130 過保護な兄と保護される妹 2
「師団長、私の妹は哀れなほどに世慣れていないと言ったが、見てみろ。師団長からの告白を受けたおかげで、大人の知恵熱が出ているぞ」
「いえ、お兄様、さすがに……」
そんなはずないと言いかけたところで、顔がぽかぽかとしていることを自覚する。
えっと驚き、両手で頬を挟んで確認すると、手の平にはっきりと分かるほどの熱を感じた。
そう言えば、先ほどから体が熱いなと感じていたが、兄と普段通りに会話ができたことが嬉しくて興奮しているのだろうと思っていた。
けれど、どうやら発熱していたようだ。
告白されて熱を出すなんて、体全体で恋愛初心者だと証明したようなものだと恥ずかしくなり、顔が赤くなる。
照れ隠しに両頬を押さえていた手の指先をぴこぴこと動かしていると、どういうわけかジョシュア師団長が頬を紅潮させた。兄は顔をしかめている。
「ルチアーナ、なぜそこで顔を赤らめて指先を動かす。これ以上、師団長を刺激する必要などないだろう」
「え?」
「……いや、分かっていないならいい。つまり、お前は今すぐ横になるべきだということだ」
兄はそう言うと師団長を振り返り、扉付近にあるサイドテーブルを示した。
「師団長、森林探索に必要そうな道具を揃えたので、確認しておいてくれ。その間に私は妹を寝かしつけてくる」
「分かった。サフィア、……行儀よくすると約束するから、ルチアーナ嬢に挨拶をしてもよいか?」
丁寧に許可を取る師団長に対し、兄は鷹揚に頷いた。
「勿論だ。私が忌避すべきは紳士らしからぬ輩であって、きちんと手順を踏んでくる紳士を拒む理由はない」
そう言うと兄は一歩後ろに下がり、師団長のためにスペースを空けた。
師団長は歩を進めてきたものの、私との間隔を十分保った位置で立ち止まり、片手を胸に当てると申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「ルチアーナ嬢、申し訳なかった。大人気なく、感情のままに行動してしまったことを心よりお詫びする。そのうえ、……あなたが私の言動に影響を受けたと聞いて、自責の念に駆られるよりも嬉しいと思う気持ちが勝るのだから、自分自身に呆れて残念に感じている。今日は私の話を聞いてくれてありがとう。あなたの体調が良くなることを心から願っている」
「うむ、挨拶承った」
なぜだか私の代わりに兄が返事をすると、私は一言も返す間もなくそのまま部屋を連れ出された。
まっすぐに私の寝室まで案内されると、兄は無言で私を見つめ続け、ベッドに横たわることを強制させられる。
大人しく従うと、「いい子だ」と言いながら、両目を塞ぐように片手を置かれた。
「ルチアーナ、眠りなさい。いい子にしていれば、お土産を持って帰ろう。これから向かう森にはケレの木があるから、その実を1つお前に取ってこよう」
兄に言われて思い出す。
ケレの実は、幼い頃に好きだった木の実だ。
そういえば、病気になる度に兄がどこからかその実を持ってきてくれて、その実を口にすると、私はいつだってすぐに元気になっていたのだ。
ああ、あの実は美味しかったな……と思いながら目を閉じると、兄が身を屈めて顔を近づけてくるのが気配で分かった。
兄がまとっているパルファンの爽やかな香りがふわりと広がり、耳元でぞくりとするほど魅惑的な声が響く。
「おやすみ、ルチアーナ。良き精霊がお前をお守りくださいますように」
兄が口にしたのは、子どもを寝かしつける時のおまじないだ。
……まあ、私はもう16歳なのに、子ども扱いをして。
そう不満に思う一方で、兄に甘やかされる状態を面映ゆく感じる。
それにしても、お兄様ったら驚くほどにいい声だわ……。
色々と考えなければいけないことがあるはずなのに、兄の声に意識をもっていかれる。
そして、私はそのまま眠り込み、目覚めたのは夕方だった。
目を開くと約束通り、枕もとのテーブルには瑞々しいケレの実が1つ置いてあった。
手を伸ばして取り上げると、そのままゆっくりと口元に運ぶ。
「……美味しい」
不思議なことに、たった1つの木の実を食しただけで、ぐったりとした体に元気が湧いてくるように思われた。
ほっとした私は、もう一度横になると再び目を瞑った。
次に目が覚めたのは、驚くことに翌朝だった。
随分長い間眠っていたけれど、おかげで熱が下がっている。
ふと目をやると、今度は枕もとのテーブルに、透明の石を使用したピアスが2つ置いてあった。可愛らしい加工までしてある。
私は身だしなみを急いで整えた後、ピアスを手に取ると兄の元へ向かった。
「おはよう、ルチアーナ。体調はよくなったようだな」
兄はガーデンテーブルで紅茶を飲んでいるところだったけれど、素早く私の全身に目を走らせると、安心したように微笑んだ。
「お兄様、透明の石を拾ってきてくださりありがとうございます」
両手に載せたピアスを示しながらお礼を言うと、兄は何でもないといった様子で頭を振った。
「やあ、礼を言うほどのことではない。そろそろ体を動かしたいと思っていたところに、都合よくジョシュア師団長がいたため、丁度いいタイミングだったのだ。師団長は魅了を継承した副産物で、回復魔術を行使できるようになったからな。あれは便利だ」
「? 回復魔術が必要な場面があったのですか?」
勧められるまま兄の隣に座ると、控えていた侍女たちから紅茶とふわふわのクロワッサンが差し出される。
さくりとして美味しいわと思いながら頬張っていると、兄は考え込む様子でこちらを見つめてきた。
「昨日からお前の言動に違和感を覚えていたが……ルチアーナ、お前はその石が何か分かっているのか?」
「勿論です。昨日お兄様とジョシュア師団長が会話をされていたではないですか。王都にある『森林公園』の奥深くに落ちている石ですよね?」
「ああ、なるほど。市民たちの憩いの場になっている公園で拾ってきた石だと思ったのか」
「え? 違うんですか?」
「……木が生えている場所で入手したと言う意味では、同じようなものだな」
そう言うと、兄はふっと小さく微笑んだ。
「それよりも、今日の予定はどうなっている? お前の体調が良いようであれば、昨日の約束通り一緒に出掛けるぞ」
「えっ!?」
昨日の約束と言えば、兄とデートをすることだろうか。
いや、でも、お兄様相手にデートだなんて、私には100年ほど早すぎるように思われる。あるいは、100万年だろうか。
とても無理だと思いながら、あわあわと慌てていると、兄は私の片手を取ってきた。
そして、びくりとして動きを止めた私を、艶を含んだ瞳で見つめてくる。
「ルチアーナ、私は決して退屈な相手にならないと約束しよう。だから……今日一日、私に付き合ってくれないか?」
その完成された誘い方を目の当たりにした私は、何一つ返すこともできず、無言のまま兄を見返す。
―――兄は卑怯だと思う。
なぜなら兄は、自分の外見の魅力とその使い方を誰よりもよく分かっているはずで、その上で出し惜しみすることなく、私を誘惑にかかっているのだ。
そんな社交術上級者に対して、元喪女の私が一体どんな抵抗をできるというのだろう。
―――もちろん、何一つできるわけがない!
進退窮まった私を、兄は返事ももらえないのかといった風情で、寂しそうに見つめてくる。
……あああ、参りました! 参りましたから!!
兄の表情は十中八九演技だろうと思いながらも、私はできるだけ早くこの魅惑の空間から逃げ出したくなり、兄の望む言葉を口にする。
「も、もちろんお兄様と一緒にお出掛けしますわ!!」
すると、兄は表情を一変させ、嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう、ルチアーナ」
そのきらきらとした笑顔を見て、ぐらりとよろめきそうになる。
ど、どうしよう。出掛ける前からこれでは、とても今日一日、身が持つとは思えないわ。
私はぎゅっと目を瞑ると、心の中で兄に懇願した。
『お兄様、お願いです! できるだけ手加減してください!!』
祈りの言葉を3回繰り返した後、恐る恐る目を開いて視線をやると、兄は綺麗な笑みを浮かべて私を見下ろしていた。
「……っ!」
その笑顔を見た途端、私はなぜだか、私の望みは叶えられないような気持ちになったのだった……。