132 兄妹デート 2
相手の出方を見極めようと、無言のまま見つめていると、兄はゆっくりと歩み寄って来て私の隣に立った。
それから、片手を伸ばしてくると、風に乱された私の髪を直してくれる。
「髪を乱して、まるで幼子のようだな。落ち着いたか?」
「え、……ええ」
素直に頷くと、兄は小さく微笑んで湖に視線を向けた。
「それはよかった。私は迷うことがあると、この場所に来るようにしている。美しい自然の中に身を置いていると、心が洗われるような気持ちになり、不必要なものが全てそぎ落とされていくからだ。後に残るのは、私にとって大切なものだけだ」
「…………ええ」
兄の言う通りだと思う。
ここ最近の私は、色々なことがありすぎて、自分が何をしたいのか、何をすべきなのかを見失っていたけれど、もっとシンプルに考えるべきだったと気付かされる。
―――今の私にとって一番大事なのは兄だ。兄の腕だと。
けれど、兄の表情を見ていると、兄の目的は私にとって大事なものが何かを理解させることではなく、理解させた上で否定することのように思われた。
そのため、ぎゅっと唇を噛み締めて身構えていると、兄は諭すような表情で私を見つめ、口を開いた。
「ルチアーナ、執着は危険だ。失ったものに執着することで、今あるものを手放さなければならないリスクを負うのだから」
「………………」
―――兄の言う通りではあるのだろう。
けれど、リスクを負うと分かっていても、執着しなければならないものはあるはずだ。
そう言い返したかったけれど、反論しても論破されるだろうことは分かっていたので、黙ったまま兄を見つめる。
すると、頑なな私の表情から心情を読み取ったのか、兄は言い聞かせるような優しい声を出した。
「ルチアーナ、私は左手の損失を受け入れた。だから、私のために何もするんじゃない。もしもお前が私のために傷付くとしたら、その方が堪えるからな」
「………………」
兄は実際に、思っていることをそのまま言葉にしたのだろう。
そのことは十分分かっていた。
けれど、兄が心底私の安全を願っていることを理解しながらも、私はどうしても兄の腕を諦めることができなかった。
それに、そもそも私がやろうとしていることは王太子の聖獣にお願いすることで、危険なことは何もないのだ。
そう反論したかったけれど、―――多分、兄が言いたいのは、そういう話ではないのだろう。
兄は私に一切動くなと言っているのだ。リスクをゼロにするために。
けれど、それだけはどうしても受け入れることができない。
唇を噛み締め、無言で頭を振る私を見て、兄は心の底からといったため息を吐いた。
「………お前は」
それから、兄は頭痛がするとでもいうように頭を押さえた。
「ルチアーナ、お前は私の心情を正しく理解しているだろうに、それでも同意できないのか?」
「……申し訳、ありません」
私の返事を聞いた兄は目を瞑ると、片手で目元を覆った。
「はあ、……お前は時々、嫌になるほど頑固だな。そして、私は兄として、その気持ちを尊重しなければならないのか? ……やあ、何とも落ちぶれたものだな。妹の1人も説得できないとは」
それから、兄は手を伸ばしてくると片手を私の頬に当て、顔を覗き込んできた。
「ルチアーナ、お前にはお前のやりたいことをやる自由がある。が、私が許容できるのは、お前が傷付かない範囲における限定的な自由だ。……もしもお前が自由であり続けたいのならば、お前は己が傷付かないことを私に証明し続けなければならない」
「はい、もちろんです」
私には危険なことをするつもりも、兄を心配させるつもりもこれっぽっちもないため、大きく頷く。
すると、兄は皮肉気に唇を歪めた。
「ルチアーナ、お前は私の言葉を真に理解していない。にもかかわらず、はっきりと返事をするとは、随分迂闊なものだな。……お前は気付いていないが、私はお前に関して狭量なのだ。自由にすることができているのは、お前が完全に私の庇護下にあるからに過ぎない。だから、……これだけは覚えておきなさい。お前に何かあれば、私は金輪際、今と同じ自由を与えることはできないことを」
「はい、分かりました」
素直に受け入れると、兄は困ったようにため息を吐いた。
それから、目を細めると、普段よりも一段低い声で脅すように続けた。
「……本当に、分かっているのか? お前に何かあったら、私は金輪際お前に付きまとい続けると言っているのだぞ」
……何とも可愛らしいことに、そのセリフが兄の最強の脅し文句であるらしかった。
見せかけ上の。
―――ああ、兄は本当に優しい。
昨日兄がジョシュア師団長に言ったセリフは、そのまま兄に当てはまると思う。
つまり、兄こそが硬軟併せ持っていて、自分の要望を通すために色々な手法を上手く使い分けることができるのだと。
にもかかわらず、私の気持ちの強さを理解した兄は一歩下がったのだ。
本当は私を説得することも可能だろうに、―――そして、説得した方が兄は心情的に落ち着けるし、望みにも沿うだろうに―――兄はそうせず、私に自由をくれたのだ。
そんな兄の優しさにじんとしたけれど、素直に感謝を示したら兄が嫌がることは分かっていたため、私は俯くと小さな声を出した。
「まあ、恐ろしいこと」
口先だけでそう言った私に、兄はわざとらしい大きなため息を吐いた。
「私の脅しは、驚くほど効果がないな。やあ、私はいつから妹にこれほど弱くなったのだ」
それから、兄は諦めたように私に片腕を差し出してきた。
「お前も成人しているのだから、これ以上は言うまい」
そして、大きな手で私の髪をくしゃりと撫でると、唇を歪めた。
「だが、ルチアーナ、お前が何をしようとしているのかは分かっているつもりだ。……王家の守護聖獣は、国民があまねく癒しを得るために存在する。一個人のために使役するものでは決してないぞ」
兄の声音がからかうようなものに変わる。
どうやら話題を切り替えるとともに、雰囲気を変えようとしてくれたようだ。
「はい、分かっています」
ここで反論しても面倒なことになるだけなので、素直に兄の意見を肯定すると、兄は疑うような表情を浮かべた。
さすが兄だ。私のことをよく分かっている。
「ルチアーナ、そもそも王太子殿下の不興を買うことは、お前の望むところではないだろう? 強引さを嫌われでもしたら後悔するぞ」
兄のセリフから、どうやら兄は未だに私が王太子にご執心だと考えていることに気が付く。
私はとっくに王太子への恋心を失っているのに、兄は分かっていなかったらしい。
それに、たとえ恋心が残っていたとしても、兄の腕とどちらが重要かなど比べるまでもない話だというのに。
「お兄様、エルネスト殿下と私の組み合わせはあり得ませんよ。私には魔力や教養など、不足しているものが多すぎるため、殿下は私に全く興味がありませんから」
至極当然のことを口にすると、ちらりと横目で見られた。
「お前のことをよく理解していない今はそうかもしれないが、……人の心は変わる、とだけ言っておこう」
そう言うと、兄はさっと話題を切り替えた。
「さて、十分景色は堪能したな? 陽が出ているとはいえ、秋風が冷たい季節だ。場所を移るぞ。紅葉を眺めながらランチはどうだ?」
王太子についての会話を切り上げたかった私は、もちろん頷いた。
―――向かった先は、公園の隣にあるレストランだった。
見晴らしのいい2階に案内されたところ、人が溢れ返っていた1階と異なり、そのフロアには誰もいなかった。
「どうして2階には人がいないのかしら?」
景色が一望できるよう、目の前の一面がガラス窓になっている席に案内されながら首を傾げると、兄が何でもないことのように返してくる。
「2階は貸し切りにしたからな」
「へ?」
思わず立ち止まって目を見開くと、兄は澄ました様子で言葉を続けた。
「1人きりの妹とデートをするのだ。それくらい大目に見てくれ」
「い、いや、大目って……。テ、テーブルとテーブルの間隔は離れているし、貸し切りにする必要はないと思いますが」
目を丸くしながら勧められた椅子に座ると、隣の席に座った兄が悪戯っぽく微笑んだ。
「だが、隣のテーブルの声が聞こえたならば、一瞬だとしてもお前の意識が持っていかれるかもしれない。私はね、ほんの一瞬だってお前を誰とも分け合いたくないのだ」
「ひぎゃ!」
私の喉から、おかしな声が漏れる。
……あ、何だろうこれ。
サフィアお兄様は、私に何かを仕掛けてこようとしてるのじゃないかしら?
でも、何を?
全く状況が分からない私は、追い詰められた気分で兄を見上げたのだった。
読んでいただきありがとうございました!
来年もどうぞよろしくお願いします。
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