125 魅了の兄弟 2
「そう、ですか……」
師団長の返事を聞いた私は、がっくりと肩を落とした。
ダリルに引き続き、ジョシュア師団長からも否定されてしまった。
誰も魅了の魔術をかけていないとすると、ラカーシュの告白をどう考えればいいのだろう。
八方塞がれた気持ちになっていると、師団長が補足してきた。
「ルチアーナ嬢、『魅了』は日常にあり得ない特殊魔術だ。身近で何事かが起こったとしても、『魅了』のせいかもしれないと考えることは確率的にあり得ない。勿論、それはあなたにも当てはまる。もしも誰かがあなたに好意を示したとしたら、それはあなた自身の魅力によるものだ」
思ってもいない説明をされ、思わず聞き返す。
「私の魅力?」
そんなもの、前世と今世を含めても、1度もお目にかかったことがないのだけれど。
きょとんとして目を丸くしていると、兄が困ったものだといった様子で顔をしかめた。
「やあ、ルチアーナ、つい最近まであったお前の根拠のない自信はどこへいったのだ。あの態度は酷過ぎたが、今度は逆に自信がなさ過ぎる。……ラカーシュ殿も初めての感情に戸惑っていて、お前に惹かれる理由を説明し損ねるなど、必要な手順を省いてしまったのだろうな。そのため、お前が信じ切れないでいるのかもしれないが」
「え……と」
兄が仄めかしていることを理解しようとしていると、兄は言い聞かせるかのように言葉を続けた。
「ルチアーナ、他人への好意は短時間で生まれることもある。だからといって、その感情は勘違いでも、間違いでもない。そして、ラカーシュ殿はそのようなことでふざけるタイプではないだろう。相手が真剣に何らかの感情を伝えたがっているとしたら、お前も真剣に対応するのが誠意だと私は思う」
表現は異なるけれど、師団長も兄も同じことを伝えようとしているように思われた。
私はごくりと唾を飲み込むと、正面から質問を返す。
「このようなことを聞くのはおかしな話だと承知していますが、……あのラカーシュ・フリティラリアですよ。私を好きになるなんて、本当にあり得ると思います?」
ラカーシュ以外の男性が相手だったならば、少しは現実味を持って告白を受け止めることができたかもしれない。
けれど、相手は「歩く彫像」と呼ばれるラカーシュなのだ。
完璧で完全で、非の打ち所がない貴族の頂点。
そんな彼が、私に魅かれるなどあり得るだろうか?
ぎゅっと胸元を握りしめ、緊張して2人を見つめていると、兄はあっさりと頷いた。
「ああ、あるだろう」
続けて、ジョシュア師団長も簡単に同意する。
「私もあると思う」
私よりも遥かに世の中を知っていて、洞察力がある2人から肯定されたことに、私は素直に驚いた。
何をおかしなことを言っているのだ、と笑われることを覚悟していたのだから。
「……分かりました」
本当はあまり分かっていなかったけれど、できるだけ理解しようと考えながら、2人の言葉を受け入れる。
けれど、すぐに2人の言葉から受けた衝撃が時間差で襲ってきたため、とても立っていられなくなり、よろよろとよろめいた後、兄の隣に座り込んだ。
兄は混乱している様子の私をちらりと見ると、優しい声を出してきた。
「ゆっくり考えるがいい。……ルチアーナ、分かっているだろうが、人生で初めて告白をされたからといって、必ずしも相手に諾と返す必要はない。我が侯爵邸は広いから、お前が生涯住み続けても何の問題もないことだしな。ラカーシュ殿にしろ誰にしろ、相手に対して少しでも迷いがあるのなら、ずっとこの家にいればいい」
「えっ?」
「ここはお前の家だからな。……だが、今のお前は混乱していて、どれほど考えても正しい結論が出せるとは思えないから、話の続きは今度にしよう」
どうやら兄は、私が思考の限界を超えてしまったことに気付いたようで、くしゃりと頭を撫でると、話を終わらせてくれた。
それから、兄は自らテーブルの上に載っていたティーポットを手に取ると、私のために紅茶を注いでくれる。
「ルチアーナ、お前が食べ損ねた公爵家のシュガートーストを師団長が持ってきてくれたぞ。食べてみないか?」
「ありがとうございます。いただきます」
私の気分を変えようと、兄が新たな話題を持ち出したことが分かっていたため、素直に受け入れる。
自分が混乱状態にあることを自覚していたため、兄の言う通り気持ちを切り替えることにしたのだ。
……そういえば、今日は朝食を食べ損ねていたのだった。
空腹を感じながら、目の前に出された綺麗な焼き色が付いたシュガートーストを口に運ぶと、シュガーとバターの甘い味が口の中に広がった。
美味しい! と瞬間的に感じ、顔がふにゃりと崩れる。
夢中になって食べていると、兄が目を細めながら髪をかき上げるのが見えた。
「えっ?」
その瞬間、兄の耳に見慣れない飾りを見つけ、驚いて声を上げる。
「お、お兄様、ピ……ピアスをはめたんですか!?」
今まで一度もピアスをはめたことがない兄だったのに、耳に穴を開けている。
何てこと、お兄様が不良になってしまったわ!
驚く私の質問に対し、兄は何でもないことのように答えた。
「やあ、よく気付いたな。たった今、ジョシュア師団長にはめてもらったところだ。カドレアとの魔力供給契約が終了したことだし、いいタイミングだと思ってな」
そう言いながら、私に見せるため、兄が左右の耳元の髪を右手でかき上げる。
すると、両耳に透明な宝石が1つずつはまっているのが見えた。
「……綺麗ですね」
魔力うんぬんといった兄の言葉は理解できなかったけれど、透明のピアスはきらきらと輝いていて、一見軽薄そうな兄によく似合っていた。
そういえば、前世の世界では、ピアスをはめることで運命が変わる、と言われていたなと思い出す。
そして、兄の腕が失われた今の私は、運命を切り開きたい気分だった。
「……私もはめてみようかな」
ぽつりと呟くと、ジョシュア師団長からぎょっとしたように目を見開かれた。