14 フリティラリア公爵の誕生祭 5
翌日は、遅めの朝食から始まった。
とは言っても、昨夜の誕生会は明け方近くまで開催されていたようなので、妥当な時間なのかもしれない。
朝が弱いはずの兄だったけれど、誕生会を欠席していた私を憐れに思ったのか、からかいたいと思ったのか、元気な様子でぺらぺらと昨夜の様子を話してくれる。
おかげで、朝食の間は黙って兄の話を聞いていればよかった。
「いやー、ルチアーナ、ラカーシュ殿はあれはもう、彫像だけあって人ではないな」
……のっけから、何を言っているのだろう。もちろん、ラカーシュは人に決まっている。
そうは思ったものの、黙って目の前のパンを口に運ぶ。
「昨夜はすごかったぞ。会場の半分は男性だったというのに、全ての女性がラカーシュ殿一人に引き寄せられていくのだから。きっとラカーシュ殿の体からは、女性のみを吸い寄せる謎物質が放出されているんだな。そして、さらにすごいのが、ラカーシュ殿が女性に一切興味を示さないことだ。あんなに美女も、幼女も、何だってそろっていたのに! いやー、正に彫像だ、人間であれば手を伸ばさずにはいられないはずだ……。くくく、それにしても、私も含めた男性陣の間抜けたことといったら……」
一人で楽しそうに語り続ける兄の話は突っ込みどころ満載だったので、普段ならば大いに反論するところだったけれど、今日はとてもそんな気になれない。
胸の奥に石が詰まったようで、口を開きたくない気分だったのだ。
けれど、そんな私の気分にはお構いなしに、時間はどんどんと進んでいく。
そして、とうとう狩りが始まる時間となったので、社交活動を行うためにデイドレスに着替えると部屋を後にした。
狩りは、敷地内にある森の中で開催すると説明されていた。
そのことを聞いた私は、なるほどと思ったものだ。
城壁の外、……自然に広がる森の中には、たいていの場合において魔物が棲んでいる。
だから、上級貴族の中の上級貴族は、狩りのために城壁の内側に森を整備しているのだなと感心したのだ。
……まったく、狩りとはどれだけ贅沢な遊びなのか。
我が家の事情に置き換えてみて、改めてフリティラリア公爵家の資産の潤沢さを突き付けられた気持ちになる。
我が家は侯爵家だけれど、もちろん城壁内部に森なんてない。
本当に、一握りの上級貴族にのみ許された最上級の大人のお遊びなのだろう。
感心している私の隣で、ユーリア様が「軟弱ね」と馬鹿にしたようにつぶやいていた。もちろん、淑女のたしなみとして聞こえない振りをする。
正直なところを言うと、狩りに参加せずに部屋に引き籠りたい気分だったけれど、昨夜は誕生会を欠席したところでもあり、連れてきていただいたユーリア様に対して礼を欠かせ続けるわけにはいかないと、ユーリア様とともに狩りを見学することにする。
本日の狩りは、乗馬した紳士たちが猟犬とともに森の中の獲物を追い出して狩るという、オーソドックスなものだった。
静かにユーリア様の後ろを歩いていくと、森の中に作られた休憩スポットに到着した。
さすが公爵家の休憩所だけあって、洒落たテーブルが幾つも設置してあり、それぞれのテーブルには日除けの傘が備えてあった。
ユーリア様とともに、案内されるまま空いている椅子に座る。
その場所からは、狩りに興じる紳士たちの姿を遠目に見ることができた。
椅子に座るとすぐに、侍女が温かい紅茶を出してくれる。
何かを楽しむような気分ではなかったけれど、ユーリア様の手前、楽し気な表情を装っておしゃべりに興じた。
しばらくすると、ユーリア様が席を外されたので、ティーカップを片手に繰り広げられる狩りの様子を眺めていた。
すると、目の端で人影が動き、ユーリア様が座っていた椅子にどなたかが着席したので、戻って来られたのかと顔を上げる。
けれど、目の前に座っていたのはユーリア様ではなく、好戦的な表情をしたラカーシュの妹セリアだった。
セリアの小生意気ではあるけれど生気に溢れた顔を目にした途端、安堵の気持ちで思わずふっと笑いが零れる。
けれど、私の笑いを見たセリアは、馬鹿にされたと思ったのか、きゅっと口元を引き締めた。
「はじめまして、フリティラリア公爵家のセリアです」
セリアはわずかに口元を歪めると、友好的とは言えない表情で自己紹介をしてきた。
「……はじめまして、セリア様。ダイアンサス侯爵家のルチアーナです」
そういえば、正式に挨拶をするのはこれが初めてなのねと思いながら、名前を告げる。
こんなにずっとセリアのことを考えていたのに、自己紹介もしたことがなかったのだわと、思わず苦笑を浮かべると、そんな私の表情を誤解したセリアが、不愉快そうにきゅっと眉根を寄せた。
「ルチアーナ様、直接話をするのは初めての上、1学年上の方にご無礼を申し上げるのは承知しておりますが、どうしても一言言いたくて近付きましたの。……単刀直入に申し上げますが、卑劣な方法で兄の歓心をかうのは、止めてください」
「ラカーシュ様の歓心を買う、……ですか?」
いくらになるのか見当もつかないけれど、とても払えそうにないわね。
そう思いながらセリアの言葉を繰り返す。
そもそもラカーシュの歓心とやらに値札が付いているかは不明だけれど、私が相手では、不動の心を持った彫像相手に不可能な話だと思うけれど。
心の中でそうつぶやきながら、私を見つめて不愉快そうに歪められていたラカーシュの顔を思い浮かべる。
けれど、私の言葉を聞いたセリアは、キッとした表情で睨みつけてきた。
「ええ、そうです! 私が魔物に襲われるから気を付けるようにと、兄に助言したと聞きましたわ。 兄は、……兄は、実際に私が誰かに弑されるのではないかと、長年心配してきたのです。そんな兄の心配につけ込むようなやり口は、卑怯です!」
セリアの言葉に、何か具体的に心配するような理由があるのだろうか、と驚いて彼女を見やると、彼女はさっと目を逸らし「兄が、心配性なだけですわ」とつぶやいた。
ラカーシュが心配性? と、意外に思ったけれど、セリアの後ろに半ダース程の護衛が控えているのが見え、考えを改める。
確かにセリアは公爵令嬢ではあるけれど、自分の城の敷地内で引き連れるには多すぎる護衛の数だ。
私から進言された根拠ない一言だけをもとに、これほどの護衛を配置したというのならば、ラカーシュが心配性ということは事実だろう。
私は顔を上げると、真剣な表情でセリアを見つめた。
「セリア様、分かりました。二度とラカーシュ様に近付かないと、お約束します」
「え、えっ!?」
私があまりにも簡単に約束をしたので、セリアから驚いたように見返される。
そんなセリアに対して身を乗り出すと、至近距離からセリアの瞳を見つめ、力を込めて言葉を続けた。
「その代わり、セリア様も一つだけお約束をしてください。今日から数日間、このフリティラリア公爵領にいる間だけで結構ですので、絶対に危ないことはしないということを。決して城壁外の森だとか、魔物が潜んでいそうな場所には近付かないと、お約束してください」
私の言葉を聞いたセリアは「どうして……」と小さくつぶやいた後、ハッとしたように表情を引き締めた。
「……あ、あぶなかったわ! 兄からルチアーナ様は一筋縄ではいかないと忠告されていたはずなのに、思わず引き込まれるところだったわ。……ええ、分かりました。そんな約束くらい、簡単です。領地内にいる間は決して危ないことはしないと約束しますから、あなたもちゃんと、兄には近付かないでくださいね!」
「はい、お約束しますわ」
私が頷いたのを確認すると、セリアは席を立って城の方へ戻って行った。
その後ろから、多くの護衛騎士が付いていく。
セリアの後ろ姿は生気と気品に溢れており、私の心配が杞憂に終わればいいなと思った。