108 虹樹海 10
私は現状を把握するため、改めて周りを見回した。
東星は離れた場所で一人、世界樹に咲いた藤の花をうっとりと眺めていた。
兄とラカーシュは東星を警戒しながらも、突然人に変化したコンラートの様子に注意を払っていた。
そのコンラートは3歳ほど大きくなった姿で、涙を流すジョシュア師団長とルイスに抱きしめられていた。
その場の全員の状況を確認し終わると、目の前で抱き合う3人にもう一度視線を戻し、一体何が起こっているのかしらと、必死で理解しようと努める。
すると、私の視線を感じ取ったジョシュア師団長が、ふっと視線を上げた。
師団長の頬にはくっきりと涙の跡が残っており、成人した男性は一回りも年下の女子学生に弱い姿を見られたくないのではと思い至る。
そのため、慌てて視線を外そうとしたのだけれど、師団長は地面に跪いたまま手を伸ばしてきて、私の手を取った。
驚いて師団長を見つめると、彼は感極まったような表情を浮かべ、私の手の甲に口付けた。
「ふあっ!?」
あまりにも流れるような動作だったため、されるがままになっていたけれど、想定外の行為をされたことで不覚にも腰が抜け、ぐしゃりとその場に尻餅をつく。
いやいやいや、ちょっとこれ、紳士の淑女に対する挨拶かもしれませんが、く、唇が触れたんですけど。私の体にジョシュア師団長の唇が触れたんですけれどね! ひー。
「ルチアーナ嬢!?」
けれど、当のジョシュア師団長は私がバランスを崩したと思ったようで、心配気に顔を覗き込んできた。
師団長の表情が真剣だったため、心の底から申し訳なくなる。
……す、すみませんでした。
本当にただの礼儀的な挨拶に、過剰反応してすみませんでした。
師団長は全く色めいた気持ちなどなかったのに、存在しないものを読み取ってしまった私が悪かったです。
ですよね、ただの挨拶ですよね。手の甲への口づけは敬愛ですよね。
と考えたところで、あれ、私は師団長に何かを敬われているのかしらと、疑問に思って師団長を見上げる。
すると、彼は泣き笑いのような表情を浮かべた。
「ルチアーナ嬢、ありがとう。この子はダリルだ。9年前に別れた時よりも顔色がいいし、ふっくらとしているが、身長も顔立ちも髪色も何もかも別れた時のままのダリルだ」
「えっ」
思わずコンラートを見ると、確かに彼の大きさは6歳児くらいで、先ほど思ったようにウィステリア公爵家の藤色と言われれば頷けるような美しい髪色をしていた。
……ああ、突然コンラートが成長したことに驚いたけれど、実際は亡くなった時のダリルの姿に戻っていたのか。
ということは、ダリルとしての体を取り戻したのだろうか?
だとしたら、東星との契約はどうなったのだろう……と考えたところで、先ほどコンラートの目から流れ落ちた赤い塊が、東星との契約紋だったのではないかと思い至る。
つまり、コンラートは……ダリルは東星と契約したけれど、自分で自分の命を取り戻したから、東星との契約は完了することなく、途中で解除されたのかもしれない。
でも、どのようにしてダリルは命を取り戻したのかしら、タイミング的に藤の花が関係しているように思われるけれど、と考えているとルイスが地面に両手をついて頭を下げ、ぽろぽろと涙を零しながら口を開いた。
「ルチアーナ嬢は本当に魔法使いだったんだね。ありがとう……ダリルを戻してくれて、心から感謝します」
「え、いや、あの……」
ルイスが言うように、私がダリルを戻したことになるのだろうか?
でも、私がやったことは、藤の花を遠くに飛ばしただけで……。
「私はコンラートを救うために、この場所を浄化したいと思って行動しただけだわ。コンラートの中にいるのがダリルなら、双子のルイスが1番影響を与えると考えて、ルイスの藤をこの空間いっぱいに広めたら、その花が悪しきものを吸い取ってくれるように思ったから……」
そもそも藤の花を咲かせたのはルイスとジョシュア師団長だし、私の助力は大したものではなかったのじゃないかしら。
そう考え、困ったように2人を見ると、ルイスはふわりと花が開くように笑った。
「ルチアーナ嬢はすごいね。あなたの魔法が悪しきもの(死)を追い払い、良きもの(生)を連れてきたんだよ」
「ええと」
「これは秘密なんだけど、我がウィステリア公爵家にはおとぎ話が伝わっていてね。我が家の家紋が藤であることに、意味と力があるらしいんだ。……本当に大事な人を亡くした時、藤に祈れば、その大事な人を戻してくれる、ってね」
そう言うと、ルイスは涙できらきらと光る顔を上げた。
「『藤は不死につながる』とのおとぎ話を、僕はずっと信じてきたんだ」
いつも読んでいただき、ありがとうございます!
おかげさまで、書籍2巻が来月6日に発売されることになりました。
どうぞよろしくお願いします(*ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾
(詳細はまとめているところですので、改めてお知らせさせていただきます)