122 ラカーシュ逆攻略計画 4
それからしばらくすると、馬車は劇場の前で止まった。
ラカーシュとともに案内されたのは、想像していたようなバルコニーではなかった。
劇場に1つしかない、2階分をぶち抜いて作られた天井の高いロイヤルボックスだったのだ。
えっ、王族専用であるはずの空間を利用できるなんてどういうこと!? と考えた途端に答えが出る。
そうだった。ラカーシュは王位継承権を持っているのだった。
ああ、そういう意味では、ラカーシュはほとんど王族よね。
どう考えても侯爵令嬢ごときにお相手が務まるはずないわ。
壁で仕切られた完全個室となっているロイヤルボックスには専用の従僕まで付いていて、丁寧に世話を焼いてくれる。
私は従僕の手を借りてコートを脱ぐと、ラカーシュに向き直った。
シンプルなコートの下から現れたのは、鮮やかな黄色のドレスと、綺麗に巻き上げ真珠で飾られた紫の髪で、それらを目にしたラカーシュの目が驚いたように見開かれる。
普段は彫像と言われるほど感情を表に出さないラカーシュの分かりやすい驚きに、何事かしらと私も目を見開く。
すると、ラカーシュは普段よりも低いかすれた声を出した。
「ルチアーナ嬢、君は……私の心臓を止める気か? ああ、美しさで息が止まることがあるとは、想像したこともなかったな」
苦し気に心臓を押さえるラカーシュを見て、これは誰だと心の中で叫ぶ。
ラカーシュは硬派のはずなのに、先ほどからの言動全てが浮ついているように思われたからだ。
たとえばラカーシュが恋に落ちたならば、このような行動を取り始めるのかもしれないけれど、私は同じ学園に通うだけの悪役令嬢だ。
そんな私にアプローチをしてくることなどあり得ないだろう。
結果、ラカーシュは天然の人たらしだと結論付ける。
私はただでさえ男性と出歩いた経験が少ないのだから、雰囲気に流されないよう気を付けないといけないわ!
私はできるだけラカーシュから離れて座ると、観劇に集中することにした。
上演されたのは、「ジョバンニ夫人の光」というタイトルの悲劇だった。
大筋を説明すると、ジョバンニ夫人が夫と子どもを失う話だ。
しかも、途中で夫の愛人が登場し、夫はジョバンニ夫人の目の前で堂々と、愛人への愛情を示すのだ。
分からない。この話の何がいいのかが分からない。
「……ひっ……ひっ……ふひぃ」
私の涙腺は壊れっぱなしになったため、隣に座ったラカーシュが困ったようにハンカチーフを差し出してきた。
「ルチアーナ嬢、すまなかった。非常に人気の演目だと聞いていたし、ご令嬢は恋愛が主題のものを好むと思っていたのだが……」
ラカーシュの主張に腹立たしい思いを覚える。
「お言葉ですが、ラカーシュ様、この話のどこが恋愛なんですか。これは裏切りの話ですよ! 私、私は絶対にこんな結婚は嫌です。心変わりをするような恋はいりません。それならずっと1人がいいわ。私は相手が落ちぶれても、病気になっても、1度好きになった相手とはずっと一緒にいますが、他の人を好きになられた場合は別です。その場合は、何があっても出て行きます」
ぽろぽろと涙を零しながらラカーシュを睨みつけると、彼は魅入られたような表情を浮かべた。
「そうか……ルチアーナ嬢は激しい恋愛をするタイプなのだね。君を愛しさえすれば側にいてくれるし、君を愛することを止めたら離れるなんて、全く貴族らしくない結婚観だね」
表情と声は優しかったけれど、発せられた言葉の内容から呆れられているのだと思った私は、拗ねたような言葉を返す。
「すみませんね。ラカーシュ様には理解できない考え方でしょうけれど」
「ああ、確かに私が信じてきた結婚観とは正反対だけれど、……君からそんな風に愛されたいと思うよ」
「えっ?」
示唆された意味が分からずに顔を上げると、ラカーシュは私の肩に手を置き、力を込めて引き寄せた。
そのため、彼の胸の中に倒れ込む形になる。
男性と密着するというあり得ない事態に硬直する私に向かって、ラカーシュの低い声が響いた。
「ルチアーナ嬢、これはジョバンニ夫人が自由を獲得する物語だ。色々なしがらみから解放され、唯一の宝物であった息子を失った夫人は一人で立つしかなくなったが、自由と独立を手に入れた先には光があったという話だ。が、年若いご令嬢には悲劇に見えるのかもしれないね」
抑えのきいた声で理路整然と説明されると、毛羽立っていた心が落ち着いてくる。
「これは1つの物語で、誰もが同じような人生を歩むものではない。だからね、少なくとも私は決して婚姻相手を裏切らないし、私と同様の考えの者も多いだろう。……君の希望と一致することに、私は1度相手を決めたら、その相手だけを生涯愛するよ」
我ながら単純だと思うけれど、ラカーシュの言葉を聞いた途端に心が落ち着いてくる。
……ラカーシュは凄いわ。
私とは異なる視点から観劇を分析し、希望がある話なのだと理解させたうえで、私と同じ視線に立ち戻り、この視点からでも私の望む幸福は用意されているのだと示してくれるなんて。
彼は物凄く頭がいい。そのうえ優しくて、私の感情に寄り添ってくれるわ。
ああ、ラカーシュに憧れる女生徒が多い理由が分かるわね。
彼は滅多にないほどの本物のイケメンだもの、誰だって好意を持つわ。
そんなことをぼんやり考えていると、彼の胸に顔を伏せている私の肩を、ラカーシュがゆっくりと撫でてきた。
まるで私を慰めるかのような優しい手つきに、心の中がふわりと温かくなる。
……ラカーシュは本当に優しいわね。
そして、彼のように全てを兼ね備えた者でもたった1人を愛するなんて、世の中の恋愛には素敵なものがあるのだわ。
私の心の声が聞こえたわけでもないだろうに、ラカーシュはもう1度はっきりと肯定してくれた。
「ルチアーナ嬢、私が愛する相手は生涯1人だけだ」