104 虹樹海 6
ラカーシュはいつの間にか弱者への思いやりを身に着けていて、それが私に向けられているように思われた。
まあ、イケメンが中身までイケメンになってきたわよ!
そう驚いていると、不意に、腕の中でコンラートがびくりと大きく体を硬直させた。
「コンちゃん!?」
思わず名前を呼んだけれど、コンラートは答える様子もなく、ぐったりと私の腕の中で体を弛緩させる。
どうやら完全に意識を失ってしまったようだ。
気を失い、無防備に手足を投げ出した様子を見て、どくりどくりと心臓が嫌な音を立て始める。
……ああ、ダメだ。コンラートの体調悪化の速度が早過ぎる。
このままではコンラートの身が持たない。やっぱり、どうにかしてこの場を脱出しなければ……。
焦る気持ちとともに、出口を探そうと再び首を巡らせると、突然、視界がぐらりと揺れた。
ぐるぐると目が回り、どちらが空でどちらが地面かが分からなくなる。
……えっ、眩暈がしてきたのかしら。でも、どうして?
この森では、高魔力者の気分が悪くなると兄は言っていたけれど、私には当てはまらないのに。
そう考えたところで、腕の中の小さな重みに思い当たる。
ああ、そうだ。東星は借り物の体のコンラートにこの場所は耐えられないと言っていた。
同じように、普段より弱っている私にもこの場所は辛いのかもしれない。
そう考えている間もぐるぐると目が回り続け、立っていられないほど気分が悪くなった私は、目を瞑ると地面に両ひざをついた。
「―――ルチアーナ嬢!?」
ラカーシュの声が響き、はっとして目を見開く。
そうだわ、眩暈くらいでふらふらしている場合ではなかったわ。
コンラートをどうにかして助けなければいけないのに、とふらつく体を叱咤していると、間近で心配そうな声が掛けられた。
「ルチアーナ嬢、大丈夫?」
視線を上げると、目の前に青ざめたルイスが立っていた。
くらくらと軽い眩暈は継続していたけれど、これ以上不安がらせてはいけないと思い、大丈夫だというように頷く。
すると、ルイスはほっとしたような表情を見せた後、私の隣に膝をつき、コンラートに震える腕を伸ばしてきた。
「ダ、ダリルは大丈夫なの?」
けれど、ルイスの手はコンラートに触れる直前、……その体の5センチ程手前で静止した。
ルイスの表情は真っ青で、明らかにコンラートの、あるいはダリルの心配をしているというのに、直接触れることは躊躇われる様子だった。
コンラートは私の弟だと思っていたけれど、実際はうさぎ型の獣で、中身はウィステリア公爵家の4男だという。
だとしたら、双子の兄であるルイスが心配することは当然だと思い、黙って様子を見守る。
けれど、ルイスは再びコンラートに手を伸ばしたものの、やはり触れることは出来ないようで、その手をぎゅっと握りしめると、ぽろぽろと涙を零し始めた。
「ごめんなさい、ダリル。ごめんなさい……、僕が悪かったんだ」
ルイスは深く項垂れると、謝罪の言葉を繰り返した。
「僕はずっとジョシュア兄上に可愛がられていて、兄は弟を無条件に可愛がるものだと知っていたのに、それができなかった。お母様に愛されるダリルを、心のどこかでずっと羨ましいと思っていたんだ……」
ごめんなさい、ごめんなさいと涙を零しながらルイスが繰り返す。
「でも、ダリルがいなくなって分かった。僕はダリルが1番好きだ。ダリルと一緒に過ごす時間は、凄く楽しかった。だって、ダリルは僕の……双子の弟だから」
ルイスは両手を地面に付けると、至近距離で獣になったコンラートを覗き込んだ。
「なのに、……それなのに、……ダリルは弟なのに、僕が守られた。ダリルがボロボロの体で家から出て行ったのは、僕を身代わりにしないためだ……。ごめんなさい。僕が兄として不甲斐なかったから、ダリルを死なせてしまった」
そう言うと、ルイスは大粒の涙をぼろぼろと零した。
草の上に次々とルイスの涙が吸い込まれていく。
それから、ルイスは乱暴な仕草で、ぐいっと頬を流れる涙を拭うと、真っすぐにコンラートを見つめた。
「だから、―――今度は絶対に、僕がダリルを守るから」
ルイスは決意した表情でコンラートに手を伸ばし、……やっと、その体に触れた。
その手つきは傍から見ても分かるほどに優しく、まるで―――大事な宝物に初めて触れたかのようだった。