123 ラカーシュ逆攻略計画 5
観劇の後、ラカーシュに案内されたのは洒落たレストランだった。
予約を入れてあったようで、お店に入るとすぐに個室に通される。
舌触りのいいスープから始まったメニューは、どれも美味しかった。
そのうえ、目の前にはどんな芸術品よりも美しいラカーシュが座り、次々と興味を引かれる話を提供してくれるのだから、私はすぐに夢中になった。
……一緒に過ごしたことで改めて理解したけれど、ラカーシュは本当に魅力的な相手だわ。
そんな彼と2人で出掛ける機会なんて最初で最後だろうからじっくり堪能しないと、と考えていると、別のことを考えていたことに気付かれたようで、ラカーシュから首を傾げられる。
「どうした? 何か気になることでも?」
「い、いえ、ラカーシュ様は義理堅い方だなと考えていました。フリティラリア城での一件に恩義を感じられ、もてなしていただきましたが、今晩は本当に楽しかったです。どうもありがとうございました」
私の言葉を聞いたラカーシュは、側に控えている給仕に合図をした。
「デザートはソファでいただくことにする。ローテーブルにセットした後は2人きりにしてくれ」
それから、ラカーシュは手を取って私を椅子から立ち上がらせると、部屋の隅にあるソファまで誘導してくれた。
ローテーブルを挟んで向い合せに座ると思いきや、どういうわけかラカーシュは私の隣に座ってくる。
距離を詰められることはなかったため、マナー違反ではなかったけれど、どういうつもりかしらと疑問が湧く。
その間に、給仕はケーキとコーヒーをセットすると部屋を出て行った。
ぱたりと扉が閉まると同時に、ラカーシュは自分のデザートプレートを私の目の前に置き直す。
「私は甘いものが得意でないからね。よかったら食するのを手伝ってもらうとありがたい」
ラカーシュが差し出したのは、私が最後まで悩み、諦めた方のデザートだった。
そのため、これもラカーシュの優しさなのだろうなと思いながらお礼を言う。
ラカーシュは私がデザートを食べるのを楽しそうに見つめていたけれど、私が全て食べ終え、コーヒーに手を伸ばしたところで口を開いた。
「ルチアーナ嬢、1つだけ差し出がましい口をきくことを許してほしい。サフィア殿のことはこれ以上、君が気に病むべきではない」
「…………」
ラカーシュが私のためを思って発言してくれたことは分かったけれど、咄嗟に返事をすることができなかった。
なぜなら、それは無理な話だからだ。
兄が片腕を失ったのは間違いなく私のせいなのだから、私はずっと気にしなければいけないし、何とかして兄の腕を取り戻さなければいけないのだ。
ラカーシュは黙り込んだ私をしばらく見つめた後、再び口を開いた。
「魔術師である以上、常にリスクは隣り合わせだ。サフィア殿ほどの魔術師が、その覚悟を持たないはずはない。そして、今回の結果は誰に強要されたわけでもない、彼自身の選択によるものだ。サフィア殿は侯爵家の嫡子として、己の身を守らなければならない立場にあるが、その義務を退けてまで君を守りたかったのだ。そして見事に守り切ることができたのだから、彼自身に憂いも後悔もなく、満足しているはずだ」
「それは……分かっています」
ラカーシュが言うように、兄は見返りを求めたり、自分の行動を後悔したりしないだろう。
そして、ラカーシュが仄めかしたように、私が後悔していることを喜びはしないだろう。
それくらい私にだって分かっている。
唇を噛み締めて俯いていると、ラカーシュは兄の話を始めた。
「私にサフィア殿の考え全てを理解できるはずもないが、彼が滅多にないほど素晴らしい人物であることは理解している。頭が切れ、思慮深く、先を見通すことに長けている。そんな彼が、ウィステリア公爵家の晩餐会に私を誘ってくれた理由がずっと分からなかったが、君を大事にする彼を見ていて1つの結論に達した。恐らくサフィア殿は、私に魔術の高みを見せてくれようとしたのだろう」
「え?」
「サフィア殿は私より何倍も大きな視野を持っている。恐らく彼は、10年後の王国を見据えて、私という魔術師に経験を積ませ、育つ機会を与えてくれたのだ。もしもの時に、彼以外にも君を守ることができる魔術師を誕生させるために。格上の者に相対する恐怖と緊張感は、その場に居合わせなければ決して味わえないものだからな。そして、サフィア殿が披露した超上級魔術は、実際に現場で目にしなければ、その真の威力を理解することはできなかっただろう」
ラカーシュの言う通り、カドレア城にいた人物の中で、彼だけが東星と無関係だった。
ラカーシュの推測通り、兄はそこまで考えて彼を呼んだのだろうか。
「サフィア殿が行使したのは、これまでどこにも存在しなかった新たなる魔術だ。新規魔術の構築は難しく、あのレベルのものを生み出したならば、多くの権益を手にすることができる。サフィア殿は新規魔術を独占することで、見たこともないような金銭を得ることができたはずだが、彼は無条件に私に教示してくれたのだ。私という魔術師を育てるために。あれほどの傑物が、自らの選択で失った腕を惜しむとは考えられない」
兄が失った腕を惜しんでいると私が考えていたら、それは失礼な話だと、ラカーシュは婉曲に示唆してくれた。
……分かっている。兄がどのように感じているかなど、私だって分かっている。
けれど、他ならぬ私自身が兄の腕を諦めきれないのだ。
ラカーシュは正面から私を見つめると、再び口を開いた。
「私はサフィア殿の厚意を享受する。彼が示してくれた高みの魔術を身に付け、彼が何よりも大事にしている君を守ることで、この恩義を返そう」
「え、わ、私?」
思わぬ方向に話が流れたため、驚いて問い返す。
けれど、ラカーシュが何事かを答える前に、彼が病気持ちであることを思い出したため、慌てて言葉を続けた。
「いえ、でも、ラカーシュ様は病気ですよね。お兄様がお医者様でも治せない病だと言っていたし、そのような方に守ってもらうことは……」
言いかけたところで、ラカーシュから片手を取られる。
「ルチアーナ嬢、少しだけこの手を借りてもいいだろうか?」
「え? あ、はい」
突然どうしたのかしらと、求められていることを理解しないまま頷くと、ラカーシュは私の手を彼の胸元に押し当てた。
「へっ?」
ラカーシュの行動が私の理解の範疇を超えていたため、素っ頓狂な声が零れる。
ぽかんと口を開けて見つめていると、ラカーシュは私の手の平を彼の胸に密着させた。
ぐっと強く押し付けられたため、シャツ1枚を隔てた先のラカーシュの体温まで感じてしまう。
「ラ、ラカーシュ様、何……」
慌てて手を離そうとしたところ、手の平にラカーシュの激しい拍動が伝わってきた。
彼の心臓はどくどくどくと早鐘を打っており、明らかに正常状態でないことを示していた。
「ラ、ラカーシュ様、心拍が速いです! やっぱり病気ですわ!!」
驚きで目を見開いた私の視線が、何事かの強い感情を浮かべたラカーシュのそれと合う。
それは初めて目にするラカーシュの表情だったため、私はびくりと体を強張らせると、それ以上言葉を継げなくなって口を閉じた。
射すくめられた私に対し、ラカーシュは少しだけ顔を歪めると、口を開く。
「ルチアーナ嬢、君の言葉通り私は病気だ。なぜなら君を目にする度に、私の心臓は早鐘を打ち始めるからだ。君の存在が、私を平静でいられなくする。……今のように君に見つめられ、触れられると、もっとこの胸は高鳴り出す」
「…………」
突然の告白とも取れる発言に、頭の中が真っ白になる。
何も考えることができず、体全体が硬直したようになった私の前で、ラカーシュは目を瞑ると、感情に乱れた声を出した。
「ルチアーナ嬢、最近の私は君のことを考えて多くの時間を過ごしている。小さな幸せが君に訪れるようにと願いながらも、君が何事かに悲しんでいないかと心配になる。私の全ては君に支配されていて、君のこと以外は何も考えられないのだ。この状態を、サフィア殿は405番目の病と呼んだ。医者でも決して治癒できない病だと。……さて、何の病気だと君は思う?」
「…………」
頭が全く働かない。
突然の展開に茫然とし、何一つ言葉を発せないでいると、ラカーシュはゆっくりと目を開いた。
その頬を、一筋の涙が滑り落ちていく。
きらきらと輝くラカーシュの涙をただ茫然と眺めていると、彼は自分の胸に押し当てていた私の手を取り、崇めるかのように自分の額に押し当てた。
「ルチアーナ嬢、苦しい。こんな私を助けられるのは君だけだ。私のことを知って、好きになって、選んでほしい。……どうか、私の恋を救ってくれ」
―――誰もが焦がれる、完璧なる美貌と才能を持った筆頭公爵家の嫡子ラカーシュ・フリティラリアは私の前で首を垂れると、彼の恋を救ってほしいと、そう希ってきたのだった。