115 虹樹海 17
「……魔法使いちゃん☆」
聞いたことがないほど弱々しい東星の声が、少し離れた場所から響いた。
声がした方向に顔を向けると、申し訳なさそうな表情をした東星が立っていた。
魔力を放出した時の東星の表情から、彼女の意思とは関係なく魔力が暴走したことは分かっていたけれど、それでも反射的に怒りの感情が湧いてくる。
私は昂る気持ちを抑えることができず、怒りの滲む声で東星を詰った。
「私たちが一体何をしたというの? 連れてこられた場所で、精一杯あなたの要望に応えたはずよ! あなたの大事な世界樹に花を咲かせたじゃない。これ以上、もう何もできやしないわ。それなのに、なぜあなたの魔力のせいで、お兄様は腕を失わなければいけないの! お兄様の腕を返してちょうだい!!」
「それは……」
東星の表情が困ったように歪む。
それから、彼女は取りなすように言葉を続けた。
「怒らないで、魔法使いちゃん。わたくしが悪かったわ。魔法使いちゃんは本当に魔法使いで、わたくしの大事な世界樹が生きていることを証明してくれたわ。そして、世界樹に作用できるのは、恐らく魔法使いちゃんだけよ。だから、わたくしは魔法使いちゃんを大事にするわ。あなたが大事にしている人たちもそう。今後は絶対に害をなすようなことはしないから……」
それから、東星は両手を広げると、困ったように眉を下げた。
「サフィアのことは悪かったわ。でも、わたくしの意思じゃないの。世界樹からは独特の力が流れ出てくるのだけれど、それはわたくしに大きな影響を与えるの。魔法使いちゃんが世界樹に花を咲かせてくれたから、久しぶりに世界樹が活動して、その力を感じることができたわ。だけど、世界樹の力を感じたのは十数年ぶりだったから、わたくしの魔力が過剰に反応して、暴走してしまったのよ☆☆」
「あなたの状況は分かったわ。でも、お兄様はあなたのせいで腕を失ってしまったの。元に戻してちょうだい」
変わらず厳しい声で要求すると、東星は広げていた手を下げ、小さな声で囁いた。
「……わたくしに癒しの力はないわ★」
東星の言葉を聞いて、私は絶望的な気持ちになるのを止められなかった。
……分かっている。私がやっていることの半分は八つ当たりだ。
なぜなら、兄が腕を失った原因は私なのだから。
私を庇ったからこそ、兄は腕を失ったのだ。
兄は気にするなと言ってくれ、既に吹っ切れたような態度を取っているけれど、そう簡単に諦められるはずもなかった。
私は何とかして兄の腕を治癒する方法を見つけ、兄に腕を返してあげなければならない。
……兄が、そしてこの場にいる誰もが回復魔術について触れないところを見ると、兄の傷は回復魔術ではどうしようもないのだろう。
ゲームの中のラカーシュは足を引きずっていたし、恐らく酷い怪我に回復魔術は効かないのだ。
けれど、回復魔術が効かないとしたら、他に何が……。
「そうよ! 王太子の……」
必死に考えを巡らせていた私の両目が見開かれ、閃いたとばかりに言葉が零れ落ちた。
そうだわ! 王太子の聖獣がいるじゃない!!
王家を王家たらしめている、全ての傷を治癒する至高なる守護聖獣が。
「やあ、ルチアーナ、お前が何を考えているのかは簡単に推測できるが、その考えは捨てなさい。至高なる聖獣様の御力を、一貴族に使用できるはずもないのだから」
私の隣に立っている兄が、言葉に出していない私の考えを読み取って切り捨てた。
そんな兄の後半の言葉に、私は心から同意する。
確かにそうだ。守護聖獣が個人を治癒したことなど、ここ何年もないだろう。
『治癒できない』と言った方が、より正確ではあるけれど。
「ルチアーナ嬢、よければ私からエルネストに頼んでみよう」
王太子の従兄だからこそできる、ありがたい申し出をラカーシュがしてくれたけれど、私は否定の意味を込めて首を横に振った。
「いえ、……いえ、結構です。そうですね、お兄様の言う通りです。この考えは捨てますわ」
なぜなら、ラカーシュがどれほど王太子に頼んだとしても、無駄なのだから。
ラカーシュでさえ知らないことだが―――王太子は王家の力の源たる守護聖獣を従えることができないため、どれほど頼まれようと聖獣を使役できないのだ。
王太子が聖獣を使役できるようになるのは、ゲームの主人公に出逢う半年以上も後のことだ。
けれど、兄がこれから半年間も隻腕でいることを、私はとても許容できないから……。
「考えを改めます。ええ、王太子殿下に頼もうと思った件は撤回しますわ」
これ以降は慎重に行動しなければならないと考えた私は、従順そうな表情を作ると、素直に聞こえるような声を出した。
王太子に頼むことを諦めるつもりはないけれど、この場でそのことを表明する必要はないと思い直したからだ。
「……ええと、皆さんお疲れでしょうから、そろそろ邸に戻りましょうか?」
―――完璧なるポーカーフェイスで話を切り替えたというのに、不思議なことにその場にいる誰もが、私の言葉を額面通りに受け取っているようには見えなかった。
それどころか、その場の全員が、私が何か不穏なことをしでかそうとしているのではないかと、疑っているような表情をしていた。
どうして私の考えが分かるのかしら、と不思議に思ったけれど、いやいや、私の考えを読めるはずがないのだから偶然よと、素知らぬ顔で東星が用意した転移陣の上に立つ。
そして、心の中で強く誓った。
『王太子がすぐにでも、守護聖獣を使役できるようにしてみせるわ!』―――と。
―――その日、私は初めて、自分のためにゲームのストーリーを変えようと決意したのだった。