを見て、まるで山歩きでもできそうな格好ね……、と嫌な予感を覚える。
「ルチアーナ嬢、昨日の晩餐時、ここでは必ずペアで行動をするように、と私は言ったはずだが」
ええ、言いましたね。もちろん聞いていましたよ。
人を従わせる雰囲気を持つラカーシュは、いつの間にか、白百合領の実習に参加した実習生を取り仕切るリーダーになっていた。
そのため、私はそのことを不思議に思ったのだ。
おかしい。今回参加する7名で事前に打ち合わせをして、リーダーは別の者に決まっていたのに、飛び入り参加した8人目のラカーシュが、あっさりとリーダーに成り代わるなんて、そんなことがあるものかしら、と。
旅程の1日目から、誰に断るでもなく、ラカーシュは皆を取りまとめ、細かな指示を出していたのだけれど、誰一人文句を言うことなく、全員が嬉々として従っていた。
その姿を見て、ああ、生まれつきの指導者はいるのだな、と思ったのだ。
そして、そのラカーシュは昨日の晩餐の席で、今後は2人1組にて行動するようにと申し渡してきた。
ちなみに、今回の実習期間は10日間の予定となっている。
その間、この地に滞在し、色々な場所を巡って聞き取ったり調べたりしたことを、学園に戻った後に参加者全員で協力して、1本のレポートにまとめるのだ。
そのため、生徒たちは興味がある場所を自由に回れるのだけれど、安全管理の面から考えると、ラカーシュの提案通りに2人1組で行動するのが最良に思われた。
問題は、昨日のラカーシュが勝手にそのペアを決めたことで、―――私の相手はラカーシュだった。
当然のことだけれど、今回の参加者の中で1番頭がよくて、優秀な生徒がラカーシュだ。
加えて、彼は私の事情に精通している。
そんなラカーシュと一緒に行動したら、私が聖獣について何らかの企みを持っていることをすぐに見抜かれてしまうだろう。
そのため、少なくとも聖山については、一緒に行動することを回避すべきだわ、とこっそり出掛けようとしたのだけれど……見つかってしまった。
どうしよう。何か上手い言い訳をしないといけないわ。
そう考え、頭をフル回転させたものの、ちっとも言い訳の言葉が思い付かない。
けれど、このまま黙っていても詰め寄られるだけなので、万に一つの望みをかけて誤魔化すための言葉を口にする。
「もちろん、ラカーシュ様の言葉は聞いていましたわ! 私はただ、たまたま早く目が覚めたので、城の外に美味しい空気を吸いに行こうと思っただけなんです。失礼しました、まさか朝のちょっとした散歩にも、ペア行動が適用されるとは思っていなかったので、ご心配をお掛けしましたね」
私の言葉を聞き終わったラカーシュは、朝靄の中に佇む聖山にちらりと視線を向けた。
「君の言う外とは、はるか遠くに見える聖山のことか? 馬車を準備するよう申し付けていたようだから、それなりの距離がある場所に向かうはずだ。通常は、それを『ちょっとした散歩』と表現しないものだが」
ぐうっ、このラカーシュの調査能力の高さは、どうにかならないものかしら。
「それはその、せっかくですから、美味しい空気を吸うついでに、この地の景勝地である聖山を見たいと思っただけです。ええ、はい、麓の近くからちらりとでも見られれば、満足できるかと思いまして」
あくまで遠目から鑑賞するだけだと強調したのだけれど、ラカーシュは疑わし気に目を細めた。
「君は先日、山登りに目覚めたから、聖山に登りたいと言っていたね。君の格好は、山登りを想定したものに思えるが」
じとりと視線を向けられたけれど、改めて自分の格好を見下ろすまでもなく、どのような姿をしているかはよく分かっている。
飾りが少ない膝までのドレスの下にズボンを履き、長めのブーツを履いているのだ。
そして、頭には羽根つきの帽子をかぶっていて、いかにも登山に向かう格好をしていた。
「うぐぐぐぐ、…………いつぞやの、私ごときのセリフを覚えていてもらうなんて、感謝感激ですわ!」
ここまで詰め寄られると、さすがに誤魔化せるとは微塵も思えなかったため、引きつった笑みを浮かべて敗北の言葉を口にする。
すると、ラカーシュは寂しそうな笑みを浮かべた。
「君の言葉だ。全て覚えているに決まっているだろう。残念ながら君の方は、『ここでは必ずペアで行動をするように』との私の言葉を簡単に忘れてしまったようで、寂しく感じているが」
「うぐ」
ラカーシュの表情から判断すると、彼は自分が発した言葉とは裏腹に、私が彼の言葉を忘れていたとは思っておらず、覚えていて従わないことに気付いているようだった。
だけど、私にしたって、大きく約束を破る気はなかったのだ。
聖山に登るにしてもほんの少しだけで、すぐに引き返そうと考えていた。
なぜなら今日は、午後からラカーシュと一緒に領内の村を回る予定にしていたため、その時間までには戻ってくるつもりだったからだ。
けれど、ラカーシュからしたら、到着日の翌日だから疲れているだろうと気を遣って、午後からの実習予定を組んだのに、その隙を狙って一人で出掛けられようとしたのだ。
私のことは、ラカーシュの厚意を無にする、酷い人間に見えることだろう。
というか、彼の立場に立って考えてみると、実際に酷いことをしていると思う。
ラカーシュに対して不誠実過ぎたことに気付き、申し訳ない気持ちになっていると、彼は磨き上げられたブーツをカツン、カツンと踏み鳴らしながら、私に近寄ってきた。
それから、私の前で立ち止まると、生真面目な表情で質問してきた。
「ルチアーナ嬢、私は未だに信用できない相手だろうか? 君に叶えたい望みがあるとして、その実現に手を貸さないような者だと、今も思われているのだろうか?」
人には立場があるので、ラカーシュが従弟である王太子を何よりも優先するのは当然のことだ。
そして、聖獣を使役する件について、王太子と私の希望は相反しているので、私の希望を口にしたら、ラカーシュを困らせるだけだと思ったのだけど……。
困ったように彼を見つめると、ラカーシュはまっすぐ私を見つめてきた。
「この地では、私と君は必ず一緒に行動するようにと発言したが、それはできるだけ君を手助けしたいと思ったからだ」
そうきっぱりと言い切った姿は、どこまでも高潔なラカーシュ・フリティラリアだった。
そのため、私は心から反省する。
……そうだわ。私がやろうとしていることがバレたら、ラカーシュは私の邪魔をすると、私は一方的に思い込んでいたのだわ。
彼が善意で私に助力しようと思ってくれていたのだとしたら、私の思い込みはすごく失礼だったわよね。
そう考えてふにゃりと眉を下げると、ラカーシュは表情を軟化させた。