117 王太子攻略計画 2
王太子の長期不在に焦った気持ちを覚えた私だったけれど、その日の夕方になると、随分頭は冷えていた。
―――そもそも、兄の腕を治してほしいというのは私の勝手な要望だ。
王太子には聖獣を使役し、兄の腕を治す義理はないのだから。
元々ルチアーナが勝手に王太子に付きまとって迷惑を掛けていたというのに、これ以上何かを望むのは図々しい話だろう。
私は真っすぐ寮の自室に戻ると、ペンと紙を持って椅子に座り、王太子についての情報を整理する。
王国の王太子である、エルネスト・リリウム・ハイランダー。
そう紙に書き付けると、私はゲームの中の設定をできるだけ思い出そうと努めた。
元々リリウム家は、王国南部の山岳地帯を治める一貴族だった。
それが、100年前に聖獣を使役した功績を称えられ、後継ぎがいなかった当時の国王の跡を継ぐと同時に、新たなる王朝を開いたのだ。
リリウム家が王家として起つことができたのは、ひとえに聖獣の守護を得たことによる。
けれど、ゲームのストーリーの中で、王太子の祖父が亡くなって以降、王家は聖獣を使役できていないとのセリフがあったため―――そして、この世界で王太子の祖父である前国王が亡くなったのは4年前であることから、恐らく4年前から現時点まで、王家は聖獣を従えることができていないはずだ。
それを証するかのように、王太子は普段、ミドルネームであるリリウムを忌みて省略することが多いけれど、これは守護聖獣を使役できないことに起因している。
つまり、聖獣と契約できたからこそ王位を得たリリウム家であるにもかかわらず、聖獣を使役できない現状を心苦しく思っており、リリウム家を名乗る資格がないと考えているのだ。
―――王太子が引き継げなかったのは、聖獣の真名だ。
そもそも100年前において、国を想うリリウム家の忠誠心に打たれた聖獣は、力の源である真名を自ら明かして契約を結んでいる。
そして、代々のリリウム王家の継嗣は、聖獣の真名を引き継ぎ、新たに契約を結び直すことで、聖獣との契約を更新してきた。
けれど、現在の国王と王太子は、前国王から聖獣の真名を引き継ぐことができなかったのだ。
そのため、聖獣との直接契約は成り立っておらず、これまでの王家と聖獣との契約がうっすらと残っている状態でしかない。
聖獣は王家の側に寄り添ってはいるけれど、王家の命に従うことはないのだ。
「聖獣……」
呟いた瞬間、赤と金の輝く光をまき散らす、長い尾を持った美しい鳥の姿が頭の中に浮かび上がる。
―――深い山の中に暮らす、至高なる存在である不死鳥の姿が。
『聖獣』不死鳥は、全ての怪我を治癒することができる存在だ。
時折、気まぐれに人々の頭上を飛んでは煌めく光を落とす、人々の崇拝の象徴。
その光を浴びた者は全員体調が良くなるため、不死鳥が落とすきらめきは「聖獣様の祝福」と呼ばれてありがたがられ、この国は聖獣に護られているという安心感を国民にもたらしていた。
聖獣の存在は王国にとって祝福であり、国民の希望なのだ。
だからこそ、ゲームの中で主人公は、国のためにと王太子に聖獣の真名を教え、契約を結び直させるのだ。
そして、そのことにより王太子は主人公に心から感謝し、心を傾けていくのだ。
本来ならば、王太子が主人公に魅かれる大事なイベントのため、悪役令嬢ごときが代わりを務める案件ではないのだけれど、……主人公には本当に申し訳ないのだけれど、この役だけは譲ってもらえないだろうか。
「うーん、ダメかな? 王太子は私のことを蛇蝎のごとく嫌っているし、私はできるだけさり気なく聖獣の真名を教えるつもりだから、きっと恐らく私の好感度はこれっぽちも上がらないはずだし……ダメかな?」
書き付けたメモを見ながら、ぶつぶつと独り言を言う。
あ、というか何も馬鹿正直に、直接王太子に教える必要はないわよね。
手紙に聖獣の真名を書いて、王太子に送る方法はどうだろう。
そうすれば、私が教えたことは分からないし……と、そこまで考えたところで、全身がぴたりと制止した。
頭に衝撃的な事実が浮かび、信じられない思いで体が硬直したのだ。
……あれ?
ところで、聖獣の真名って何かしら?
「…………………………………………」
その日、私は頭が痛くなるまで真名について考え、……それだけではなく、寮の周りを走ってみたり、冷たい水を浴びてみたりと、思い出すための努力を色々してみたけれど、……結局、聖獣の真名を思い出すことはできなかった。