105 虹樹海 7
「ルイス、君はそれなりに魔術が使えるはずだ。少しだけこの場を任せられるか?」
ルイスの感情に一区切り付いたのを確認すると、それまで黙っていたラカーシュが口を開いた。
「ジョシュア師団長は風魔術の使い手だ。同じ系統の魔術を使う東星とは相性が悪い。師団長と私が入れ替わる間だけ、この場を守ってくれ」
確かに同じ系統の魔術がぶつかり合った場合、純粋に力の強い方が勝つ。
東星は四星の一星だけあって、尋常ではない魔力の持ち主だ。同系統の魔術で挑むのは悪手だろう。
「勿論です。僕だって、ウィステリア公爵家の一員ですから」
ルイスはそう言うと素早く立ち上がり、東星と私との間に割り込むような位置を取った。
その姿を見たラカーシュは頷くと、師団長の下に走って行く。
―――誰もが、必死になって最善を尽くしていた。
私にも何かできないものかと、もどかしい気持ちで手を握りしめていると、再び東星の攻撃が飛んできた。
はっとして息を飲むのと同時に、私を庇うような位置に立ったルイスが両手を前に突き出す。
「風魔術 <修の5> 䬕圧盾!」
少年特有の少し高めの声が発せられると同時に、風の盾が目の前に出現した。
ルイスの流れるような自然な動作を見て、驚きで目を見開く。
ラカーシュもそうだけれど、学生であるルイスが中級魔術を発動させるのは物凄いことだ。
授業で学ぶ内容の、先の先を実践しているのだから。
ウィステリア公爵家は代々、強大な魔力を持つ一族だけれど、ルイスも正しくその力を受け継いでいるようだった。
王国に4つしかない公爵家出身のため、ラカーシュにしろ、ルイスにしろ、生まれ持った魔力が桁違いに高いことは想像に難くないけれど、加えて、幼い頃から魔力を正しく行使できるよう鍛錬を積んでいるのだろう。
だからこそ、その努力は正しく報われ、―――ルイスの発現させた盾はバキリと音を立てると、東星の攻撃を防いだ。
ルイスは私よりも年下なのに凄いわ、と感心していたけれど、ルイス自身は東星の攻撃で風の盾が大きく歪んだことが不満だったようで、ぐっと唇を噛み締めていた。
まあ、ルイスは向上心があるのね、と思った途端、再び眩暈に襲われる。
先ほど同様、ぐるぐると目が回り、膝立ちの状態すら保っていられなくなった私は、地面にぺたりとお尻を付けた。
すると、その勢いで髪が巻き上がり、視界いっぱいに広がるのが見える。
……ああ、先ほども思ったけれど、眼前の巨樹に紫色の花が咲いたようね。
ルイスが近くにいるため、ルイスが身にまとう藤の香りまで漂ってきて、本当に花が咲いたようだわ……。
一瞬、思考があられもない方に向かい出したため、慌てて引き戻す。
いえ、今はそんなことを考えている場合ではなかったわ。
出口を探さないと。
けれど、その思考も間違っているように思われ、頭を振る。
……いいえ、これも違う。
出口を探すのではなく、この場を浄化するのだったわ。
「―――ルチアーナ嬢!?」
ルイスの声が響き、はっとして目を見開く。
あ、あれ、意識が飛びかけていたわ。私ったら、ぼんやりとして……。
意識を失いかけた一瞬、何か大事なことを考えていたように思われ、思い出そうとしたけれど、あっという間に霧散してしまう。
いえ、考えごとよりもコンラートをどうにかしなければ、とふらつく体を叱咤していると、再び心配そうな声が掛けられた。
「ルチアーナ嬢、大丈夫か!?」
その声がルイスとは異なるように思われたため顔を上げると、ジョシュア師団長から心配そうな表情で覗き込まれていた。
はっとして離れた位置にいる東星たちを確認すると、兄の横に立つラカーシュの姿が見えた。
いつの間にか、ラカーシュとジョシュア師団長は上手く交代できていたようだ。
ジョシュア師団長は私の手を取って立たせると、確認するように全身に視線を走らせた。
「ルチアーナ嬢、歩くことは可能か? そうであれば、ルイスとダリルとともにこの場を離れるんだ。そして、出口を探し、この森から脱出するのだ」
師団長の言葉は、私たちに離脱を促すものだった。
つまり、私よりも多くのものを見通せるであろう師団長の目から見ても、撤退が妥当だと思われる状況のようだ。
そのうえ、この場を離れるよう指示されたのは、ルイス、ダリル(コンラート)、私の3人のみだ。全員が離脱できる状況ですらないのだ。
私は心の中で師団長の判断が正しいことを認めると頷いた。
……確かに、この場で全員が共倒れになる必要はない。
私はルイスに向き直ると、抱いていたコンラートを差し出した。
「ルイス、私はふらついていて遠くまで行けそうにないから、あなたがコンラートを森の外に連れ出してくれない?」
ルイスの最優先事項はダリルを守ることだ。
だからこそ、彼は私の要求を受け入れてくれるはずだと、そう思ってコンラートを手渡そうとしたのだけれど、ルイスは手を下げたままコンラートと私を交互に見つめるだけだった。
それから、振り絞るような声を出す。
「……できない」
「え?」
「僕は、……確かに、今度こそダリルを守ると誓ったけれど、でも、こんな風にダリルだけを助けても、ダリルは喜ばない!」
「え?」
「ダリルは死ぬと分かっていても、僕を助けようとする優しい子なんだ。今のダリルはずっとルチアーナ嬢を守ろうとしているから、ルチアーナ嬢と一緒でなければ、彼はまたこの森に戻ってくるよ」
……ルイスの言う通りかもしれない。
けなげで優しいコンラートならば、親しい者を深く愛するダリルならば、長い時間一緒にいた私のことを想ってくれるのかもしれない。
けれど……。
私はとても、歩けそうにないのだ。
それでも、歩けるところまで行くべきなのだろうか。
私は自分を叱咤すると、コンラートを抱えたまま一歩踏み出す。
すると、近くで耳ざわりな高い声が響いた。
「まあ、魔法使いちゃん、どこに行くの? 世界樹の方向はそっちじゃないわよ☆★」
驚いて顔を上げると、東星が3メートルほど離れた場所で、中空に浮いていた。
東星は私を見て、真っ赤な唇でにたりと笑う。
ああ、ああ、どうしてこのような状況で笑えるのだろう。
腕の中のコンラートは意識もなく、今にもどうにかなりそうな体調の悪さだというのに、東星にとってはどうでもいいのだ。
「うふふ、2人とも止めてちょうだいね。お前たちがわたくしを攻撃するよりも、わたくしが魔法使いちゃんに術を放つ方が早いのだから★★」
いつの間にか東星の両脇に回り込んでいた兄とラカーシュに対して、東星が警告の言葉を発する。
それから、東星は私に向かって長い指先を伸ばしてきた。
「さあ、お遊びはここまでよ。魔法使いちゃん、世界樹を何とかしてちょうだい。わたくしにとって世界樹以外はどうでもいいのだから。言うことを聞く気になるよう、まずはその紫の獣から殺してみましょうか★★★」